聖愚問答抄
文永5年(ʼ68) 47歳
およそ生を受けた時から、死を免れないという道理は、貴い帝から卑しい民に至るまで、人はだれでも知っているけれども、まことにこれを大事とし、これを嘆く者は千万人に一人もいないのである。無常の死の現れ起こるのを見てはじめて、今まで仏道に疎遠であったことを恐れ、世事にのみ親近していたことを嘆くけれども先立った者ははかなく留った者がすぐれているように思って、昨日はあの事、今日はこの事といって、徒らに世間の欲望に縛られて、白馬の影が壁の隙間の向こうを一瞬によぎるように歳月の過ぎるのは速く、屠所に引かれる羊の歩みのような自分の運命を知らないで、空しく衣食の牢獄につながれ、徒らに名利の穴におち、死ねば三途の古里に帰り、生きては六道のちまたに輪回するであろう事、心ある人ならば誰か嘆かないでいられよう、誰か悲しまないでいられよう。
ああ、老少不定は娑婆の習い、会者定離は浮世の道理であるから、今はじめて驚くべきではないけれども、正嘉の初めの災害で世を早く去った人の有り様を見ると、あるいは幼い子をふりすて、あるいは年老いた親を後にとどめ置き、まだ壮年の年齢で黄泉の旅に趣く心のなかは、さぞかし悲しかったであろう。行く人も悲しみ、とどまる人も悲しむ。かの楚王が巫山の神女と交わした情を一片の朝の雲に残し、劉氏が仙女と契った思いを七世の子孫を見て慰めとした。しかし私のような者は何によって愁いを休めよう。「こうした木こりのような卑しい心の者だから、身には愁いの添わぬように」と歌った古人のことさえ思い出されて、末代の人の忘れがたみにもと、難波の藻塩草をかき集め、筆の跡を形ばかりしるしおくのである。
なんと悲しく、また痛ましいことか。我等は無始以来、根本の煩悩の酒に酔って六道・四生に輪回して、ある時は焦熱・大焦熱地獄の炎にむせび、ある時は紅蓮・大紅蓮の氷にとじこめられ、ある時は餓鬼道の飢渇の悲しみにあって、五百生の長い間、飲食の名をも聞くことができない。ある時は畜生道の、残害の苦しみをうけて、小さいものは大きなものに呑まれ、短いものは長いものに巻かれる。これを残害の苦しみという。ある時は修羅道の闘諍の苦しみを受け、ある時は人間に生まれて八苦を受ける。生・老・病・死・愛するものと別離する苦しみ・怨み憎むものに会う苦しみ・求めて得られない苦しみ・五陰から生ずる身心の苦しみ等である。ある時は天上界に生まれて五衰を受ける。
このように三界の間を車輪のように廻り、父と子のなかであっても、親は親であること、子は子であることを知らず、夫婦がめぐり会えたのに、めぐり会えたことを知らず。迷っていることは羊の眼に等しく、道理に暗いことは狼の眼と同じである。自分を生んだ母の由来を知らず、生を受けた我が身も死の終わりを知らない。ああ受け難い人界の生を受け、値い難い仏の聖教に値い奉ったことは、一眼の亀の浮木の穴にあったようなものである。このたび、もし生死のきづなをきらず、三界の籠を出られない鳥のようであったならば、どんなに悲しいことであろう。
ここに、ある智人が来てさとしていう。あなたの嘆くことはまさにそのとおりである。このように無常の道理を思い知り、善心を発すものは麒麟の角よりも稀である。この道理を覚らないで、悪心を起こすものは牛の毛よりも多い。あなたが早く生死の苦しみを離れ、菩提心を起こそうと思うのならば、私は最第一の法を知っている。志があるならばあなたのためにこれを説いて聞かせよう。
その時、愚人は座から起って手を合わせていう。私は日ごろ外典を学び、詩歌の道に心をよせ、まだ仏教のことを詳しくは知らない。願わくは上人、私のためにこれを説いてください。
その時、上人のいうには、あなたは伶倫のような耳と、離朱のような眼を借りて、心をしずめて私の教えを聞きなさい。あなたのためにこれを説こう。いったい、仏教は八万の聖教といって数多いけれども、諸宗の父母であることは戒律に及ぶものはない。それゆえインドには世親・馬鳴等の菩薩、中国では慧曠・道宣といった人達が、これを重んじた。我が国では第四十五代・聖武天皇の御代に、鑑真和尚がこの律宗と天台宗の両宗とを伝えて、東大寺の戒壇を建てた。それ以来、今日にいたるまで崇拝されて長い年月を経、日々に尊さを増している。
とりわけ極楽寺の良観上人は上一人より下万民に至るまで生身の仏と仰ぎ見ている。彼の振る舞いを見ればまことにそのとおりである。飯島の津で六浦の関米を取っては諸国に道を作り、七道に関所をかまえて、通る人ごとに銭を取って諸の河川に橋をかけた。慈悲は仏に等しく、徳行は先達よりも勝れている。あなたが早く生死を離れようと思うならば、五戒・二百五十戒を持ち、慈悲を深くして、物の命を殺さないで、良観上人のように道を作り橋をかけなさい。これが第一の法である。あなたは受持する意思があるかどうか。
愚人はいよいよ手を合わせていう。心して受持しようと思う。詳細に私のために説いてください。いったい、五戒・二百五十戒ということは私どものまだ知らないことである。委しく教えてほしい。
智人のいうには、あなたはあまりにも愚かである。五戒・二百五十戒ということは幼児もこれを知っている。しかしながら、あなたのためにこれを説こう。五戒とは一には不殺生戒、二には不偸盗戒、三には不妄語戒、四には不邪淫戒、五には不飲酒戒である。二百五十戒については、数が多いから一つ一つの説明は略すことにする。その時愚人は智人を礼拝して、うやうやしい態度でいう。私は今日より深くこの法を受持いたしましょう。
ここに私の年来の知人で、ある所に隠居している居士が一人おり、私の憂いを慰めるために訪れてきた。始めには過去が広漠として夢に似ている事などを語り、終わりには行く末の暗々として見定め難いことを語った。しばらく欝積を晴らし思いを述べたのち、私に問うていうには、ところで、人は世にある限り、だれでも後生を思うものだが、あなたはいかなる仏法を持って生死の苦しみを離れようと願い、また死者の後世を弔うのかと。
私は答えていう。先日ある上人が来られて、私のために五戒・二百五十戒を授けてくださった。まことに心肝に染めて貴く思う。私は良観上人の如く、及ばずながらも、悪い道を良くし、深い河には橋をかけたいと思うのである。
そのとき居士はさとしていう。あなたのやり方は志が貴いように見えて、実は愚かである。あなたが今いった法は、浅はかな小乗の法である。それゆえ仏は八種の譬喩を設け、文殊は又十七種の差別を述べたのである。あるいは小乗を螢火、大乗を日光に譬え、あるいは小乗を水精、大乗を瑠璃に譬えている。こういうわけで、インド、中国、日本の人師達にも、小乗を破折した文は多数ある。
つぎに戒律を守る者を尊重することについていえば、かならずしも人が敬うからといって、法が貴いのではない。それゆえ仏は「法に依って人に依らざれ」と定められたのである。
私の伝え聞くところでは、昔の持律の聖者の振る舞いは、殺といい収ということさえ嫌ってべつのことばにいいかえ、美人を見ては屍を想うほどであった。それなのに今の律僧の振る舞いを見ると、絹布を身にまとい、財宝を蓄え、利息を取って金を貸すことを仕事としている。教えと行いとがすでに相違している。だれがこれを信受できようか。つぎに道を作り橋をかけることは、かえって人々の嘆きになっている。飯島の津で六浦の関米を取ることから諸人の歎きは多い。諸国の七道の関所も旅人の迷惑となっているのは眼前の事実であるが、あなたはこれを見てはいないのか。
愚人は顔色を変えていう。あなたの智慧の程度でもって上人を謗り、その法を謗る何の理由もない。知っていうのか、愚かだからいうのか。まことに恐ろしいことだ。
その時、居士は笑っていう。ああ、あなたこそ愚かな人だ。かの宗の僻見を少々話そう。いったい教えには大乗と小乗とがあり、宗に権宗と実宗とを分けている。小乗の教えは釈尊が鹿野苑で説いた時には、人々を化城の扉に導いたけれども、霊鷲山で法華経の開顕があった後には、なんの利益もない教えとなった。
その時、愚人は茫然として居士に問うていう。文証も現証もまことにそのとおりである。それではいかなる法を受持すれば、生死の苦しみを離れ速やかに成仏できるのか。
居士はさとしていう。私は在家の身ではあるが、深く仏道を修行して、幼少から多くの人師の話を聞き、ひととおり経教をも開いて見ると、末代の我等のようなあらゆる悪業ばかりを積み重ねている凡夫のためには、念仏往生の教えに及ぶものはない。それゆえ慧心僧都は往生要集で「それ往生極楽の教行は濁世末代の人々の目と足である」といい、法然上人は諸経の要文を集めて選択集を著し、一向専修の念仏を弘めた。なかでも阿弥陀如来の四十八願は、諸仏の本願に超過して尊いものだ。始めの「無三悪趣」の願より終わりの「得三法忍」の願に至るまで、どの悲願もありがたいけれども、第十八願は殊に私どものために勝れている。また十悪・五逆の者を嫌わず、一念・多念をも選ばず皆救われる。それゆえ上一人より下万民に至るまで、この念仏宗を尊ぶことは、他宗と異なっている。また往生できた人も、どんなに多いことか。
その時、愚人のいうには、まことに小乗を恥じて大乗を慕い、浅い教えを捨てて深い教えにつくのは、仏教の道理のみではなく、世間の法でもある。私は早く念仏宗に移りたいと思う。くわしく、彼の宗旨について語ってほしい。彼の阿弥陀如来の悲願の中で、五逆・十悪の者でも選びすてないといっている五逆とは何のことか。十悪とは何か。
智人のいうには、五逆とは、父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身より血を出し、和合僧を破す。この五つの罪をいうのである。十悪とは、身業に三、口業に四、意業に三である。身業の三とは殺生・偸盗・邪婬、口業の四とは、妄語・綺語・悪口・両舌、意業の三とは、貪欲・瞋恚・愚癡、これを十悪というのである。愚人はいう。私の疑問は、いま氷解した。今日からは他力往生に頼みをかけよう、と。
ここに愚人がまたいうのには、非常に勢いの盛んな勝れた真言宗の行者がいる。この人も私の嘆きを慰めるために訪れてきて、始めには狂言綺語の道を示し、終わりには顕教や密教の法門を説いて、私に問うていう。いったい、あなたはいかなる仏法を修行し、いかなる経論を読誦しているのか。
私は答えていう。自分は先日ある居士の教えによって浄土の三部経を読み、西方極楽の教主に頼みを深くかけている。
行者はいう。仏教に二種ある。一には顕教、二には密教である。顕教の極理は密教の初門にも及ばないといわれている。あなたの執着している法を聞けば、釈迦の説いた顕教である。我が所持の法は大日如来の秘法である。まことに三界の苦しみを恐れ、常寂光の国土を願うならば、当然顕教を捨てて密教につくべきである。
愚人は驚いていう。私はまだ顕密二道ということを聞いたことがない。いかなる教えを顕教といい、いかなる教えを密教というのか。
行者はいう。私は道理にくらく、すこしの学才もない。そうであっても、今、一、二の文を挙げて、あなたの矇昧を開くとしよう。顕教とは舎利弗等の願いによって、応身如来が説かれた諸教である。密教とは自受法楽のために、法身仏たる大日如来が金剛薩埵を所化として説かれた大日経等の三部の経である。
愚人はいう。まことに仰せのとおりである。過去のあやまちを改めて、すぐれた教えにつこうと思う。
またここに、浮き草のように諸国を回り、蓬のように各地に転ずる非人が、いつとも知れぬ間に来て、門の柱に寄り立って黙ってほくそ笑んでいる。怪しんで尋ねるのに、始めは何もいわない。後に強いて尋ねた時、彼のいうには、月は蒼々と照り、風は忙々と吹くと。姿形は常人と異なり、言語もまた通じない。よくよく尋ねてみるとこれは当世の禅法であった。私はかの人の有り様を見、その言語を聞いて仏道の良因を尋ねた。その時、非人のいうには、経典の教えは、月をさす指であり、仏の施設した教網によるのは言語にとらわれた迷妄である。自分の心の本分に立ち戻ろうとして説かれた法は、その名を禅というのであると。
愚人はいう。ぜひとも私はその教えを聞きたいと思う。
非人はいう。本当にその志が深いのならば、壁に向かい坐禅して本心の月を澄まさせなさい。この禅はインドでは二十八祖が乱れず伝承し、中国では六祖の相伝が明白である。あなたはこれを知らないで、教網にかかっている。まことにあわれむべきである。この心はそのまま仏、心に即して仏があるのだから、この身の外にさらに別に仏があるわけがない。
愚人はこのことばを聞いてつくづくと諸法を観じ、静かに道理を考えていう。仏教は万差であって理非を明らかにすることは難しい。そうであるからこそ、常啼菩薩は東に法をたずね、善財童子は南に教えを求め、薬王菩薩は臂を焼いて供養し、楽法梵志は身の皮を剥いで紙とした。善知識に値うことはまことに難しい。あるいは経典によるべきだと説き、あるいは真理は教外にあるという。この理非を判別しようとしても、まだ教義の奥底を極めずに仏法を見る者は深淵の思いをいだき、人師に対しては薄氷を踏むような頼りない思いになっている。このことから仏の金言には「法に依って人に依らざれ」と定め、また仏道を得る者の少なさを爪の上の土に譬えている。もし仏法の真偽を知る人であれば、尋ねて師とし、求めて崇めよう。
いったい、人界に生を受けることは、天上より糸を下して地上の針の穴にとおす難しさに譬え、仏法を見聞することの難しさは、一眼の亀の浮木の穴にあうのと同じであると説く。身を軽んじて法を重んじなければならないと思ったので、衆山に登り、悲嘆の気持ちに引かれるままに諸寺を巡り歩いた。足にまかせて一つの巌窟に行きついたところ、後ろには青山が高くそびえ立ち、松風は常楽我浄をかなで、前には碧水がゆったりと岸に波うって四徳波羅蜜を響かせている。深谷に一面に開いた花も中道実相の色を現し、広野にほころびはじめた梅も一念三千の薫をそえている。言語では表現できず、心の働きを越えた境界である。商山の四皓のいた所ともいうべきか。また古仏の修行された跡かも知れない。めでたく美しい雲は朝にたち、不思議な光は夕べに現れる。ああ、なんと心で推し量ることもできず、ことばでのべることもできない。
私はこの界隈を深く思い沈みながらさまよい歩き、たたずみしているところに、にわかに一人の聖人がおられるのを見かけた。その様子を拝すれば、法華読誦の声は深く心肝に染み、静かな窓の戸から中の様子をうかがえば、深遠な教義の研鑽に精魂を注ぐ姿があった。
その時、聖人は私の仏道を求める志をくみとって、ことばを和らげ問うていうには、あなたは何のためにこの深山の岩屋にきたのか。私は答えていう。生を軽んじて法を重んずるためである。聖人は問うていう。その修行の方法は何か。私が答えていうには、もとより私は世俗に交わってきたので、まだ生死を離れる道をわきまえない。たまたま善知識にあって始めには律、次には念仏・真言そして禅、これらの教えを聞いたけれども、まだ真偽をわきまえることができない。
聖人はいう。あなたのことばを聞けば、まことにそのとおりである。身を軽んじて法を重んずるのは先聖の教えであり、自分も存じているところである。いったい、上は非想天のある雲の上から、下は那落の底に至るまでも、生を受けて死をまぬかれる者があるだろうか。それゆえ外典の低い教えにも「朝に紅顔の美しさを世間に誇ったとしても、夕べには白骨となって郊原に朽ち果てる」とある。宮中に交わって黒髪も鮮やかに、風に舞う雪のように袂をひるがえしても、その楽しみを思えば夢の中の夢のようにはかないものである。山の麓、蓬の下が最終の栖となる。玉の台に上り、錦の帳に伏したとしても後世の道には何の助けにもならない。小野小町・衣通姫の花の姿も無常の風に散り、樊噌・張良のように武芸に達していても獄卒の杖の呵責をうけなければならない。
それゆえ、心ある古人は「ああ、鳥辺山の夕べに立つ火葬の煙よ。死者を送る人でさえ、いつまで生きながらえようか」「末の露も本の雫も皆落ちていく姿は、後れ先立つ違いはあってもだれもがやがては死ぬことの例である」と歌った。先亡後滅の道理は今初めて驚くべきことではない。ただひたすら願わなければならないのは仏道であり求めなければならないのは経教である。ところであなたのいうところの法門を聞けば、あるいは小乗、あるいは大乗であるが、位の高下はしばらく置くとしても、これらは還って悪道の業因である。
この時、愚人は驚いていう。釈尊一代の聖教はいずれも衆生を利益しようとして説かれた。始め七処八会で説かれた華厳経から、最後に跋提河のほとりで説いた涅槃経まで、いずれも釈尊の所説でないものはない。たとい一分の勝劣を判じたとしても、どうして悪道の因というべきであろうか。
聖人はいう。釈尊一代の聖教に権教があり実教があり、大乗があり小乗があり、また顕教・密教の二道に分かれ、その様相は同一ではない。そこで今その大略を示してあなたの迷いをあきらかにしよう。いったい、三界の教主釈尊は十九歳で伽耶城を出て檀特山に籠って難行苦行し、三十歳で成道する時に、三惑を一時に破し、無明の大夜がここに明けたので、当然本願に従って一乗妙法蓮華経を説くべきであったが、衆生の機縁は万差であり、その素質は仏乗を解することができなかった。そこで四十余年の間に衆生の機縁を調えて、後八箇年に至って出世の本懐である妙法蓮華経を説かれた。
それゆえ、仏の御年七十二歳の時、法華経の序分の無量義経に説き定めていうには「私は先に寂滅道場、菩提樹の下に端坐すること六年ののち、無上の正覚を成ずることを得た。仏眼で持って一切の諸法を観察した時、真実の悟りのままを説くことはできないと知った。その理由は何か。諸の衆生の性欲が不同であると知ったからである。性欲が不同であるから種々に法を説いた。種々に法を説くことは方便の力を用いた。この四十余年間にはまだ真実を顕していない」と。
この文の意は、仏は御年三十の時に寂滅道場、菩提樹の下に端座して、仏眼をもって一切衆生の心根を御覧になった時に、衆生の成仏の直道である法華経を直ちに説くわけにはいかなかった。そこで、にぎにぎして嬰児をあやすように、さまざまの方便でもって衆生を教化した四十余年の間は、まだ真実を顕していない、と年数を挙げて、青天に太陽の出現し暗夜に満月のかかるように、説き定められたのである。この文を見て、何で同じ信心をもって仏の偽りと説かれる法華経以前の権教に執着して、珍しくもない三界の元の家に帰ってよいものであろうか。
それゆえ、法華経巻一方便品第二には「正直に方便を捨て但無上道を説く」とある。この文の意味は法華経以前の四十二年間の経々、すなわちあなたの語るところの念仏・真言・禅・律を正直に捨てよ、というのである。この文に明白なうえに、重ねていましめて法華経巻二譬喩品第三には「但楽って大乗経典を受持し乃至余経の一偈をも受けざれ」とある。この文の意味は、年数などあれこれいう必要はない、結局、法華経以外の経を一偈でも受けてはならないということである。ところが八宗の所説は蘭菊と咲き乱れ、道俗の形も相違しているのに、一同に法華経を尊ぶという。それならばこれらの文をどのように考えているのか。「正直に捨てよ」といって余経の一偈をも受持するなと禁めてあるのに、あるいは念仏、あるいは真言、あるいは禅、あるいは律、これらは余経ではないというのか。
今この妙法蓮華経とは諸仏出世の本懐、衆生の成仏の直道である。それゆえ釈尊は付嘱をのべ、多宝如来は証明をなし、諸仏は舌相を梵天に付けて「皆是れ真実なり」とのべられた。この法華経は一字でも諸仏の本懐、一点でも多生の助けとなる。一言一語も虚妄のあるはずがない。この法華経の禁めを用いない者は諸仏の舌をきり、賢人聖人を欺く人ではないか。その罪は実に怖るべきである。
それゆえ法華経巻二譬喩品第三に「もし人が信じないでこの経を毀謗するならば、直ちに一切世間の仏種を断ってしまう」とある。この文の意味は、もしこの経の一偈一句をもそむく人は過去・現在・未来の三世十方の仏を殺した罪に相当すると定めているのである。経教の鏡でもって当世を映してみると、法華経に背いていない人は、まことに存在し難い。以上のことの心を考えると不信の人でさえ無間地獄をまぬかれない。まして念仏の祖師・法然上人は法華経を念仏に対比して抛てといっている。五千、七千巻の経教のいずれのところに、法華経を抛てという文があるのか。
念仏三昧を体得した行者・生身の阿弥陀仏と崇められた善導和尚は、五種の雑行を立てて、法華経を「千中無一」といって、千人が持ったとしても一人も仏になれないと主張した。経文には「もし法華経を聞く者があるならば、ひとりとして成仏しないことはない」と説かれて、この経を聞けば十界の依報正報は皆仏道を成ずると見えている。このゆえに五逆罪を犯した提婆達多は天王如来の記別を受け、成仏の器でない五障の竜女も、南方世界で速やかに成仏の姿を示したという。ましてまた、蛣蜣のような虫けらにも六即を立てて、いかなる機根も成仏の道に漏れることはない。善導のことばと法華経の文とはまことに天地雲泥である。いずれに付くべきか。とくにその道理を思うと、善導は諸仏や衆経の怨敵であり、聖僧や衆人の仇敵である。経文のとおりであるならば、どうして無間地獄をまぬかれることができようか。
この時、愚人は顔色を変えていう。あなたは卑しい身でもって、ほしいままにみにくいことばを吐く。悟っていうのか、迷っていうのか、道理にかなっているのか否かを弁え難い。おそれおおくも善導和尚は阿弥陀如来の応化、あるいは勢至菩薩の化身といわれている。法然上人もまたそうであって、善導の後身といわれている。むかしの先達であるうえに、行徳は他にぬきんでてすぐれ、智解は淵底を極めている。なんで悪道に堕ちたというのか。
聖人はいう。あなたがそういうのは当然である。自分も同様に尊敬し信仰していた。ただし仏法はみだりに人の貴賎によってはならない。ただ経文を先とすべきであり、身が卑しいからといってその法を軽んじてはならない。「人の生を楽い死を悪む有り、人の死を楽い生を悪む有り」の十二字を唱えた毘摩大国の狐は帝釈天の師と崇められ、「諸行無常」の十六字を説いた鬼神は雪山童子に貴ばれた。これはけっして狐と鬼神とが貴いのではない。ひとえに法を重んずるゆえである。それゆえ我らの慈父・教主釈尊は、雙林最後の御遺言である涅槃経の第六巻には「法に依って人に依らざれ」といって、普賢・文殊等の等覚已還の大菩薩が法門を説かれても経文によらなければ用いてはならないとある。
天台大師は「経典と合うものは記録してこれを用いよ。経典に文がなく義のない説は信受すべきではない」といっている。この釈の心は経文に根拠が明らかであるものを用いよ、文証の無いものは捨てよ、ということである。伝教大師は「仏説に依って、口伝を信じてはならない」といっている。前の釈と同意である。竜樹菩薩は「経典の正論に依って、経典の邪論に依ってはならない」といっている。この意味は経の中でも法華経以前の権教を捨てて、この経につきなさいということである。このように経文にも論文にも、法華経に対して諸余の経典を捨てよということは明らかである。ところが開元釈教録に挙げられた五千、七千の経巻に、法華経を捨てよ、ないしは抛てよと嫌うことも、また雑行の中に入れてこれを捨てよという経文も全く無い。それゆえ確実な経文を考え出して、善導・法然の無間地獄の苦を救うがよい。
今の世の念仏の行者、ならびに在俗の男も女も、経文に相違するばかりでなく、また師の教にも背いている。五種の雑行といって、念仏を称える人が捨てなければならないことを記した善導の釈がある。その雑行とは法然の選択集に「第一に読誦雑行とは、上の観経等の往生浄土の経を除いてそれより外、大乗小乗・顕教密教の諸経を受持読誦することを、ことごとく読誦雑行と名づける。(中略)第三に礼拝雑行とは、上の阿弥陀如来を礼拝することを除いてそれより外、一切の諸余の仏・菩薩等及び諸の世天に対して礼拝恭敬することを、ことごとく礼拝雑行と名づける。第四に称名雑行とは、上の阿弥陀如来の名号を称えることを除いてそれより外、一切の仏・菩薩等及び諸の世天等の名号を称えることを、ことごとく称名雑行と名づける。第五に讃歎供養雑行とは、上の阿弥陀如来を除いてそれより外、一切諸余の仏・菩薩等及び諸の世天等を讃歎し供養することを、ことごとく讃歎供養雑行と名づける」とある。
この釈の意味は、第一の読誦雑行とは、念仏を称える出家在家の男女の読むべき経があり、読んではならない経があると定めたのである。読んではならない経とは法華経・仁王経・薬師経・大集経・般若心経・転女成仏経・北斗寿命経、とりわけ普通に諸人に読まれる法華経八巻の中の観世音菩薩普門品、これらの諸経の一句一偈でも読むならば、たとい念仏を志す行者であっても雑行の中に入れられて往生できないというのである。私が愚眼でもって世間を見ると、たとえ念仏を称する人であっても、これらの経々を読む人は多く、師に敵対して七逆罪を犯す者となってしまっている。
また第三の礼拝雑行とは、念仏の行者は弥陀三尊より外は、上に挙げられた諸仏・菩薩・諸天善神を拝むことを礼拝雑行と名づけ、またこれを禁じた。しかしながら、日本は神国として伊奘諾・伊奘册の尊がこの国を作り、天照大神がおでましになって、御裳濯河の流れは久しくして今まで絶えたことがない。どうしてこの国に生を受けて、神々を崇敬してはならないという邪義を用いるべきであろうか。また大空の下に生まれて日月星の恩を身に受けながら、まことに日月・星宿を破すとはもっとも恐れ多いことである。
また第四の称名雑行とは、念仏を称える人は、称えるべき仏・菩薩の名号があり、称えてはならない仏・菩薩の名号がある。称えるべき仏・菩薩の名号とは、弥陀三尊の名号であり、唱えてはならない仏・菩薩の名号とは釈迦・薬師・大日等の諸仏、地蔵・普賢・文殊・日月星、二所と三嶋と熊野と羽黒と、天照大神と八幡大菩薩とである。これらの名号を一遍でも称えた人は念仏を十万遍・百万遍称えたとしても、この仏・菩薩・日月神等の名号を称えるあやまちによって、無間地獄には堕ちても極楽往生はできないというのである。私が世間を見ると、念仏を称える人もこれらの諸仏菩薩・諸天善神の名号を称えているゆえに、これまた師の教えに背いている。
第五の讃歎供養雑行とは、念仏を称える人が供養すべき仏は弥陀三尊であり、その外は上に挙げられた仏・菩薩・諸天善神に香華を少しでも供養する人は、念仏の功徳は貴いけれども、このあやまちによって雑行の者になるとしてこれをきらう。ところが世間を見ると、神社に参詣しては幣帛を捧げ、寺院に入っては礼拝する。これまた師の教えに背いている。あなたがもし不審ならば選択集を見なさい。その文は明白である。また善導和尚の観念法門経には「酒肉五辛を誓って発願して手にとってはならない。口に入れてはならない。もしこのことばに相違すれば、身口ともに悪瘡を病むであろうと誓願せよ」とある。この文の意味は念仏を称える男女・尼法師は酒を飲んではならない。魚鳥を食べてはならない。その外、にら、ひる等の五つの辛く臭い物を食べてはならない。これを守らない念仏者は今生には悪瘡が身に出で、後生には無間地獄に堕ちるというのである。それなのに、念仏を称える男女・尼法師等は、このいましめをかえりみず、ほしいままに酒をのみ魚鳥を食している。これは自ら剣を飲む譬のようなものではないか。
そこで愚人はいう。まことにこの法門を聞くと、たとえ念仏の法門は実に往生できるとしても、その振る舞い、修行は難しい。ましてかの頼りとする経論は、皆権経である。往生できないことは明らかである。
ただし、真言宗を破すことはその根拠がない。いったい、大日経とは大日如来の秘法である。大日如来から系統も乱れず、善無畏・不空とこの秘法を伝え、弘法大師は日本に金剛界・胎蔵界両部の曼陀羅を弘めた。これは尊高の三十七尊を描いた秘奥の法である。したがって顕教の極理はなお密教の初門にも及ばない。このゆえに智証大師は、「法華経もなお及ばない。ましてその他の教はいうまでもない」と釈している。このことはどのように心得るべきなのか。
聖人は示していう。自分もはじめは大日如来を頼みとして、真言宗に志を寄せていた。しかしながら真言宗の奥底を究めてみると、その立義もまた謗法である。あなたのいわれる弘法大師は嵯峨天皇の御世の人師である。しかるに帝から仏法の浅深を判釈せよとの勅命を受けて、十住心論十巻を造った。この書は広博なので、肝要を取って三巻に縮め、その名を秘蔵宝鑰と名づけた。始めの異生羝羊心から、終わりの秘密荘厳心に至るまで十に分別して、第八を法華、第九を華厳、第十を真言と立てて、法華経は華厳にも劣るので、大日経に対しては三重にも劣っていると判じて「このような経教は、みずからは仏乗と名づけるけれども後に望めば戯論となる」と書いて、法華経を狂言綺語といい、釈尊を無明に迷っている仏と下した。これによって伝法院を建立した弘法の弟子・正覚房は「法華経は大日経の履物とりにも及ばない。釈迦仏は大日如来の牛飼にも達していない」と書いた。あなたは心をしずめて聞きなさい。釈尊一代の五千七千の経教、外典三千余巻にも、法華経は戯論、三重の劣、華厳経にも劣り、釈尊は無明に迷っている仏で、大日如来の牛飼にも達していないという確かな文証があるのか。たとえ、そういう文証があるといってもよくよく考えるべきである。
釈尊の経教は、インドから中国に伝わった時に、訳者の意向にしたがって経論の文が一定しなかった。そこで後秦の羅什三蔵は「私が漢土の仏法を見ると、多くは梵本に相違している。私の訳した経にもし誤りがなければ、私が死んで火葬にする時、身は不浄なので焼けるとしても、舌ばかりは焼けないであろう」とつねに語っていたが、死後、果たして身は焼かれて皆骨となってしまったが、舌ばかりは青蓮華の上に光明を放ち、太陽の光を奪うほどであった。有り難いことである。かくてこそ、ことさら、かの羅什三蔵の翻訳した法華経は中国にやすやすと弘まったのである。それゆえ延暦寺の伝教大師が諸宗を責めた時に「法華経が正しいということは、訳した羅什三蔵の舌が焼けなかった験がある。あなた達の依経は皆誤っている」と破折したのはこのことをいう。
涅槃経にも「我が仏法が他国へ移る時誤りが多いであろう」と説かれたので、経文にはたとえ法華経は無益なこと、釈尊は無明に迷っている仏であるとあったとしても、権教・実教、大乗・小乗、説法時の前後、翻訳者等をよくよく調べるべきである。いわゆる老子や孔子は九思一言、三思一言といい、周公旦は食事中に三度口中の食を吐き、髪を洗うに三度髪をにぎったという。外典の浅い書でさえ、なおこのように深く注意するのであるから、まして内典の深義を学ぶ人はいうまでもない。そのうえ法華経が大日経に劣るという義は、経にも論にも跡形もないことである。「人を毀り、法を謗ずるならば悪道に堕ちる」とは弘法大師の釈である。必ず地獄に堕ちることは疑いない者である。
ここに愚人は茫然とし、また悲しんでいたが、ややしばらくしてからいう。この弘法大師は内外の明鏡・衆人の導師である。徳行は世に勝れ、名誉はあまねく聞こえて、あるいは中国から三鈷を投げると、八万余里の海上を越えて日本に至ったといわれ、あるいは般若心経の経旨を書いて疫病を止め、蘇生した者が道にあふれたという、それゆえにこの人は凡人ではない。仏が仮に姿を変えてこの世に現れた化身である。仰いで信じなければならない。
聖人はいう。自分も初めはそのように思った。しかし仏道に入って理非を考えてみると、仏法の邪正はけっして神通自在の力にはよらない。このゆえに、仏は「法に依って人に依らざれ」と定められた。前に示したとおりである。かの阿伽陀仙人は恒河の水を片耳に湛えて十二年、耆兎仙人は一日のうちに大海を呑み干す。張階は霧を吐き欒巴は雲を吐く。しかしながら彼らはまだ仏法の是非も知らず因果の道理をも弁えない。中国の法雲法師は法華経を講説した時に、たちどころに天から華をふらせたが、妙楽大師は「感応はそのようにあっても、説くところはなお道理に称っていない」といって、まだ真実の仏法を知らないと破折された。
さて、この法華経というのは已今当の三説を嫌って、法華経已前の経は「未顕真実」と打ち破り、同時の無量義経は「今説」の文をもって責め、已後の涅槃経は「当説」の文をもって破る。まことに已今当の三説の中で第一の経である。法華経巻四法師品第十に「薬王、今あなたに告げる。私の所説の諸経の中において、法華経は最も第一である」と。この文の意味は霊山会上で薬王菩薩という菩薩に仏が告げていうには「始め華厳経より終わり涅槃経に至るまで無量無辺の経があって、恒河の沙のように数が多い。その中にはこの法華経が最も第一」と説かれている。ところが弘法大師は一の字を三と読まれたのである。
同巻見宝品第十一に「私が仏道を広めるために、無量の土において、始めより今に至るまで、広く諸経を説く、しかしその中において、この経は第一である」と。この文の意味は、また釈尊が無量の国土にあって、あるいは名字を替え、あるいは寿命を不同になし、種々の形を現じて、説かれた諸経の中で、この法華経を第一と定められたのである。同じく法華経巻五安楽行品第十四には「法華経は最もその上にある」とのべて、大日経・金剛頂経等の無量の経典の頂上にこの経はあるのであると説かれたのを、弘法大師は「最もその下にある」と思ったのである。釈尊と弘法と、法華経と秘蔵宝鑰とはまことに大きく相違している。釈尊を捨てて弘法につくべきか、また弘法を捨てて釈尊につくべきか。また経文に背いて人師のことばに随うべきか、人師のことばを捨てて仏の金言を仰ぐべきか。いずれを用い、いずれを捨てるか、よく判断しなさい。
また法華経巻第七薬王菩薩本事品第二十三には十種の譬喩を挙げて法華経の教えを讃嘆している。
第一は水の譬である。江河を諸経に譬え、大海を法華経に譬えている。ところが大日経は勝れており、法華経は劣っているという人は、大海の水は江河の水よりも少ないという人である。しかるに今の世の人は海は諸河に勝ることを知っているけれども、法華経の第一であることはわからない。
第二は山の譬である。衆山を諸経に譬え、須弥山を法華経に譬えている。須弥山は水底より高さ上下十六万八千由旬の山である。何れの山も肩を並べることはできない。法華経を大日経に劣るという人は、富士山は須弥山より大きいという人である。
第三は星と月の譬えである。諸経を星に譬え、法華経を月に譬える。月と星とは何れが勝っていると思うのか。これらの譬喩を挙げたあとに「法華経もまたこのとおりである。一切の如来の所説、もしくは菩薩の所説、もしくは声聞の所説、これらの諸の経法の中で、最もこの法華経が第一である」といって、この法華経はただ釈尊一代の第一と説かれているのみでなく、大日及び薬師・阿弥陀等の諸仏、普賢・文殊等の菩薩の一切の所説・諸経の中で、この法華経が第一と説いている。それゆえ、もしこの経に勝っているという経があるというならば、それは外道天魔の説と知るべきである。
そのうえ、大日如来という仏は久遠実成の教主釈尊が四十二年間、和光同塵して衆生の機根に応ずる時、三身即一の如来がしばらく法身仏を示したのである。このゆえに実相を開顕した時には、釈尊が衆生の機根に応じて変現した一応化身と見られるのである。このゆえに、普賢経には「釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名づけ、其の仏の住処を常寂光と名づく」と説いている。
今、法華経は十界互具・一念三千・三諦即是・四土不二を明かし、そのうえに、一代聖教の骨髄である二乗作仏・久遠実成は法華経に限る法門である。あなたのいう大日経・金剛頂経等の三部の秘経にこれらの大事が説かれているか。善無畏・不空等は、これらの大事の法門を盗み取って、自分の依経の眼目としたのである。もともとの経や論には迹形もない誑惑である。急ぎ急ぎこれを改めるべきである。
いったい、大日経とは蔵通別円の四教が含まれていて、小乗の尽形寿の戒等を明かしているから、中国の人師が天台大師所立の第三方等部の経であると定めた権教である。なんともあさましいことではないか。あなたがまことに求道心があるならば、急いで過去のあやまちを悔いるべきである。さて所詮の極理を考えてみると、この妙法蓮華経こそは釈尊一代の観心の法門を一念におさめ、十界の依正を三千におさめているのである。
そこで愚人は少し顔色を和げていう。経文は明鏡であるから疑いをはさむことはできない。ただし、法華経は已・今・当の三説に秀で一代聖教の中で最も勝れているといっても、言説に制約されず経文に留まらない我らの心の本分を究める禅の一法にもかなうものではない。およそ万法を払い棄て、言語の及ばない境界を禅法と名づけたのである。
それゆえ、跋提河の辺り、沙羅林の下で釈尊が金棺から出て、拈華微笑してこの法門を迦葉に付属してからこれまで、インドでは二十八祖の系統の乱れなく継承し、中国では六祖が次第に相伝して弘通したのである。達磨はインドにあっては二十八祖の終わりであり、中国にあっては六祖の始めである。相伝を失わず、経網に滞ってはならない。
このゆえに大梵天王問仏決疑経には「私には正法眼蔵涅槃妙心実相無相微妙の法門がある。教外に別に伝え、文字を立てず、摩訶迦葉に付属する」とあり、迦葉にこの禅の一法を教外に伝えたと見えている。すべて仏の経教は月をさす指であり、月を見て後では指は不用である。心の本分たる禅の一理を知った後は、仏の教えに心を留めるべきであろうか。それゆえ、古人は「十二部経はすべて無用の文字である」といっている。したがって、この宗の六祖慧能の壇経を開いて見ると、まことにそのとおりである。一言の下に心性にかない真理を会得した後は、教は不用である。この理をどのように考えればよいのか。
聖人はさとしていう。あなたはまず法門をさし置いて、道理を考えてみなさい。いったい、釈尊一代の大綱を学ばず、十宗の奥義を究めないで、国を諌め、人を教えることができるだろうか。あなたの語った禅については、私は前々から習い極めており、その至極の道理を見ると、はなはだしく誤っている。禅に三種ある。すなわち如来禅と教禅と祖師禅である。あなたの語った祖師禅の一端を示すから、よく聞いてその大旨を知りなさい。
もし教を離れて法門を伝えるというならば、教を離れて理はなく、理を離れて教はない。理はそのまま教であり、教はそのまま理であるという道理をあなたは知らないのか。「拈華微笑して迦葉に付属した」というのも教である。「不立文字」という四字もまさしく教であり、文字である。このことは日本でも中国でも言い古されていて、今いうと、ことさらめいているようではあるが、一、二の文を示してあなたの迷いを払うことにしよう。
補註巻十一には「またもし言説にこだわるのがいけないというならば、しばらくの間も娑婆世界は何によって仏事をなすのか。禅徒も言説によって人に教えを示さないのであろうか。文字を離れて解脱の義を語ることはできないし、どうして聞くことができようか」といい、また次に「達磨がインドから来て、直指人心・見性成仏を説いたという。しかし華厳等の諸大乗経にこの事が明かされていないというのか。ああ、世人はなんと愚かなのであろう。あなた達は必ず仏の所説を信ずべきである。諸仏如来の言葉に虚妄はない」とある。
この文の意味は、もし教文にこだわり、言説にとらわれるといって、教えの外に修行するというのであれば、この娑婆世界ではどうして仏事・善根をなすことができるだろうか。そのようにいう禅宗の者でさえも人に教える時はことばを用いずに教えることはできないであろう。さらに仏道の悟りを伝えるとき、文字を離れてその義を説くことはできない。また達磨がインドから来て、直ちに人心を指して仏であるといった。これぐらいの理は華厳経・大集経・大般若経等の法華経已前の権大乗経にもいろいろなところに説かれている。これをとくに勝れたこととするのは、全くいうだけの価値のないことである。ああ、今の世の人はどうしてこうもひどくゆがんだ見方をするのか。ただ中道実相の理を体得した妙覚果満の如来の真実のことばを信ずべきである。
また妙楽大師の弘決の一には、この道理を説いて「世人が仏の教えを軽視してただ理観を尊ぶのは誤りである」と述べている。この文の意味は、今の世の人々は観心・観法を主体として、経教を尋ね学ぼうとしないで、かえって教をあなどり、経を軽んじている。これは誤りであるという文である。
そのうえ、今の世の禅宗の人は自分の宗旨にさえ迷っている。続高僧伝を開いて見ると、禅宗の初祖達磨大師の伝記には「教によって宗を悟る」とあり、釈尊一代の聖教の道理を習学して法門の趣旨や各宗の法門を知らなければならないというのである。また、達磨の弟子で六祖の中の第二祖慧可の伝記には「達磨禅師が四巻の楞伽経を慧可に授けて『私がこの中国の地相を観ると、ただこの経のみが適している。あなたがこれによって修行するならば、おのずから世を済度することができるであろう』といった」とある。この文の意味は、達磨大師がインドから中国に来て、四巻の楞伽経を慧可に授けていうには、自分がこの国をみると、この経がとりわけて勝れている、あなたはこれを受持し修行して仏に成りなさい、ということである。
これらの祖師はすでに経文を第一としている。もしこのことから、経文に依るというならば、その経は大乗か小乗か、権教か実教かをよくよく弁別すべきである。あるいは経を用いる場合には、禅宗も楞伽経・首楞厳経・金剛般若経等によっている。しかしこれはみな法華已前の権教であり、真実を覆い隠した経説である。ただ諸経に「是心即仏・即心是仏」等の理の一面を説いた一、二の文と句とに迷って、大乗と小乗、権教と実教、顕露と覆蔵などの相違をすこしも尋ねず、ただ不二の義だけを立てて而二を知らず、「自分を仏と等しいと思う」大慢心を起こしているのである。これはインドの大慢バラモンの跡を継ぎ、中国の三階禅師の古風を追うものである。そうではあるが、大慢バラモンは生きながら無間地獄に堕ち、三階禅師は死んでから大蛇となった。まことに恐ろしいことである。
釈尊は三世を了達された明らかな智解と、妙覚果満の清らかな智慧の光でもって未来を鑑みられ、像法決疑経に「諸の悪比丘があるいは禅を修行する者は、経論によらずに、自分だけの見解に執着して非を是とし是を非として、正邪を分別することができず、あまねく僧俗に向かって、自分だけが正しい法門を知り、悟っているという。正しく知りなさい。この人はすみやかに我が法を滅ぼすのである」と記されている。この文の意味は、諸の悪比丘が禅を信仰して、経論をも尋ねず、邪見を根本として、法門の是非を弁えないで、しかも男女・尼法師等に向かって、自分こそはよく法門を知っているが他の人は知らない、といってこの禅を弘めるであろう、正しく知りなさい、この人は我が正法を滅ぼすであろう、ということである。この文によって当世を見る時、ちょうど符契のように合うのである。あなたも慎み畏れなければならない。
いったい、今の法華経を説かれた時に、利益を受けた人々の中で、迹門の百界千如・一念三千が明かされた時に、敗種の二乗は仏種を萠した。四十二年の間は永不成仏と嫌われて、いたるところの集会で罵詈誹謗の声のみを聞き、人界や天界の衆生に疎まれて、既に飢え死にするばかりであった人々も、今の経に来て舎利弗は華光如来・目連は多摩羅跋旃檀香如来・阿難は山海慧自在通王仏・羅睺羅は蹋七宝華如来・五百の羅漢は普明如来・二千の声聞は宝相如来の記別を受けたのである。本門で顕本遠寿が明かされた時には、無数の菩薩が悟りを深めて等覚の位にのぼった。
それゆえ天台大師の釈を開き見ると、「他経には菩薩は仏になると説いて二乗の得道は永遠にない。善人は仏になると説いて悪人の成仏は明かさない。男子は仏になると説いて女人は地獄の使いと定めている。人天は仏になると説いて畜類は仏になるとは説かない。ところが今の経はこれらが皆仏になると説く」とある。頼もしいことである。末代濁世に生を受けたけれども、提婆達多のように五逆罪をも造らず、三逆罪をも犯さない。しかしそれを犯した提婆達多でさえなお天王如来の記別を得たのである。まして犯さない我等の成仏は疑いないのである。八歳の竜女はすでに蛇身を改めないで南方に妙果を証得した。まして人界に生を受けた女人の成仏はまちがいない。
ただ得難いのは人身であり、値い難いのは正法である。あなたも早く邪法への信を翻して正法に付き、凡夫を転じて聖果を証得したいと思うならば念仏・真言・禅・律を捨てて、この一乗妙典である法華経を受持すべきである。もしそうであるならば、虚妄に染められた生命の塵芥を払つて清浄の覚体を得ることは疑いないのである。
そこで愚人はいう。今、聖人の教誡を聞いて、日ごろの迷いはたちまちに晴れた。天性の発する明智とでもいうべきであろう。理非が明らかであるから、だれが信仰しないでいられようか。ただし世間をみると上一人より下万民にいたるまで念仏・真言・禅・律を深く信受している。しかも、この国土に生を受けながら、どうして王命にそむくことができようか。そのうえ、私の親も先祖も、みな念仏等の法理を信じて亡くなったのである。
また日本には上下の人数がどれほどあろうとも、権教権宗の者は多く、この法門を信ずる人はまだその名さえ聞いていない。したがって死後の世界の善悪はともかく、法の邪正もしばらくさしおいて、仏典の五千七千の多きも、外典三千余巻の広きも、ただ主君の命に従い、父母の心に叶うことが肝要とされている。それゆえ、教主釈尊はインドに出現して孝養報恩の理を説き、孔子は中国に生まれて忠孝を尊崇する道を示した。師の恩を報ずる人は肉を割き、身を投げた。主の恩を知る人は、たとえば弘演は腹を割き、予譲は剣を呑んだ。親の恩を思う人は、たとえば丁蘭は木像に刻み、伯瑜は打たれた杖に母の衰えを知って泣いた。儒教・外道・内道と道は異なるけれども、報恩謝徳の教えはかわることがない。
それゆえ、主師親のまだ信じていない法理を、自分が初めて信ずることは確かに違背の罪に陥るであろう。しかし、法門の道理は経文に明白であるから、疑いはすべてなくなった。後生を願わなければ、来世は悪道の苦悩に沈むであろう。進退はまったくきわまってしまった。自分はどうしたらよいのであろうか。
聖人はいう。あなたはこの法理を知りながら、まだこのようなことをいう。道理が通じないのか、心が及ばないのか。私は釈尊の遺法を学び、仏法を身に入れたときからこれまで、恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一としてきた。
世の中には四恩がある。これを知る者を人倫と名づけ、知らない者を畜生という。私は父母の後生を助け、国家の恩徳を報じようと思うゆえに身命を捨てることは、他のためではなくただ知恩を大切に思うからにほかならない。
まずあなたは目を閉じ、心を静めて道理を思いなさい。自分は善道を知りながら、親と主君とが悪道に堕ちるのを諌めないであろうか。また愚人が狂うほどに酔って、毒を飲もうとするのを知りながらこれを制止しないであろうか。そのように、法門の道理を知り、火・血・刀の苦を知りながら、どうして恩を受けた人が悪道に堕ちるのを嘆かないでいられようか。身をも投げ、命をも捨てて諌めるべきである。どれほど諌めても十分ではなく、嘆いても限りはない。今世に眼に映る苦しみさえなお悲しむ。まして永劫にわたる冥途の悲しみを嘆かないでいられようか。まことに恐れるべきは後世であり、まことに慎むべきは来世である。
そうであるのに、是非を説かないで、親の命に随い、邪正を簡ばないで、主君の仰せに従うということは、愚癡の者には忠孝のように見えても、賢人の心によればこれに過ぎる不忠不孝はない。
それゆえ、教主釈尊は転輪聖王の末裔、師子頬王の孫、浄飯王の嫡子として五天竺の大王となるであろうといわれたけれども、生死無常の理を悟り、出離解脱の道を願ってこの世を厭われたので、浄飯大王はこれを嘆き、四方に四季の有り様を造って太子の御心を引き留めようと考えられた。
まず東には、霞たなびく絶え間から、雁が北の方に帰り、窓の梅の香が玉簾の中に通い、たおやかな花の色、鶯のさえずる春の景色を顕した。南には、泉が白々と涌き、清らかな川辺には卯の花が咲き、信太の森のほととぎすでもって夏の景色を顕した。西には、紅葉が常葉に交わって、さながら錦を織りなし、荻の花を吹く風はのどかで、松を吹き渡る嵐はすさまじい。過ぎ去った夏の名残りには、沢辺に見える螢の光を天空の星かと思い誤り、松虫・鈴虫の鳴く声が涙をさそう。北には、いつしか冬景色となって枯野の色が物憂く、池の汀には氷が張って、谷の小川の音も寂しい。
このような有り様を造って、御心を慰めようとされただけでなく、四門に五百人ずつの兵士を置いて守護されていたけれども、ついに太子の十九という年の二月八日の夜半のころ、車匿を召して、金泥駒に鞍を置かせ、伽耶城(がやじょう)を出て檀特山に入り、十二年間、高山に薪をとり、深谷に水を汲んで難行苦行をなされ、三十歳の時、仏道を成就し、妙果を感得して三界の独尊、一代五十年の教主となって、父母を救い、衆生を導かれたのであるが、この釈尊を不孝の人といえようか。仏を不孝の人といったのは九十五種の外道である。父母の命に背いて無為の道に入り、還って父母を導くのが孝の手本であることは仏がその証拠である。
かの浄蔵・浄眼は父の妙荘厳王が外道の法に執著して仏法にそむかれていたけれども、父の命にそむいて、雲雷音王仏の御弟子になり、ついに父を導いて沙羅樹王仏という仏に成したことは不孝の人というべきであろうか。経文には「恩を棄てて無為に入るのが、真実の報恩の者である」と説いて、今生の恩愛をみな捨てて、仏法の真実の道に入るならば、この人はまことに恩を知っている人であるといわれている。
また主君の恩の深いことはあなたよりもよく知っている。あなたにもし知恩の志があるならば、どこまでも深く諌め、強く申し上げなさい。非道であっても主命に従おうとすることは、臣下としてへつらいの限りであり、不忠の極みである。
殷の紂王は悪王であるが比干は忠臣である。政治が道理に反しているのを見て強く諌めたので、即座に比干は胸を割かれて殺された。紂王は比干の死んだ後に周の武王に滅ぼされた。今の世までも比干は忠臣といわれ、紂王は悪王といわれる。夏の桀王を諌めた竜蓬は頸を斬られた。けれども桀王は悪王といわれ、竜蓬は忠臣といわれる。主君を三度諌めても用いないならば山林に隠れよという教えがあるではないか。どうして、その非道を見ながら黙ったままでいようというのか。
古の賢人が世をのがれて山林に隠れた先例を集めて、少々あなたの愚かな耳に聴かせよう。殷の世の太公望は皤渓という谷に隠れ、周の世の伯夷・叔斉は首陽山という山に籠り、秦の綺里季は商洛山に入り、漢の厳光は孤亭に住み、晋の介子綏は緜上山に隠れた。これらの人々を不忠というべきか。いうも愚かである。あなたに忠義の志があれば諌めるべきであり、孝行を思うならばいわなければならない。
あなたが前に、権教・権宗の人は多いがこの法華経の宗の人は少ない。どうして多数を捨てて少数に付くのかといった事について答えよう。
かならずしも数が多いから尊くて少ないから卑しいのではない。賢善の人は希で、愚悪の者は多い。麒麟や鸞鳳は鳥獣のなかで珍しく秀れたものである。しかし、これは非常に少ない。牛、羊、烏、鳩は鳥獣のなかでは卑しいものである。しかし、これは非常に多い。かならず多数が尊くて少数が卑しいならば、麒麟を捨てて牛や羊をとり、鸞鳳をさしおいて烏や鳩をとるべきであろうか。摩尼・金剛は金石の中で霊宝であるが乏しく、瓦礫・土石は無用のものであるが非常に多い。あなたのいうとおりであれば、玉を捨てて瓦礫を取るのであろうか。まことにはかないことである。
聖人の出現は希で千年に一度であり、賢人は五百年に一度である。摩尼珠は空しく名前を聞くのみである。麒麟や鸞鳳はだれも実際に見た者はいない。世間でも出世間でも、善人は少なく、悪人の多いことは眼前の事実である。それゆえ、どうして一概に少ないからといって卑しみ、多いからといって尊いとするのか。土沙は多いけれども米穀は希である。木皮は豊富であるけれども布絹はわずかである。あなたはただ正理を第一とすべきであり、ことに人数の多いことを根本として判断してはならない。
このとき愚人は席を下がり袂を正していう。まことに仏教の道理を承るのに、人間に生まれることは難しく、天上界から垂れた糸を海底の針の穴に通すよりも希であり、仏法は聞き難くて、一眼の亀が浮木に出遇うよりも難しい。今すでに得難い人界に生まれ、値い難い仏教を拝聴した。今生を空しく過ごしたならば、またいつの世に生死の苦しみを離れ、菩提を証得することができようか。一劫の間に多くの生を受け、その身骨は山よりも高いけれども、仏法のためにはまだ一骨をも捨てていない。何度も生まれ来て、恩や愛情にひかれて流す涙は海よりも深くなっているけれども、これまで後世のためには一滴をも落としていない。まことに拙く愚かであった。たとい身命を捨てても、今世の生を軽く見て仏道に入り、父母の菩提を助け、わが身の地獄の苦しみをも免れようと思う。よくよく教えを示していただきたい。
いったい、法華経を信ずるとは、どのように振る舞えばよいのか。五種の修行の中では、まず、どの行を修すべきか。くわしくあなたの教えを聞かせていただきたい。
聖人が教えを示していうには、あなたは善友に交わって麻のように素直な人となった。まことに葉の落ちた木は春になれば栄えて花が咲き、枯草は夏に入れば鮮やかな緑にうるおう。もし先非を悔いて正理に入るならば、静寂の深淵に遊泳して煩悩の波が騒がず、悟りの宮で安楽の境涯を送ることは疑いないであろう。
さて、仏法を弘通し、衆生を救うためには、まず、教、機、時、国、教法流布の前後を弁えなければならない。つぎに、その理由を示そう。時には正法・像法・末法があり、教法には大乗・小乗があり、修行には摂受・折伏がある。摂受の時に折伏を行ずるのも誤りであり、折伏の時に摂受を行ずるのも誤りである。それでは今の世は摂受の時か折伏の時か、まずこれを知るべきである。
摂受の修行は、この国に法華経だけが純一に弘まって、邪法邪師が一人もいない時のあり方であって、この時は山林に交わって観法を修し、五種・六種ないし十種等を行ずるのである。折伏の時はこのような時ではなく、諸経・諸宗の教義がさまざまに乱れ興り、それぞれが深遠な法門を立てて名声をほしいままにし、邪法と正法が肩を並べ、大乗と小乗とが勝劣を争う時は、万事をさしおいて謗法を責めるべきである。これが折伏の修行である。
この旨を知らないで、摂受・折伏の方法を誤るならば、成仏できないだけでなく、かえって悪道に堕ちるということは、法華経と涅槃経にたしかに説かれており、天台大師と妙楽大師の解釈にも明らかである。これこそ仏法を修行するうえの大事である。
たとえば、文武両道をもって天下を治めるには、武を第一とする時もあり、文を中心とする時もある。天下に何事もなく、国土の静かな時には文を第一とすべきである。東夷・南蛮・西戎・北狄が野心を抱いて蜂起した時には、武を第一とすべきである。しかし、文武の大切なことだけは知っていても、時を知らず、すべての国が平和であって世間に何事もない時、甲冑を着て武器を持つことも誤りである。また国を滅ぼそうとする敵の現れた時、戦場で武具を捨て置いて、筆や硯をたずさえることも、また時に相応しない。摂受・折伏の法門もまたこれと同じである。
正法だけが弘まり、邪法・邪師のいない時には、深谷にも入り、閑静な所にも住んで、経典の読誦・書写をもし、あるいは、観念観法に励むのもよい。これらは天下の静かな時に、筆や硯を用いるようなものである。しかし権宗、謗法の国にある時には諸事をさしおいて謗法を責めるべきである。これは合戦の場で武器を用いるようなものである。それゆえ章安大師は涅槃経疏巻八に「昔は時代が平和であり法が弘まったのであるが、そのような時には戒律を持つべきであり、武器を持ってはならない。今は時代が険悪で正法が隠れている。このような時には武器を持つべきであり、戒律を持ってはならない。今も昔も、時代が険悪ならば、ともに武器を持つべきである。今も昔も時代が平穏ならば、ともに戒律を持つべきである。その時にかなった取捨をすべきであって、一つだけに固定化してはならない」と記している。この釈の意味は明白である。
昔は世の中も素直で、人も正しく、邪法邪義はなかった。したがって、威儀を正し、穏やかに修行を積み、武器でもって人を責めることもなく、邪法をとがめることもなかったのである。
今の世は濁世である。人の心もひがみゆがんで、権教や謗法ばかりが多いので正法は弘まりにくいのである。この時には、読誦・書写の修行も、観念観法の工夫・修練も無用である。ただ折伏を行じて、力があれば威勢をもって謗法を破折し、また法門によって邪義を責めよということである。摂受・折伏の取捨についてはその趣旨を心得て一方に偏執してはならないと記している。
今の世を見て、正法の一純に弘まっている国か、邪法の盛んな国か、よく考えなければならない。
ところが浄土宗の法然は念仏に対して法華経を捨閉閣抛とよみ、善導は法華経を雑行と名づけ、そのうえ「千中無一」といって、千人信じても一人も得道する者はいないと書いている。
真言宗の弘法は法華経を華厳経にも劣る、大日経には三重の劣であると書き、戯論の法と定めている。正覚房は「法華経は大日経の履物取りにも及ばない」「釈尊は大日如来の牛飼いにもたりない」と批判している。
禅宗は法華経を吐き捨てたつばき、月をさす指、教えの網などとさげすんでいる。小乗律宗は法華経は邪教、天魔の所説と名づけている。これらは謗法ではないか。どこまで責めても責めたりないし、どれほど禁めてもたりないのである。
愚人はいった。日本の六十余州、それぞれの国によって人は変わり法は異なるといっても、あるいは念仏者、真言師であったり、あるいは禅、あるいは律などに帰依しており、まことに一人として謗法でない人はいない。しかし、他人のことをあれこれ非難してもしかたがない。ただ、自分の心中に深く正法を信受して、他人の誤りにはかかわらないことにしようと思う。
聖人はさとしていう。あなたのいうことはまことにもっともである。私もそう思っていたが、経文には、あるいは「身命を惜しまず」とも、あるいは「むしろ身命を喪うとも」とも説かれている。なぜこのように説かれるのかというと、他人を恐れず、経文のとおりに法理を弘通すれば、謗法の者の多い世には、かならず三類の敵人が現れて、身命も危険になると書かれているのである。彼らの仏法の誤りを見ながら、自らも責めず、また国主にも訴えないならば、仏の教えに背いて仏弟子ではないと説かれている。
涅槃経巻三には「もし善比丘がいて仏法を壊る者を見て放置して、叱責せず、追放せず、処断しなければ、この人は仏法のなかの怨敵であると知るべきである。もし、よく追放し、叱責し、処断するならば、この人は仏弟子であり、真の声聞である」と説かれている。
この経文の意味は、仏の正法を弘めようとする者は、経教の義を誤り説く者を聞き見ながら、自らもこれを責めず、もし自身の力が足りなければ国主に申し上げてでも対処しなければ仏法中の敵である。もし経文のとおりに他人をも恐れず、自らもこれを責め国主にも訴える人は仏弟子であり、まことの僧であると説かれている。
それゆえ「仏法の中の怨敵」の罪をまぬかれようとして、このように諸人に憎まれても命を釈尊と法華経に奉り、慈悲を一切衆生に与えて謗法を責めるのであるが、この心を理解できない人はののしり眼をいからせるのである。あなたも、まことに後世を恐れるならば、身命を軽んじ法を重んじなさい。このことを章安大師は「むしろ身命を喪うとも教を匿さざれとは、身は軽く法は重い。身を死しても法を弘めよ」といっている。すなわち、身命を滅ぼしても、正法を滅ぼしてはならない。そのわけは身は軽く法は重い。身をころしても法を弘めよという意味である。
ここで愚人は心を深く定め、決意をことばに顕していう、主君を諌め家を正しくすることは過去の賢人の教えであり古書に明白に記されている。外典でさえこのようである。内典がこれに相違することを説くはずはない。悪を見て戒めず、謗法を知って責めなければ経文にそむき祖師に反するであろう。その罪はことに重い。今後は仰せに従って信心を励もう。ただし、この法華経を修行することはまことに難しい。もしその肝要の道があるなら聞きたいと思う。
聖人はさとしていう。いまあなたの求道の志を見るとまことに殊勝であるからお答えしよう。すなわち諸仏の真実の覚りを得るための修行の肝要は、ただ妙法蓮華経の五字である。須頭檀王が王位を退き出家してついに成仏し、竜女が蛇身を改めて仏の相好を得たことも、この妙法蓮華経の五字の力用によるのである。
思えば、この経は、経をいかほど受持するかについては一偈一句を受持すべきと述べ、その修行の長さについては一瞬一念の随喜によって成仏すると定めている。総じて八万法蔵の広大な教えも法華経一部八巻の多くの経文も、ただ、この妙法五字を説くためであった。霊鷲山の虚空会上で釈尊が一切の法門の肝要を結んで地涌の菩薩に付属したことも、その法体は何かというとただこの妙法蓮華経である。天台大師、妙楽大師の玉を連ねたような六千帖の注疏も、道邃・行満の黄金を並べたような解説も、すべてこの根本の趣旨を越え出ることはないのである。
まことに生死の苦しみを恐れ、涅槃を求め、信心を励み、仏道を渇仰するならば、変転して止まない無常の姿は昨日の夢と消え、悟りは今日の現実となるのである。ただ南無妙法蓮華経とさえ唱えるならば、消滅しない罪業はなく、訪れて来ない幸いもない。真実であって極めて深い法門である。これを信受すべきである。
愚人は掌を合わせ、膝を折り、居ずまいを正していう。あなたの仰せは肝に染まり、御教訓は心を打つのである。そうではあるが、〝上は下を能く兼ねる〟の道理で、広は狭を納め、多は少を兼ねる。ところがいま五字は少なく、経の文は多い。題目は狭く、法華経の八巻は広い。どうして功徳が斉しいことがあろうか。
聖人はいう。あなたは愚かである。少を捨てて多をとる執着は、須弥山よりも高く、狭を軽んじて広を重んずる執情は大海よりも深い。今のことばの前後は、けっして多ければ尊く、少なければ卑しいとするのではないことは前に示したとおりである。ここでまた、小が大を兼ね、一が多に勝るということを語ろう。
かの尼拘類樹の実は芥子の三分の一の大きさであるが、五百輛の車を覆い隠す徳がある。これは小が大を含んでいることではないか。また、如意宝珠は一つあっても万宝を降らして、少しも欠けるところはない。これはまた少が多を兼ねている例ではないか。世間のことわざにも、一は万の母といっている。これらの道理を知らないのか。所詮は実相の理が契っているか、背いているかを論じなさい。けっして多少に執着してはならない。
あなたが至って愚かでありまだ納得できないならば、今、一つの譬を示そう。いったい、妙法蓮華経とは一切衆生の仏性である。仏性とは法性である。法性とは菩提である。すなわち、釈迦・多宝・十方の諸仏、上行・無辺行等、普賢・文殊、舎利弗・目連等、大梵天王・釈提桓因(帝釈天)、日・月、明星、北斗七星、二十八宿、無量の諸星、天衆、地類、竜神・八部、人界・天界の衆生、閻魔法王、上は非想天の雲の上から、下は地獄の炎の底までのあらゆる一切衆生の備えている仏性を妙法蓮華経と名づけるのである。
それゆえ、一遍この妙法蓮華経を唱え奉るならば、一切衆生の仏性が皆呼ばれて、ここに集まる時、我が身中の法・報・応の三身もともに引かれて顕れ出る。これを成仏というのである。
たとえば、籠の中にいる鳥の鳴く時、空を飛ぶ多くの鳥が同時に集まる。これを見て、籠の中の鳥も出ようとするようなものである。
そこで愚人はいう。首題の功徳、妙法の趣旨はいまうかがって明らかになったが、ただこのことは正しく経文にのっているだろうか。
聖人がいう。道理が明らかになったうえは、経文をたずねる必要はない。しかし、望みに従ってこれを示そう。
法華経巻八陀羅尼品第二十六で釈尊は「あなたたちがただよく法華経の名を受持するものを擁護するのでさえ、その福は量りしれない」と説かれている。この経文の意味は鬼子母神、十羅刹女が法華経の行者を守護すると誓ったことを仏は讃えて、あなたたちは法華経の首題を持つ人を守護しようと誓ったが、その功徳は三世了達の仏の智慧もなお及びがたいと説かれたのである。仏智の及ばないことは何もないはずであるが、しかし法華経の題目を受持する功徳ばかりは量りしれないと仰せられたのである。
法華経一部の功徳はただ妙法蓮華経の五字の中に含まれている。一部八巻の文言はそれぞれ二十八品の内容とともに変わっても、首題の五字は同等である。譬えば、日本の二字のなかに六十余州と壱岐・対馬の二島、すなわちすべての国や郡が含まれているのである。
飛鳥といえば空を飛ぶものと知り、走獣といえば地を走るものと心得る。総じて名の大切であることはこのとおりである。天台大師が「名は本性を表し、句は差別を表す」とも「名は大綱である」とも判じたのは、この意味である。また名は物を呼び寄せる徳があり、物は名に応ずる働きがある。法華経の題名の功徳もまた同じである。
愚人がいう。聖人のおことばのとおりであるならば、まことに題目の功徳は莫大である。しかし、知ると知らないとでは差異がある。わたしは弓箭にたずさわり武器をとる武士として、まだ仏法の真実の内容を知らない。そうであるならば、どうして深い功徳を受けられようか。
聖人がいう。円頓の教理は初めも後もまったく不二であって初心の位に後々の位の功徳が含まれる。一つの行に一切の行が含まれていて、功徳のそなわらないものはないのである。もし、あなたのことばのとおり功徳を知ってからでなければ植えないのであれば、上は等覚の菩薩から下は名字の凡夫に至るまで得益は絶対にありえないことになる。なぜなら法華経には「ただ仏と仏とだけが知る」と説かれ、等覚以下の一切の人の知りうるところではないからである。
譬喩品第三には「舎利弗でさえ、この経においては信によって入ることができた。まして他の声聞はなおさらである」とある。この経文の意味は、大智慧の舎利弗も法華経には信によって入ることができた、その智慧によってではない。ましてその他の声聞はいうまでもない、というのである。
それゆえ、舎利弗は法華経にきて、信じたからこそ、永不成仏の名を削って華光如来となったのである。幼児に乳をふくませれば、その味を知らなくても自然に成長し、医師が病人に薬を与えれば、病人は薬の根源を知らなくても飲めば自然に病が治る。もし薬の源を知らないからといって医師の与える薬を飲まなければ、その病は治るだろうか。薬の内容を知っても知らなくても、飲めば病の冶ることは同じである。
すでに法華経では仏を良医と名づけ、法を良薬に譬え、衆生を病人に譬えている。それゆえ、釈尊一代の教法をつきふるい、まぜ合わせて、妙法という一粒の良薬をつくったのである。この良薬を知っても知らなくても、飲む者は煩悩の病の冶らない者はいない。病人は薬をも知らず、病をも弁えなくても、飲めばかならず愈るのである。
法華経を行ずる者もまた同じである。法理をも知らず、煩悩の病をも知らないとしても、ただ信ずれば見思、塵沙、無明の三惑の病を同時に断じて、実報・寂光の浄土に到り、本有の三身如来の生命を磨きあらわすことは疑いない。
それゆえ伝教大師は法華秀句で「能化も所化もともに長劫にわたる修行を経ることなく、妙法蓮華経の力で即身成仏する」と説かれている。法華経の法理を教える師匠も、また学ぶ弟子も直ちに法華経の力でともに仏になる、との文である。
天台大師も法華経について、法華玄義、法華文句、摩訶止観の三十巻の注釈を造られている。妙楽大師は、また法華玄義釈籤、法華文句記、止観輔行伝弘決の三十巻の注釈を重ねて著した。天台六十巻というのがこれである。
法華玄義には、名体宗用教の五重玄を立てて、妙法蓮華経の五字の功能を解明した。五重玄を解釈する中の宗の解釈のところで「大綱をひっぱればすべての網の目が動き、衣の一角を引けばすべての糸がたぐりよせられてくるようなものである」とある。文の意味は、この妙法蓮華経を信仰し奉る一つの行にいかなる功徳も集まってこないものはなく、いかなる善根も動かないものはない。譬えば、網の目は無量であっても、一つの大綱を引けば動かない目もなく、衣の糸筋は多くあっても一角を引けば、糸筋としてたぐられてこないものはないようなものである、というのである。
さて法華文句には、序品第一の如是我聞から普賢菩薩勧発品第二十八の作礼而去までの文々句々に、因縁・約教・本迹・観心の四種の解釈を設けている。
つぎに摩訶止観には妙法の解了の上に立った観不思議境の一念三千の法門を説く。これは仏の本来の覚りに基づく修行であり、本より心にそなわる真理である。今ここではくわしく論じない。
まことに喜ばしいことである。生を五濁悪世に受けたとはいえ、法華一乗の真実の経文を受持することができた。過去に無量の善根を積んだ者こそ、この経にあって信心をおこしたのである。函と蓋とが合うように、あなたの信力と仏の慈悲が感応し一道に交わることは疑いない。
愚人は頭をたれ掌を合わせていう。私は今から一乗真実の法華経を受持し、三界独尊の釈尊を本師として、今の凡身から仏身を成就するまで怠りなく信心を続け、かならず退転することはない。たとい、五逆を犯した罪は重いとしても、提婆達多の成仏を継ぎ、十悪の罪の波はあらいとしても、十六王子の覆講に結縁した衆生のように、法華経に結縁したいと思う。
聖人はいう。人の心は水の器の形にしたがって変わるようなものであり、物の性質は月影が波に動くのに似ている。ゆえに、あなたはしばらくは信ずるといっても、後日になってかならず心を翻すであろう。しかし、魔が来ても鬼が来ても、けっして心を乱してはならない。
天魔は仏法を憎む。外道は内道を嫌う。それゆえ猪が金山をこすってもかえって金山がその光をまし、衆流が大海に入っても大海はそれを包むように、薪がかえって火を盛んにし、風が求羅という虫をますます成長させるように、いよいよ信心を強盛にしていくならば、まことに望ましいことではないか。
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