呵責謗法滅罪抄
文永10年(ʼ73) 52歳 (四条金吾)
お手紙、詳しく承りました。法華経のゆえに已前、伊豆の国に流されたのも、このようにいえばへらぬ口をたたくと人は思うであろうけれども、心のなかでは悦びにひたっていたのである。
無始から今に至るまで、法華経の信仰のために、真実にしても虚事にしても、罪を被ったことがあるならば、どうしてこのような拙い凡夫として生まれることがあろうか。
したがって、流罪の身は、一端はわびしいようであるが、法華経のための受難であるから、嬉しいと思い、少しでも先生の罪が消えるであろうと思った。しかし、無始から今に至るまでの十悪、四重、六重、八重、十重、五無間、誹謗正法、一闡提の種々の重罪は、大山よりも高く、大海よりも深いのであろう。
五逆罪というのは、そのうちの一逆罪を造る罪だけでも、なお一劫の間に無間の苦果を感ずる重罪である。
一劫というのは、人寿八万歳から百年ごとに一歳を減じ、このように減じていき十歳にまでなる。また、十歳から百年ごとに一歳を加えていくと次第に増して八万歳になる。その間を一劫という。親を殺す者は、これほど長い期間、無間地獄に堕ちて一瞬の休みもなく大苦を受けるのである。
法華経を誹謗する者は、心では思っていなくても、顔、形に嫉みの色をあらわしたり、戯れにも訾ることがあれば、また経を嫉み訾るのではなくとも、法華経に名を寄せた人を軽蔑するならば、いま述べた一劫を重ねて無数劫の間、無間地獄に堕ちると経文には説かれている。
不軽菩薩を罵り打った人は、始めこそそのように罵ったけれども、後には信伏随従して不軽菩薩を仰ぎ尊ぶこと、まさに諸天が帝釈を敬い、われらが太陽や月を畏敬するようであった。しかし、始めに訾つた大重罪は消えきれず、千劫の間、大阿鼻地獄に入って、二百億劫の間、仏法僧の三宝に見捨てられたのである。
五逆罪と謗法とを病に喩えるならば、五逆罪は霍乱のような病気で、急にその報いを得る。謗法は白癩病のようなもので、始めは緩かに、後に次第次第に大事にいたってくる。謗法の者は、多くは無間地獄に生じ、少しは六道に生まれる。人間に生まれる時は貧窮であったり、下賎であったりする。また白癩病であったりすると経文に説かれている。
日蓮は、法華経の明鏡を自分自身に引き向かえてみると、全て曇りなく映しだされる。過去の謗法がわが身にあることは疑いない。この罪を今生で消さなければ、どうして未来に地獄の苦しみをまぬかれることができようか。
過去遠々の重罪をいかにして全て集めて今生で消滅して、未来に受ける大苦をまぬかれようかと勘えたところ、今の世は、末法という時にあたって謗法の人びとが国に充満している。そのうえ国主はすでに第一の法華誹謗の人である。このような時にこの重罪を消さなければいつの時を期待できるであろうか。
日蓮が小身をもって日本国中を打ち覆うように、声高く謗法を呵責したならば、無量無辺の邪法の四衆等が無量無辺の口で一時に訾るであろう。
その時に、国主は謗法の僧等の味方として、日蓮を怨み、あるいは頚を刎ねようとしたり、あるいは流罪にするであろう。そして、たびたびこのようなことが起きるならば、日蓮の無量劫の間積み重ねた重罪も、一生の内に消えるであろうと、くわだてた大術が少しも違うことなく、このような流罪の身となったので、その所願も満足するであろう。
しかしながら凡夫であるので、ややもすれば後悔する心もあった。日蓮でさえも、このようであるのに、物事の前後の分別もつきかねる女の人などの、あなた方、仏法を理解していない方が、どれほどか日蓮に付き従ったことを後悔しているかと思うと、実に心苦しかったのである。しかし案に相違して日蓮よりも強盛な信心であると聞きましたが、これは全くただごとではない、教主釈尊があなた方の心に入り替わられたのではないか、と思えて感涙押えがたいほどである。
妙楽大師の法華文句記の七に「末代において一時でも正法を聞くことができ、聞き已って信を起こすことは、過去世において、法華経の下種があった故であると知ることができる」といっている。また弘決の二にも「像法の末に生まれて、法華経の真文をみることができた。宿世に妙因を植えたのでなければ、実に妙法には値いがたいのである」と述べている。
釈迦仏は妙法蓮華経の五字を四十余年の間、秘密にされたばかりでなく、法華経迹門十四品に至っても、なお妙法五字を抑えて説かれず、法華経本門寿量品にして初めて本因・本果の蓮華の二字を説き顕わされたのである。
この妙法の五字を、釈迦仏は文殊・普賢・弥勒・薬王等の菩薩にも付嘱されなかった。地涌の上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩等を寂光の大地より召し出して妙法を付嘱されたのである。
この儀式は普通の儀式ではなく、宝浄世界の多宝如来が大地から七宝の塔に乗って涌現されたのである。三千大千世界の他に四百万億那由佗の国土を浄め、高さ五百由旬の宝樹をことごとく一箭道に殖え並べて、その宝樹一本の下に五由旬の師子の座を敷き並べ、そこへ十方分身の諸仏がことごとく来て坐られたのである。
また釈迦如来は、垢衣を脱いで宝塔を開き、多宝如来と並ばれたのである。この姿を譬えれば、青天に太陽と月とが並んだようなものであり、帝釈天と頂生王とが善法堂にいるようなものである。この世界の文殊等、他方の観音等の菩薩が虚空に雲集した姿は、さながら星が空に充満するようであった。
この時、この娑婆世界には華厳経の七処八会に集まった十方世界の台上の盧舎那仏の弟子たる法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の十方刹土の塵点数の大菩薩が雲集した。
更に、方等経の大宝坊に雲集した仏・菩薩、般若経に集まった千仏、須菩提・帝釈等、大日経の八葉九尊の四仏四菩薩、金剛頂経の三十七尊等、涅槃経の倶尸那城へ集まられた十方法界の仏・菩薩を文殊や弥勒等の菩薩はたがいに見知っていて語りあっていたので、これらの大菩薩はその出仕にもなれているように見えたのである。
しかし、今この上行をはじめとする四菩薩が出現された後は、釈迦如来にとっては九代の本師で、三世の諸仏の母であられる文殊師利菩薩も、また一生補処といわれた弥勒菩薩等も、この四菩薩に値ったのちではものの数とも見えないほどであった。譬えば山奥のきこりが高貴な月卿等の貴族の中に交わり、また猿が師子の座に列なったようなものである。
釈迦仏はこの人びとを召して妙法蓮華経の五字を付嘱されたのである。その付嘱もただごとではなく、仏は十神力を現じられたのである。釈迦仏は広長舌を色界の頂に付けられたので、諸仏もまた同様にされた。四百万億那由佗の国土の空に諸仏の舌がまるで赤い虹を百千万億並べたように充満したので、実におびただしいことであった。
このような不思議の十神力を仏は現じ、結要付嘱といって、法華経の肝心を抜き出して四菩薩に譲り、わが滅後に十方の衆生に与えよと慇懃に付嘱して、そののちまた一つの神力を現じて、文殊等の自界、他方の世界の菩薩・二乗・天人・竜神等には一経および一代聖教を付嘱されたのである。
もとより影が身に随っているように仕えていた迦葉・舎利弗等にも、この五字を譲られなかった。これはさて置こう。文殊・弥勒等に対してはどうして付嘱を惜まれるのか。たとえ滅後に弘めるべき器量がなくとも嫌うべきではない、等々不審であるのを、仏はあるいは他方の菩薩はこの土に縁が少ないと嫌い、あるいはこの土の菩薩であるが、結縁の日が浅いと嫌い、あるいはわが弟子ではあるが初発心の弟子ではないと嫌われたので、四十余年ならびに法華経迹門十四品のうちには一人も初発心の弟子がなく、この四菩薩こそ五百塵点劫より以来、教主釈尊の弟子として初発心の時より、また他の仏に仕えずに迹門・本門の二門をふまなかった人びとであると説かれている。
天台は法華文句の九に「但下方より涌出した本化の菩薩の発誓をみる」等。またいわく「これ我が弟子である。我が法を弘めるべきである」と。妙楽は法華文句記に「子は父の法を弘める」と述べ、道暹は文句の輔正記に「法がこれ久遠実成の法であるから久遠実成の人に付嘱する」と述べている。この妙法蓮華経の五字を仏はこの四菩薩に譲られたのである。
ところが仏の滅後、正法千年、像法千年、末法に入って二百二十余年の間に、月氏、漢土、日本さらに一閻浮提の内に、いまだ一度も妙法を弘める四菩薩が出現されないのはどういう事なのであろうか。
正しくもお譲りになられなかった文殊師利菩薩は、仏の滅後四百五十年までこの娑婆世界におられて大乗経を弘められ、そののちも香山、清涼山から度度来て、大僧等となって法を弘められた。
薬王菩薩は天台大師となり、観世音菩薩は南岳大師となり、弥勒菩薩は傅大士となった。迦葉・阿難等は仏の滅後二十年、四十年法を弘められた。だが、嫡子として妙法を譲られた人はいまだに見えられない。
二千二百余年の間、教主釈尊の絵像、木像を賢王や聖主は本尊とした。しかしながら、但小乗、大乗、華厳経、涅槃経、観経、法華経迹門、普賢経等の仏、真言・大日経等の仏、宝塔品の釈迦・多宝などは書いたけれども、いまだに法華経寿量品の釈尊はどこの山寺や精舎にもおられない。どうした事とも推量しがたい。
釈迦如来は後の五百歳と記され、正像二千年を法華経流布の時とはいわれてはいない。天台大師は文句の一に「後の五百歳は遠く妙道に沾うであろう」と未来に妙法流布を譲られた。伝教大師は守護国界章に「正法・像法がほぼ過ぎおわって末法ははなはだ近くにある」等と書かれて、像法の末はいまだ法華経流布の時ではないと、自身から像法の時を嫌われたのである。
それゆえ推し量ってみると、地涌千界の大菩薩は、釈迦・多宝・十方の諸仏のお譲りとお約束を空しくそのままに捨ておいて、果てさせるつもりなのだろうか。
外典の賢人でさえ時を待つ。郭公という畜鳥は四月五月に限って鳴く。この大菩薩も末法に出現するとみえるのである。どうしてそのようにいえるのか。
瑞相というのは内典についても、外典についても必ず後に起こることが先に現われることをいうのである。蜘蛛が巣をかけると喜びごとが起こり、干鵲が鳴くと客人が来るといって、小事でさえ験が先に現われる。まして大事においては当然である。
それゆえ法華経序品の六瑞は釈迦如来一代に超過した大瑞である。涌出品の大瑞は、またこれには似るべくもない大瑞である。ゆえに天台は文句の九に「雨がはげしく降るのを見ては、これを降らせる竜の大きさを知り、華が盛んに咲いているのをみては、池の深いことを知る」と書かれている。妙楽の文句記には「智人は物事の起こりを知り、蛇は自ら蛇を知る」と述べている。
今日蓮もまた瑞相から未来を推し量って、智人の一分となろう。去る正嘉元年八月二十三日、戌亥の刻に起きた大地震と、文永元年七月四日の大彗星、これらは仏滅後二千二百余年の間に、いまだ出現しなかった大瑞相である。
この地涌の大菩薩が寿量品の大法を持って出現される先瑞であろうか。一尺の池には一丈の波は立たない。驢馬がいなないても風は鳴らない。日本国の政治が乱れ万民が歎くことではこれほどの大瑞は現じがたい。誰が知ろう、この大瑞こそ法華経の滅不滅の大瑞相であると。
仏滅後二千余年の間、悪王が万人に訾られたり、謀反の者が諸人にあだまれたりした。しかし、日蓮は世間の失もないのに身分の高い人からも、また低い人からも、悪王や謀反人のように罵詈され、毀辱され、刀や杖で打たれ、瓦礫を投げられるなど、迫害のやむひまのないこと二十余年である。これはただ事ではない。
過去の不軽菩薩が威音王仏の末世に、多年の間罵詈されたことと似ている。しかも釈迦仏は不軽の例を引いて、わが滅後の末法にもそうなると記されている。だが、近くは日本、遠くは漢土等にも、法華経のゆえにそのような事があったとはいまだに聞かない。人は日蓮を憎んでこれをいわないのである。
自分からこれをいえば自讃に似ている。しかしこれをいわなければ仏語を虚妄にする過がある。身を軽んじて法を重んずるのが賢人であるからいうのである。
日蓮は彼の不軽菩薩に似ている。国王が父母を殺すのも、民が父母を害するのも、身分の上下は異なるけれども同一の業因なので無間地獄に堕ちる。日蓮と不軽菩薩とは名字凡夫と初随喜というように位の上下はあるけれども、同じ業なのだから彼の不軽菩薩が成仏されるならば、日蓮が仏果を受けることを疑えるだろうか。
彼は二百五十戒を持った上慢の比丘に罵られた。日蓮は持戒第一の良観に讒訴された。彼の比丘衆は帰依したけれども、初めに謗った罪で千劫の間、阿鼻地獄に堕ちた。良観はいまだに日蓮を渇仰しない。その重罪は測り知れない。地獄に堕ちて無数劫を経ることであろう。実に不便なことである。
疑っていわく、正嘉の大地震等のことについては、さる文応元年七月十六日に宿屋入道に託して、故最明寺入道殿へ奉じたところの勘文、すなわち立正安国論には、法然の選択集に委せて、日本の国が仏法を失うゆえに天神地神は瞋りをなし、自界叛逆難と他国侵遍難が必ず起こると考え論じている。しかし、ここでは正嘉の大地震等を法華経の流布する瑞相であるといっている。安国論と今と相違があるのかどうか。
答えていわく、あなたは能くこのことを質問した。法華経の第四の巻・法師品に「しかもこの法華経は釈迦如来の現在でさえなお怨嫉が多い。まして滅度の後はなおさらである」等と説かれ、同経第七の薬王品には「まして滅度の後はなおさらである」の意味を重ねて説いて「わが滅度の後、後の五百歳のうちに閻浮提に広宣流布するであろう」等と述べられている。これによれば仏滅後の多怨は後の五百歳である末法に妙法蓮華経が流布する時とみえる。その文の次下に「悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等がつけいって、さまざまな災いをなすであろう」等ともある。
行満座主は伝教大師を見て「聖語は朽ちない。今この人に遇うことができた。私は披閲する所の法門を日本国の阿闍梨に授与する」と語っている。今もまた全く同様である。末法の初めに妙法蓮華経の五字を流布して日本国の一切衆生が久遠の仏の下種を受け妙法を懐妊すべき時である。
例えば下女が王の子を懐妊すれば、他の多くの女はねたんで瞋りをなすようなものである。下賎の者に王の頂の明珠を授与すれば大難が来ないはずはない。法華経安楽行品の「一切世間に怨多くして信じがたい」との経文はこれである。
涅槃経には「聖人に難を加えれば、他国からその国を襲う」と説かれている。仁王経もまた同様である。
日蓮を責めるならば、いよいよ天地、四方から大災害が雨のように降り、泉のように涌き、浪のように寄せてくるであろう。国の大蝗虫である諸僧、近臣等が日蓮を讒訴することがいよいよ盛んになるならば、大難はますます来るであろう。
帝釈天を射ろうとする修羅は、射た箭が還って己れの眼に刺さり、阿那婆達多竜を火攻めで害そうとした金翅鳥は、自ら火を出して自身を焼いてしまった。法華経を持つ行者は帝釈天や阿那婆達多竜に劣るであろうか。
章安大師は涅槃経疏に「仏法を壊乱する者は仏法の中の怨である。慈悲がなく詐り親しむのは、相手にとって怨となる」と説き、更に「彼のために彼の悪を除くことは彼の親にあたる行為である」と述べている。
日本国の一切衆生は法然の捨閉閣抛と禅宗の教外別伝との誑言にだまされて、一人も漏れなく無間大城に堕ちるであろうと勘えて、国主万民をはばかることなく大音声を出して二十余年の間叫んできたのである。この行為は竜蓬や比干といった諌臣に劣らないであろう。大慈悲の千手観音が一度に無間地獄のなかで苦しむ衆生を救い出すのに似ているといえようか。
火中の数人の子を父母が一時に取り出そうと思う時、手が少ないから、全部を一時に連れ出すことはできず、どうしても慈悲に前後があることになってしまう。故に仏法は、千手・万手・億手がある父母であらせられる。爾前の経々は、一手二手等の父母に似ている。法華経は方便品に「一切衆生を化導して皆ことごとく入道に入らしむ」とあるように、たとえば無数の手を持つ菩薩である。
日蓮は法華経ならびに章安の釈の通りであれば、日本国の一切衆生の慈悲の父母である。天は高いけれども耳が早いので聞かれているであろう。地は厚いけれども眼が早いので見ておられるであろう。天も地もすでに知っておられる。また日本国の一切衆生は彼等の父母を罵詈するのであり、父母を流罪にしているのである。この国のこの二、三年の間の乱政は、先代にも聞かない法外なことなのである。
そもそも悲母の孝養のことを仰せつかわされましたが、誠に感涙押えがたい。
昔元重等の五人の童子は、五郡より集った姓を異にする他人であった。しかし、兄弟の契りをむすび互いに背かなかったから三千の財を貯えた。さて、われらには親という者がないと歎いて、あるとき、途で老女を得て母と崇め、一分も母の心に違(たが)わずに二十四年を経たのである。
ところが、母は突然病に沈んで物をいわない。五人の童子は、天を仰いで「われらに孝養の感がないので母は物をいわない病にかかった。願くは天よ、われらの孝養の心を受けられてこの母に物をいわせ給え」といった。
そのとき、母は五童子に向かって「私はもと太原の陽猛というものの女でした、同郡の張文堅に嫁ぎました。そののち文堅は死にました。我には一人の児があり、名を烏遺といいました。彼が七歳の時に戦乱にあい、行方が知れません。あなた方五人に養われて二十四年の間この事を語りませんでした。わが子には胸に七星の文があり、右足の下には黒子があります」と語り終えて死んだ。
五人の童子は埋葬する途中で国令の行くのに行きあった。すると、その国令は物を記した嚢を落した。そこで五人が取ったとして縛りつけた。国令は来て「お前達はどこの者か」と問うた。五童は先にいったようなことを答えた。そのとき、国令は上から転げおりて、天を仰ぎ地に伏して泣いたのである。そして、五人の縄を解いて、自分のいた座に引き上らせて物語るには、「私が烏遺である。あなた方はわが親を養ったのである。わたしはこの二十四年間、多くの楽しみに値ったけれども、母のことのみが思い出されて楽しみも楽しみとならなかった」と。
その後、国令は五人を大王に見参させて、五県の主とさせたのである。他人が集まって他人の親を養ってさえこのようなことがある。まして、父を同じくし母を同じくする弟妹が優しく尽せば、天もどうしてその孝心を受け入れないわけがあろうか。
浄蔵と浄眼の二人は法華経をもって邪見の父を導いた。提婆達多は仏の御敵であり、四十余年の経々では見捨てられ、臨終の姿も悪くて大地が破れて無間地獄に堕ちたけれども、法華経で召し還されて天王如来と記別を授けられた。阿闍世王は父を殺したけれども仏の涅槃の時に、法華経を聞いて阿鼻地獄の大苦をまぬかれたのである。
例えばこの佐渡の国は畜生のようなものである。またこの国には法然の弟子が充満している。鎌倉で人々が日蓮を憎んだよりも百千万億倍も憎んでいる。よって、一日でも寿があるとは思えないが、あなた方の志のゆえに、今まで寿を支えてきたのである。このことをもって推し計ると、法華経を釈迦・多宝・十方の諸仏・大菩薩が供養恭敬されているので、この仏や菩薩達は、あなた方の父母に日々、夜々、十二時に、法華経の行者・日蓮があなた方の子によく助けられていますと告げられることであろう。現在、あなたが主君の寵愛を受けているのも、慈父悲母の加護によるのであろう。
兄弟も兄弟と思われるな。ただわが子であると思いなさい。だが子であっても梟鳥という鳥は母を食べる。破鏡という獣は父を食べようとそのすきをうかがう。わが子・四郎は父母を養う子であるが悪ければどうしようもない。他人であっても心から語り合えば命にも替わるのである。舎弟等をわが子とされたならば今生の味方となり、まして傍の目によいのはいうまでもない。妹達を娘と思えば、どうして孝養されないであろうか。
日蓮が佐渡へ流された時には一人も訪ねてくる人はないだろうと思っていたが、同行する者は七八人を下らない。上下の資糧もあなたがたのお計らいがなければどうにもならない。これはひとえに法華経の文字があなた方の身に入り替って日蓮を助けているのであると思う。
どのような世の乱れにも、あなた方を法華経・十羅刹よ助け給へと、湿っている木より火を出し、乾いた土より水を出すように、強盛な信心で祈っている。事が繁多となるので止めて置きます。
日 蓮 花 押
四条金吾殿御返事
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