異体同心事

異体同心事

白の小袖一つと厚綿の小袖、および伯耆房の身延来訪の折に託された銭一貫文たしかに受けとりました。

伯耆房、佐渡房等の事や熱原の人々の御志が異体同心であるときは万事を成就し、同体異心であるときは何事もかなうことはない。このことは外典三千余巻に定まっている。殷の紂王は七十万騎の軍勢であったが、同体異心であったので戦に負けてしまった。周の武王は八百人であったが、異体同心であったので勝った。一人の心であっても二つの心があれば、その心と心とが違って何事も成就することはない。百人や千人であっても一つの心であれば、必ずものごとを成就するのである。

日本国の人々は多人数であっても体同異心なので、何事も成就することは難しい。日蓮の一門は異体同心なので、人数は少ないけれども大事を成就して、必ず法華経は弘まるであろうと思われる。悪は多くても一善に勝つことはない。たとえば、多くの火が集まっても、一水によって消えてしまう。この一門もまた同様である。

そのうえ、あなたは多年にわたって法華経に仕える心が厚いうえ、この度はまことに勝れた御志が見られると人々も言っている。また彼等も言っている。一つひとつ承って、日天にも天照太神にも申し上げている。

御手紙に急いで御返事申し上げるべきであったけれども、確かな機会がなかったので今まで申し上げられないでいた。弁阿闍梨日昭の来訪の折は、あまりに急いでいたので書く間がなかった。

さて、あなた方が数年来どうであろうかと思われてきた蒙古襲来のことは、既に近づいているようである。我が国の亡びることは嘆かわしいけれども、これ(立正安国論の予言)さえも嘘になるならば、日本国の人々はますます法華経を誹謗して万人が無間地獄に堕ちることになろう。蒙古が強く攻めてくるならば、日本の国は亡びるとしても謗法は薄くなるであろう。たとえば、お灸をして病気を癒し、鍼で人の病を治すようなものである。その時は痛くて嘆いたとしても、後には悦びとなるのである。

日蓮は法華経の御使いである。日本国の人々は、大族王が一閻浮提の仏法を亡ぼしたようなものである。蒙古国は雪山の下王のようなものである。諸天善神の御使いとして法華経の行者を怨む人々を罰しようとされているのであろうか。また、現身に悔い改める心を起こしたならば、阿闍世王が釈迦仏に帰伏して白癩病を治し、四十年の間寿命を延ばし、無根の信という位に登って現身に無生法忍という悟りを得たのと同じように救われるのである。恐恐謹言。

八月六日              日 蓮  花 押

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