蒙古使御書

蒙古使御書

 建治元年(ʼ75)9月 54歳 西山殿

鎌倉から事故なく御帰国の由をお聞きし、嬉しさは申し上げようもない。

また蒙古の人が頚を刎ねられたとのこと、お聞きしました。日本国の敵である念仏・真言・禅・律等の法師は切られないで、罪のない蒙古の使いが頚を刎ねられたことこそ哀れである。事情を知らない人は、日蓮が予言したことが合致したのを、思い上がって言っているとおもうであろう。この二十余年の間、私的には昼夜に弟子等に嘆き語り、公にはたびたび諌めてきたことはこの国を災いから救うためだったのである。

さて大事の法門というのは別のことではない。時に当たって、我が身のため、国のために、大事な事を勘えて少しも間違わないのが智者なのである。仏が尊いというのは、過去を勘へ、未来を知り、三世を知っておられるからであり、これに勝る智慧はない。たとえ仏ではないけれども、竜樹・天親・天台大師・伝教大師などという聖人・賢人等は、仏ほどではなかったけれども、三世のことを粗知っておられたので、名を未来まで伝えられたのである。

所詮、万法は己心に収まって、一塵も欠けてはいない。九山八海も我が身に備わり、日月・衆星も己心に収まっている。しかしながら、盲目の者には鏡に映る影が見えず、嬰児が水火を怖れないように、凡夫には己心に収まる万法が見えないのである。

外典の外道や内典の小乗・権大乗等は、皆己心の法を片端片端説いているのである。しかしながら、法華経のようには説かない。それゆえ、経々に勝劣があり、持つ人々にも聖賢が分かれるのである。法門のことは限りないことなので、ここで止めにしておく。

鎌倉から御帰国早々の暇に使者を遣わされたこと、御礼の申し上げようもない。そのうえ種々の物をお送りいただいたこと、悦びにたえません。

日本国はすべての人々が嘆いているのに、日蓮の一門ばかりは、嘆きの中にも悦んでいる。日本国にいるからには、蒙古の責めはおそらく脱れることはできないであろうけれども、国のために迫害されたことは、諸天も知っておられるのであるから、後生は必ず助かるであろうと悦んでいるのに、貴殿は、今生に蒙古国の恩を蒙られたのである。蒙古の事が起こらなかったならば、今年は最明寺殿の十三回忌に当たって、御狩が所領の内で行われるであろうことは、いうまでもないことである。また北条六郎殿のように、筑紫へと行かれたことであろう。その狩もなく、筑紫へも行かないことは、貴殿方の御心には反することであろうが、人が罰を当てるのではない。また一つには法華経の守護によって助けられたのであろうか。ともあれ貴殿にとっては甚だしい御僻事である。これほどの御悦びごとであるから、親しく御伺いして、御悦びを申し上げたいとは思うけれども、人聞きもあることだから止めることにした。

乃  時              日 蓮  花 押

西山殿御返事

Verified by MonsterInsights
タイトルとURLをコピーしました