語句の解説

法華経

大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラといいます。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種がありますが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさします。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされます。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調しています。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価しました。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚しました。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めました。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えました。

【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられました)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈しました。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想です。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理です。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれていますが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとしています。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのです。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記です。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきました。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えました。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かしました。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かしました。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れています。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築しました。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」です。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理です。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっています。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説きます。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説きます。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示します。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示します。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示しています。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができます。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていません。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのです。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることです。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することです。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れています。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達します。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味しています。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものです。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了します。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっています。

【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われています。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されています。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれています。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれています。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われました。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯でした。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、御書全集284頁8行目)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(「撰時抄」、御書全集266頁11行目)と述べられています。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546頁11行目)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、910頁17行目)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められました。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがあります。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされていますが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていません。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのです。

【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられています。成仏のための極理は一つですが、説かれた教えには種々の違いがあります。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものです。それは、すべて法華経です。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼びました。

 

供養

梵語(Pújanā)の訳で、供施、供給、また略して供ともいいます。供給奉養の意で、報恩謝徳のために、仏法僧の三宝に、真心と種々の物をささげて回向することです。これに、財と法の二供養、色と心の供養、亊と理の供養、さらに三種、三業、四事、四種、五種、六種、十種等の別があります。財供養とは飲食や香華等の財物、浄財を供養することです。法供養とは、仏の所説のごとく正法を弘め、民衆救済のために命をささげることで、末法の時に適った法供養は三類の強敵・三障四魔を恐れず、勇敢に折伏に励むことです。色心の供養は、この財法の供養と同じです。三業供養とは天台大師の文句に説かれており、身業供養とは礼拝、口業供養とは称賛、意業供養とは相好を想念することとされます。事理供養とは、一往は昔の聖人たちが生命を投げ出して仏道修行した亊供養と凡夫の観心の法門による供養を理供養とします。白米一俵御書には「ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり、志ざしと申すは・なに事ぞと委細にかんがへて候へば・観心の法門なり、観心の法門と申すは・なに事ぞとたづね候へば、ただ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が・身のかわをわぐにて候ぞ、うへたるよに・これはなしては・けうの命をつぐべき物もなきに・ただひとつ候ごれうを仏にまいらせ候が・身命を仏にまいらせ候にて候ぞ、これは薬王のひぢをやき・雪山童子の身を鬼にたびて候にも・あいをとらぬ功徳にて候へば・聖人の御ためには事供やう・凡夫のためには理くやう・止観の第七の観心の檀ばら蜜と申す法門なり」(御書全集1596頁15行目)とあります。なおこの供養について最も肝心なことは、正法に対する供養でなければならず、邪法への供養は堕地獄の業因となります。

 

迦葉

釈尊の十大弟子の一人です。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略で、摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳します。付法蔵の第一であり、王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たといいます。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けています。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰しました。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされます。なお迦葉には他に優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などがあります。

 

光明如来

釈迦の十大弟子のひとり、迦葉が未来世において成仏したときの名です。

 

涅槃経

釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教えです。大般涅槃経ともいいます。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典です。

 

①ダルマ(dhamma)。法則・真理、教法・説法、存在、具体的な存在を構成する要素的存在などのことです。本来は「保持するもの」「支持するもの」の意で、それらの働いてゆくすがたを意味して「秩序」「掟」「法則」「慣習」など様々な事柄を示します。三宝のひとつに数えられます。仏教における法を内法と呼び、それ以外の法を外法と呼びます。ダルマは「たもつ」「支持する」などの意味をもつ動詞からつくられた名詞であり、漢訳仏典では音写されて達磨、達摩、曇摩、曇無などとなり、通常は「法」と訳されています。②四念処の一つ、身念処のことを言います。諸法は無我であると観察します。諸々の法には、本質的な主体(我)というものは存在しないことを観察します。意識の対象を観察します。私は真理について考えている、私は真理に基づいて考えている、私は煩悩について考えている、私は煩悩に基づいて考えている、私は真理に基づいて想像している、私は煩悩に基づいて想像している、これら意識の対象について観察することを言います。

 

三千大千世界

古代インドの世界観の一つです。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六等によると、日月や須弥山を中心として四大州を含む九山八海、および欲界と色界の初禅天とを合わせて小世界といいます。この小世界を千倍したものを小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界とします。小千、中千、大千の三種の世界からなるので三千世界または三千大千世界といいます。この一つの三千世界が一仏の教化する範囲とされ、これを一仏国とみなします。

 

大菩薩

菩薩薩埵(bodhisattva])の音写です。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳します。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいいます。

 

辟支仏

梵語プラティエーカブッダ(Pratyeka-buddha)の音写です。独覚・縁覚・因縁覚と訳します。「各自に覚った者」の意です。仏の教導によらず、自らの力で理を覚る者のことを言います。十二因縁の理を観じて断惑証理し、飛花落葉等の外縁によって覚りを得るといいます。

 

阿羅漢

羅漢のことです。無学・無生・殺賊・応供と訳し、小乗教を修行した声聞の四種の聖果の極位です。一切を学び尽くして、さらに学ぶべきがないので無学、再び三界に生ずることができないので無生、見思の惑を断じ尽くすので殺賊、衆生から礼拝を受け、供養に応ずるので応供といいます。

 

功徳

功能福徳の意です。功は福利を招く効能で、この効能が善行に徳としてそなわっていることを功徳といいます。化城喩品には、大通智勝仏に対して梵天が宮殿に供養した功徳が説かれています。

 

一四句偈

経文等において四句をもって一つの偈をなすものです。句とは通常、数語で一つの意味をなしている最小限度のものをいいますが、漢訳経典では四字または五字などで一句をなすものが多くあります。偈は一般に経典中の韻文形式で説かれたものをいい、仏の徳または教理を賛嘆しています。雪山童子の「諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽」などはその類です。

 

受持

受は受領の義でうけおさめること、持は憶持の義で、心身ともに銘記して、よく持ち続けることを言います。正法をよく信じ持って、いかなることがあっても、違背・退転しないことをいいます。四条金吾殿御返事には「此の経をききうくる人は多し、 まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(御書全集1136頁4行目)とあります。

 

一つの劫のことです。劫は梵語のカルパ(Kalpa)で劫波・劫跛ともいい、分別時節・大時・長時などと訳します。きわめて長い時限の意で、仏法では時間を示す単位として用いられます。劫の長さについては経論によって諸説がありますが、倶舎論巻十二によると、人寿十歳から始めて百年ごとに一歳を加え、人寿八万歳にいたるまでの期間を一増といい、逆に八万歳から十歳にいたるまでを一減とし、この一増一減を一小劫としています。

 

身延の嶺

山梨県南巨摩郡身延町にある山です。標高1153㍍です。日蓮大聖人は文永11年(1274)佐渡から帰られ、3度目の諫言が聞き入れられなかったので、同年5月、身延の地頭・波木井六郎実長の招きで身延山中に草庵を結びました。入山後は諸御書の執筆、弟子の育成に当たられ、弘安2年(1279)には出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊を建立されました。弘安5年(12829月、身延山をたって常陸の湯治に向かう途中、武蔵国池上の地で入滅されました。大聖人の滅後の付嘱を受けて久遠寺別当となられた日興上人が墓所を守っていましたが、五老僧の一人・日向の影響で地頭の実長が謗法を犯し、日興上人の教戒を受け付けようとしなくなったことから、身延を離山して大石ケ原に移られました。

 

大覚世尊

仏、釈尊の別称です。大覚は仏の悟り、世尊は仏の十号の一つで、万徳を具えており、世間から尊ばれるので世尊といいます。

 

生老病死

四苦八苦のうちの四苦です。世間における生・老・病・死の苦悩のことです。①生苦は、母の胎内に宿る初めより出胎に至るまでに受ける種種の苦痛②老苦は、年老いて、身・心共に勢力が衰えていく苦悩③病苦は、四大不調のために身・心に受ける苦悩④死苦は、病疾・水疾・火疾など中夭、あるいは寿命尽きて死するときの苦痛を言います。

 

生住異滅

四有為相・四相ともいいます。一切の現象は生じ=生、存続し=住、変化し=異、消滅する=滅。人間の一生にあてはめた「一期四相」および瞬間の事象における消滅の過程をあらわします。「刹那四相」などのとらえ方があります。大乗・小乗などの別によって諸説があります。

 

六旬

60日。②60年。60回。句(旬)は10を指す単位。(一か月30日を10単位で上旬・中旬・下旬というようなもの)。

 

生滅滅已・寂滅為楽

涅槃経聖行品の文。「生滅を滅し已って寂滅を楽と為す」と読みます。雪山童子が聞いた後の半偈です。煩悩を断ずるところに悟りがあるとの意です。生滅は生死の煩悩、滅已は煩悩を断ずること、寂滅は涅槃、為楽は悟り、を意味します。

 

毒身

貧・瞋・癡の三毒に支配されている凡夫の身のことです。

 

金身

金剛不壊の仏身のことです。金剛石のように堅固で、いかなる煩悩や迷いにも犯されない身をいいます。

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