「開目抄」の現代語訳

宗教

開目抄上

文永9年(ʼ72)2月 51歳 門下一同

いったい、一切衆生の尊敬すべき者が三つある。それは主人と師匠と両親である。・また習学すべき物が三つある。それは儒教と外道と内道たる仏教である。

儒家においては三皇・五帝・三王を天尊と号して、諸臣の頭目と仰ぎ、万民の橋梁と崇敬している。三皇以前は父を知らず、自分を生んだ母をさえも崇敬することを知らないで、人々はみな禽や獣と同じであった。しかし三皇・五帝の時代から礼儀・人道が確立され、父母をわきまえて孝行を尽くした。その例として、重華は頑愚な父を敬い、沛公は漢の高祖となって一国の帝王となったが、厚く父の大公を拝した。また周の武王は、父の西伯を木像に刻んで、父の遺志を継いで紂王の討伐に出陣し、丁蘭は幼くして母を失ったが、母の像をきざんで、生ける母のごとく仕えた。これらは孝行の手本である。比干は殷の世のほろぶべきを見て、紂王の横暴を諌めたが、かえって殺害された。公胤は主君たる懿公が殺されて死体を恥ずかしめられているのを見て、自分の腹をさいて肝を隠し入れて死んだ。これらは忠の手本である。尹寿は堯王の師であり、務成は舜王の師であり、太公望は文王の師であり、老子は孔子の師であって、これらの四人の師を四聖と号し、天尊も頭を垂れて敬い万民は掌を合わせて崇拝した。
これらの聖人に、三墳・五典・三史等の三千余巻の書物があれども、その根本は三玄を出でないのである。三玄とは、一には天地を有に約して立てた玄で、周公等がこれを立てた。二には天地自然を無に約した老子の玄。三には天地自然をまたは有または無と立てた荘子の玄がこれである。玄とは一往深奥の理を説かれたものであるが、人間のこの世へ生まれる以前はどうかといえば、あるいは元気より生じたといい、あるいは、この世の中の貴賎とか、苦楽とか是非・得失等の現象はみな自然である等と言っている。
このように巧妙に、その哲理を立てているとはいえ、まだ過去世、未来世については一分も知らず、玄とは闇黒で、さっぱり何もわからないということである。したがって、ただ現世のことのみは知っているようであるが、それも仏法のごとき実相はもちろん知るよしもない。現世において仁義等の道徳を定めて、これを実践して一家を安んじ国を守る、これに相違すれば一家一族も滅ぼしてしまうと教えている。 

これらの儒教で賢聖と仰がれる人々は、聖人と呼ばれていても、生命の実体を知らないのである。ゆえに、過去世を知らないことは、凡夫が背を見ないと同じであり、生命に来世があることを知らないのは、盲人が前を見ないようである。ただ現世において、家を治め、孝行をいたし、堅く仁義等の五常を行ずるならば、傍輩もその人を敬い、名声が国内にひろまり、賢王もこれを召し出して、あるいは臣となし、あるいは師とたのみ、あるいは王位をゆずり、諸天善神もきたって守り仕えたのである。いわゆる周の武王には五人の老臣が来て仕え、後漢の光武帝には二十八宿が来て二十八将となったのがこの例である。
 そのように、儒教の徳は高くても、生命の三世にわたることを知らないから、尊敬する父母・主君・師匠が死んだならば、その来世の幸福を授けることができないから、結局は不知恩の者であり、真の賢人・聖人ではないのである。孔子が「この中国には賢人聖人がおらない。西の方に仏図という者があり、これは真の聖人である」といって、外典の教えはすなわち仏教へ入るための段階であるとなしたのは、この意味である。すなわち儒教においては礼楽等を教えて、後に仏教が伝来した時に、戒定慧を知りやすからしめんがため、王と臣の区別を立て、尊卑を定めて、もって主の徳をあらわし、父母を尊ぶべきことを教えて、もって親の徳をあらわし、師匠と弟子を明らかにして、もって師に帰依すべきことを知らしめたのである。
 妙楽大師のいわく「仏教の流布はじつに儒教の力をそのまま生かしたのである。儒教の礼楽が先に流布されて真の道たる仏法が後に弘通されたのである」と。天台大師のいわく「金光明経に、一切世間のあらゆる善論はみな仏経によっているのである。もし深く世法を識るならば、すなわちこれは仏法であると説いている」と。天台の止観にいわく「我れは三人の聖人を遣わして中国の衆生を教化した」と。妙楽の弘決にいわく「清浄法行経にいわく、月光菩薩は中国に生まれて顔回と称し、光浄菩薩は同じく孔子と称し、迦葉菩薩は同じく老子と称した。これらはすべて釈尊の使いとして、仏教の先駆として儒教を説いたものである」と。

つぎにインドの外道について述べる。外道においては、摩醯首羅天と毘紐天とを二天といい、一切衆生の親であり天尊であり主君であると号している。迦毘羅・漚楼僧佉・勒娑婆を三仙という。これらは釈迦の時代を中心として、八百年已前已後の仙人である。この三仙の説くところは、四韋陀と号して、讃誦・祭祀・歌詠・穣災の義を明かし、その所説は六万蔵もあるといわれた。釈尊が出世するに当たり、六師外道は、この外道の経を習い伝えて、五天竺の王の師となり、支流は九十五六派にも分かれていた。一々の流派にまた我流が多く我慢の幢が高いことは非想天よりも高く、我執の心が強いことは金石よりも堅かった。その見の深く巧みなる様は儒教の遠く及ばないところである。あるいは過去世の二生・三生乃至七生・八万劫の過去までも照見することができ、また未来八万劫を知ることができた者さえあり、その所説の法門の極理は、あるいは「因の中に果有り」、あるいは「因の中に果無し」、あるいは「因の中に亦は果有り亦は果無し」等云云ということである。これが外道の極理である。
 いわゆる善き外道は五戒・十善戒等の戒律を持ち、有漏の禅定を修め、しだいに修業を積んで色界の天・無色界の天をきわめ、上界を涅槃と立てて、尺取り虫のごとく一歩一歩修業してのぼれども、非想天より、かえって三悪道に堕ちてしまい、一人として天界に留まる者がなかった。けれども、外道を信ずる者は、その根本が邪見であるために、天界から三悪道へ堕ちたとは知らずに、天をきわめた者は長くかえらないのだと思っていた。おのおの自派の師匠の義を受けて、これに堅く執着するゆえに、あるいは寒い冬に一日に三度、恒河に浴し、あるいは髪の毛を抜き、あるいは巌に身を投げ、あるいは身を火にあぶり、あるいは手足と頭との五処を焼く、あるいは裸体になり、あるいは馬を多く殺せば幸福になれる、あるいは草木を焼き、あるいはいっさいの木を礼拝した。これらの邪義は数え切れないのである。その師を恭敬する様は諸天が帝釈を敬い、諸臣の皇帝を拝するごとくであった。
 しかれども、外道の九十五種の修業では、善につけ悪につけ、一人も煩悩・生死の根本を悟ることができないで、善師に仕えては、その時には事がなくても、二生・三生等に悪道に堕ち、悪師に仕えては次の世で悪道に堕ちた。結局のところ、外道の所詮は、仏教へ入るための径路である。ある外道は「千年已後に仏が出世する」と予言した。ある外道は「百年已後に仏が出現する」と予言した。これは外道が種々の教を説くも、すべてこれ仏法へ流入せしむる方便であるがゆえである。大涅槃経にいわく「一切世間の外道の経書は皆これ仏説であって、外道の説ではない」と。法華経にいわく「声聞の弟子たちはただたんに声聞の姿を示すのみでなく、また三毒の凡夫と生まれ邪見の相を現じたのである。わが弟子はこのように方便して衆生を度したのである」と。

第三に大覚世尊・釈迦仏は、一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田等で、幸福になれる道を示してくれた根本の師匠である。儒教の師たる四人の聖人や、外道の三仙は、その名は聖人であるとはいえ、実には見思惑・塵沙惑・無明惑の一つさえも未だ絶ちきれない、迷いの凡夫であり、その名は賢人であるとはいえ実には因果の道理を弁えないことは赤児のごとき状態である。このような嘘の聖賢を師と仰いでも、これを船として生死の大海を渡れるであろうか、これを橋として六道の迷いから抜け出られるであろうか、できないのである。しかし、釈迦仏は歴劫修業の菩薩行をすでに満じて、変易をさえわたられた方である。いわんや六道凡夫の分段の生死に迷っているはずがない。元品の無明の根本をさえ断ち切られた方である。いわんや見惑・思惑の枝葉の迷いを断たれたことはいうまでもない。
この釈迦仏は、三十歳で成道してより八十歳入滅にいたるまで、五十年の間、一代の聖教をお説きになった。一字一句はみな真実であり、一文一偈といえども妄語はないのである。外典・外道の中の聖人・賢人の言ですら、いうことに誤りがなく、事と心が相かなっている。いわんや仏さまは無量劫の昔より不妄語の人である、されば一代五十余年の説教は、どんな低い教でも、外典・外道に対するならば、大乗であり、大人の実語なのである。初成道の始めより涅槃・寂滅の御説法にいたるまで説くところの法はみな真実である。

釈尊一代の説教はすべて前章のごとく真実であるが、ただし仏教に入って五十余年の経々、すなわち八万法蔵といわれる多数の経を一々見れば、その中に小乗もあり大乗もあり、権経もあり実経もある。また顕教・密教、輭語・麤語、実語・妄語、正見・邪見等、種々の差別がある。ただし法華経ばかりが教主釈尊の正言であり、三世十方の諸仏の真言である。釈尊は法華経已前の四十余年をさしてその間に説いた多数の諸経を「未だ真実を顕さず」と決定し、つぎに説く法華経は「要ず当に真実を説くべし」と決定されているに対し、多宝仏は大地より出現して「釈迦牟尼仏の説法はみなこれ真実である」と証明し、また分身の諸仏は釈尊の法華経の座に来集して、長舌を梵天につけて法華経の真実なることを証明している。このことは赫赫明明として、晴天の日よりも明らかに、夜中の満月のごとく明らかである。仰いで信ずべく、伏して懐うべきである。

ただし、この法華経に二箇の大事がある。それは迹門・理の一念三千と本門・事の一念三千である。一念三千については、倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は、名さえも知らない。華厳宗と真言宗とは、自宗にはもともとないので、ひそかに盗んで、自宗の教義の骨目としている。
 この法華経の大事たる一念三千の法門は、ただ法華経の本門・寿量品の文の底にのみしずめられている。竜樹菩薩・天親菩薩は知っていたが、それを拾い出していない。ただわが天台智者大師のみが、これを内心に悟っていた。
 一念三千は十界互具からはじまる。しかるに、法相宗と三論宗とは、八界を立てて十界を知らない。いわんや十界互具を知るよしもないではないか。倶舎・成実・律宗などは阿含経を依経としている。この阿含経は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六界までは明らかにしているが、声聞・縁覚・菩薩・仏の四界を知らない。そして「十方にただ一仏のみあり」といって、釈尊以外には一方有仏さえも明かさない。「一切有情、ことごとく仏性あり」とは説かず、ひとりの仏性さえもゆるさない。しかるに、後世の律宗や成実宗などが、「十方に仏あり、仏性あり」などというのは、仏滅後の人師などが、大乗経の義を自宗に盗み入れたものであろう。

(華厳・真言の大乗宗も、律宗・成実宗等の小乗宗も、法華経の一念三千を盗み入れて自宗の義となした。そのありさまは、)たとえば、仏教の流通する以前の外道は、その執着する邪見も浅かったのであるが、仏教流布の後の外道は、仏教を聞き、見て、自宗の非を知り、巧の心が出来して、仏教を盗みとり自宗に入れて、邪見がもっとも深くなった。附仏教・学仏法成等といわれる外道はこれである。外典もまたこの通りであって、漢土に仏法が伝来する以前の儒家・道家はゆうゆうとして赤児のごとくはかない者であったが、後漢の世に仏法が伝来してより、外道と仏教が対論し、仏教がようやく流布するにつれて、仏教の僧侶がみずから破戒のゆえに、あるいはいったん出家した者が還俗して家にかえり、あるいは俗人に心を合わせて儒教道教の内に仏教の義を盗み入れたのである。
止観の第五にいわく、「今の世には多く悪魔の比丘があって、戒を退き家にかえり、あるいは処罰を畏れて、一度道教から仏教に入りながらまた元の道士へ逆戻りし、また名誉や利益を求めて、荘老の道を誇張して談じ、仏法の義を盗んで外道の邪典につけ、高い仏法の義を低い外道につけ、尊い仏法を摧いて卑しき外道の教に入れ、概して外道・内道を平等ならしめている」云云、弘にいわく「比丘の身となって仏法を破滅する者がある。もしくは、戒を退き家に還るというのは、衛の元嵩等のごとき者である。すなわちいったん出家したが、還俗し在家の身をもって仏法を破壊した。正しい仏教の教えを盗んで、外道の邪典に助け添えたのである。高きを押す等とは道教をひろめるいわゆる道士の心をもって道教を仏教の概要であるとなし邪正をして等しからしめたのは、まったくそのいわれのないことである。かつて仏法に入って正しい教を盗み外道の邪を助け、仏教の高きを押して道教の低きにつけ、もって、彼の道教の邪卑の教えを釈することを、尊きを摧いて卑しきに入れると名づくのである」等云云。この妙楽の釈を見よ。次上の心である。

外道が仏教の義を盗み入れたるがごとく、仏教内の各宗派も、これと同様の状態になった。後漢の第二代・明帝の永平十年に漢土へ仏法が渡り、対論のすえ外典が破れて内典が立ち、仏法が流布した。その後、各宗派がつぎつぎと立てられ、揚子江の南に三派・北に七派と乱立して、各宗派ともに自宗に執着し、諍論がまちまちで仏教内が乱れたが、陳・隋の時代に天台智者が出現して、異執をことごとく打ち破り、法華真実と立てたので、仏法はふたたび一切衆生を救うことができた。天台以後に、法相宗と真言宗があらたにインドより伝えられ、また華厳宗が立てられた。これらの宗の中に、法相宗は、草木成仏とか自受用の有為・無為等、教義の全般にわたって天台宗に反対する法門を立て、水火のごとく、相容れることのできない宗派である。しかれども玄奘三蔵も慈恩大師も、委細に天台の御釈を見てからは、自宗の邪見であることに気がついたものか、自宗をば捨てないけれどもその心は天台に帰伏したものと見える。
 華厳宗と真言宗とは、その依経が権経であり、権宗である、しかるに真言の善無畏三蔵・金剛智三蔵は、天台の一念三千の義を盗み取って自宗の肝心とし、その上に印と真言とを加えて、法華経より大日経は勝れていると立てた。そのいわれを知らない真言の学者等は、インドより、大日経に一念三千の法門があったのだと思っている。また華厳宗は澄観の時に華厳経の「心は工なる画師のごとし」の文に、天台の一念三千の法門を盗み入れた。人々はこれを知らないで、澄観のいうことを正しいと信じている。

日本には華厳宗等の奈良の六宗が、天台宗、真言宗の渡る以前に伝来した。華厳・三論・法相の各宗は、互いに自義を立てて諍論し、その法門は水火のごとくあいいれなかった。ついで、伝教大師が日本に出でて六宗の邪見を破るのみならず、中国においては、真言宗が天台の法華経の義を盗み取って自宗の極としたことも明らかにされた。伝教大師は、各宗派の人師の邪見に執着するのを捨てて、専ら経文を前として邪義を責められたので、六宗の高徳等が八人・十二人・十四人・三百余人と、みな伝教大師に破折され、中国から真言宗を伝えてきた弘法大師も破折されて、日本国じゅう一人も残らず天台宗に帰伏し、奈良においても、東寺も日本一国の山寺は、みな比叡山天台宗の末寺となった。また中国においては諸宗派の元祖が、はじめは自宗を立てながら、のち天台に帰伏して、謗法の失を免れることができたとの現証も明らかにされた。
ついで、その後次第に世がおとろえ、人の智慧も浅くなり、末法に近づくにつれて、天台の深義は習い失われてきた。他宗の執着心は強盛になるほどに、だんだんと六宗、七宗に天台宗は逆に破られて、弱りゆくかのゆえに、結局は六宗、七宗の邪宗にも及ばなくなってしまった。それのみならず、とるにたらない、禅宗や浄土宗等の新興宗教に攻め落とされて、はじめは檀家が次第に彼の邪宗に移ってゆき、結局は天台宗の高僧と仰がれる人々さえみな落ちゆきて、彼の邪宗を助けている。その間に、兵乱の禍をも受けて六宗、八宗の田畠や領地さえ失ってしまい、日本国には正法が失せ果てた。天照太神・正八幡・山王等のもろもろの守護の善神も法味をなめることなく、国中を去り給うかのゆえに、悪鬼は便りを得て、国はすでに三災七難が連続して、亡国となろうとしている。

ここに、日蓮が愚見をもって法華経以前の四十余年の経々と、後八年の法華経との相違を考えみるのに、その相違が多いとはいえ、まず世間の学者もそうだといい、自分でもそうだと思うことは、二乗作仏と久遠実成である。

法華経の現文を拝見すれば、舎利弗等の二乗がことごとく成仏するとの授記を賜っている。すなわち、舎利弗は華光如来・迦葉は光明如来・須菩提は名相如来・迦旃延は閻浮那提金光如来・目連は多摩羅跋栴檀香仏・富楼那は法明如来・阿難は山海慧自在通王仏・羅睺羅は蹈七宝華如来・五百七百の阿羅漢は同じく普明如来・学無学の二千人は宝相如来・摩訶波闍波提比丘尼と耶輸多羅比丘尼等は、それぞれ一切衆生喜見如来・具足千万光相如来等と授記されている。
 これらの人々は、法華経を拝見したてまつると尊い人であるようなれども、爾前の経々をひらき見れば、じつにがっかりさせられるところが多い。そのゆえは、仏世尊は実語の人であるから、聖人・大人と号すのである。外典・外道の中の賢人・聖人・天仙などと称せられる人々は、その所説が偽妄でないから、このように称せられているのであろう。これらの人々の中においても、もっとも勝れて第一なるゆえに世尊をば大人と申し上げるのである。この大人たる仏さまが「唯一大事の因縁をもってのゆえに、この世に出現したのである」と法華経方便品に名のられて、「四十余年には未だ真実をあらわさず」として「世尊は法久しくて後に要ず当に真実を説くべし」と言い、「正直に方便を捨てて但無上道を説く」と、法華経に宣言されている。これに対し、多宝仏は「釈迦牟尼仏の所説はみな真実である」と証明し、また分身の諸仏が、舌を出して真実であると証明しているのであるから、舎利弗が未来の華光如来となり、迦葉が光明如来となる説法を、だれが疑うであろうか。明らかな事実であるはずである。

しかれども、爾前の諸経もまた仏の実語である。大方広仏華厳経にいわく「如来の知慧を大薬王樹にたとえてこの大薬王樹は唯二箇処において生長して利益を施すことができない。いわゆる二乗の無為広大の深い坑に堕つるのと、仏道修行の善根を壊り正法を受け持つことのできない謗法一闡堤の衆生の大邪見・貪愛の水に溺れる処である」と。この経文の心は、雪山と申す山に大樹があり、無尽根となづけ大薬王樹と号す。世界中のもろもろの木の中の大王である。この木の高さは十六万八千由旬である。世界じゅうの草木は、この木の根ざしで、枝葉華菓の次第にしたがって華菓がなるのである。この木をば仏の仏性にたとえられ、いっさいの衆生をばいっさいの草木にたとえる。ただしこの大樹は、火の坑と水輪の中には生長しない。二乗の心中をば火の坑にたとえ、一闡提人の心中をば水輪にたとえたのである。この二乗と一闡提は永久に成仏することができないと申す経文である。
大集経にいわく「二種の人があり必ず死して活きることがない。その結果、恩を知り恩を報ずることができないのである。それは、一には声聞であり二には縁覚である。たとえば人があって深い坑に落ち込むと、この人は自分を利益し、また他人の利益をはかることができないがごとく、声聞・縁覚もまた、このとおりである。二乗界の悟りの坑に堕ちてみずからを利し、また他人を利することができない」と。外典三千余巻の教の中に、根本道徳となるべきものが二つあり、いわゆる孝行と忠義である。忠もまた孝の家より出でたのである。孝と申すは高であり、天は高いけれども孝より高くない、また孝とは厚であり、地は厚いけれども孝より厚くない。聖人・賢人といわれる二類の人はみな孝の家より出でている。まして仏法を学する人が恩を知り恩を報ずることがないであろうか。必ずあるはずである。仏弟子は、必ず四恩を知って知恩報恩の誠をいたすべきである。その上舎利弗・迦葉等の二乗の弟子は、仏の教えられるごとく二百五十戒・三千の威儀を持ち整えて、味禅・浄禅・無漏善の三禅を修め、阿含経をきわめ三界の見惑・思惑を断尽したのであるから、知恩報恩の人の手本であるべきである。しかるに、二乗は不知恩の者であると世尊は定められた。その理由は、父母の家を出て出家の身となる者は必ず父母を救わんがためである。しかし二乗は、自分自身は悟ったと思うけれども、利他の行が欠けている。設い分々の利他の行があるとはいいながら、父母等を永く成仏することのできない道へ入れてしまえば、かえって不知恩の者となるのである。

維摩経にいわく「維摩詰が文殊師利菩薩に問うて、何を如来の種となすか、と。文殊が答えていわく、いっさいの貪瞋癡等の三毒の衆生は如来の種となる。五逆罪を犯した無間地獄の者も、なおよく大道心を発して種となるのである」と。またいわく「善男子よ、たとえば高原陸土には青蓮華が生ぜず、ひくい湿った汚田にすなわちこの華を生ずるごときものである」と。またいわく「すでに阿羅漢果を得て応真となる者はついに、ふたたび道心を起こして仏法を具することができない。灰身滅智して根敗した者はその五欲の楽しみもできないのと同様である」と。
文の心は、貪瞋癡等の三毒は仏の種となるべし、父を殺す等の五逆罪も仏種となるべし、高原の陸土には青蓮華が生ずべし、二乗は絶対に仏に成らないと。いうところの意味は、二乗のもろもろの善と凡夫の悪とを相対するに、凡夫の悪は仏になるとも二乗の善は仏にならないというのである。もろもろの小乗経には悪を禁しめて善をほめた。しかるに、この経には、二乗の善をそしり凡夫の悪をほめている。このようでは、かえって仏の所説とも思われず、外道の法門のようであるけれども、結局は二乗が長く仏にならないと強く決定されているのであろう。
方等陀羅尼経にいわく「文殊師利菩薩が舎利弗に語るには、枯れ木にもう一度花が咲くかどうか、また山から流れ出る水がふたたび、もとの山へかえるかどうか、破れた石がもとのごとく一つになるかどうか、焦れる種が芽を出すかどうか。舎利弗が答えて、みなそのようにはならないと。文殊のいわく、もしそのようにならないなら、どうして君は我に仏になれるかどうかと質問して、心の中で喜んでいるのか」と。文の心は、枯れたる木は花が咲かない、山の水はふたたび山へは帰らない、破れた石は合わない、焦れる種は芽が出ない、二乗はまたこのとおりに仏種を焦り焼き尽くしているというのである。

大品般若経にいわく「もろもろの天子よ、今未だ三菩提心(悟りを求める心)を発さないならば発しなさい。もし声聞の正位に入れば、その人は能く三菩提心を発さないのである。なぜかというに、見惑・思惑を断尽して界内に生ずることができなくなるゆえに、さらに上法を求めることがない」と。文の心は二乗は菩提心を起こさないから仏は随喜しない。諸天は菩提心を起こすから仏は随喜するであろうと。
首楞厳経にいわく「五逆罪の人がこの首楞厳三昧を聞いて菩提心を発せば、還って仏となることができる。世尊よ、漏尽の阿羅漢はなお破れた器のごとくこの三昧を受けるに堪えないのである」と。浄名経にいわく「それ汝(声聞)に布施するものは福田とはいえない。汝を供養する者は三悪道に堕ちる」と。文の心は、迦葉・舎利弗等の聖僧を供養する人天は、必ず三悪道に堕ちるというのである。
これらの聖僧たちは、仏を除き奉っては、人天の眼目であり一切衆生の導師であるとこそ思っていたのに、多くの人天大会の中で、このようにたびたびおおせられることは、まことに本意のないことである。ただ結局は、仏が、自分の弟子を責め殺さんとされるのであろうか。このほか牛乳と驢乳の譬え、瓦器と金器の譬え、螢火と日光の譬え等の無量の譬えを取って二乗を呵嘖せられた。一言二言でない、一日二日でない、一月二月でない、一年二年でない、一経二経でない、四十余年の間、無量無辺の経々に、無量の大会の諸人に対して、一言も許し給うことなく二乗をそしり給うたので、世尊はけっしてウソはいわないと、われも知る・人も知る・天地もこれを知っている。一人二人に限らず、百千万人・三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四洲・六欲・色界・無色界等、あらゆる十方世界より雲のごとく集まってきた人天・二乗・大菩薩等が、みなこれを知る。また、みなこれを聞いた。おのおの国々へ還って娑婆世界の釈尊の説法をそれぞれの国で一一に語ったであろうから、十方無辺の世界の一切衆生は、一人も残らず、迦葉・舎利弗等の声聞の弟子は、永く成仏しない者で、供養しては悪いと知ったのである。

以上のごとく、爾前四十余年の経教と後八年の法華経とは相違していて、釈尊の所説は信じがたいのであるが、釈尊在世においては、四十余年の経を捨てて法華経につく者もあったであろう。しかし、釈尊滅後に法華経を聞き見て信受することはむずかしいことである。まず一つには、爾前の経々は多言であり、法華経はただ一言である。爾前は多くの経があり、この法華経はただ一経である、彼々の爾前経は四十余年の多年にわたっており、この法華経は八年である。
仏は爾前経と相反する法華経を説かれたのであるから、大妄語の人として永く信ずることができない。もしこのように信じられないのを、強いて信ずることになるならば、多言であり多経であり四十余年である爾前の経々をば信ずることになるであろうが、法華経は永く信じられないのである。今の世の中でも、法華経をみな信じているようであるけれども、じつには法華経を信じてはおらない。そのゆえは、法華経と大日経と、法華経と華厳経と、法華経と阿弥陀経とを同一であると説くような人をば悦んで帰依し、別々であると申す人をば用いず、たとい用いても本意なきことと思っている。

日蓮いわく、日本国に仏法がわたって、すでに七百余年になるが、ただ伝教大師一人のみが法華経を読まれたと日蓮が申すのを、国中の諸人はこれを用いない。ただし法華経には「もし須弥山のごとく世界最高・最大の山を取り上げて、無数の仏土に投げ置くことは、いまだそれほど困難のことではない。もし仏の滅後に悪世の中でこの法華経を説くことは、はなはだ困難のことである」と。日蓮がただ一人正しく、他はすべて謬っていると説く強義がこの経文にまったく一致している。法華経の流通分たる涅槃経に「末代濁世には、謗法の者は十方世界の土のごとく多く、正法の者は爪の上の砂のごとく僅少である」と説かれていることは、どういうことか。まったく今の日本国の姿である。日本の諸人は爪上の土か、日蓮は十方の土か。そうではない。爪上の土たる正法が日蓮で、十方の土たる謗法が諸人であることをよくよく考えてみなさい。賢王の世には道理が勝ち、道理が世間に用いられるが、愚主の世には道理にあらざる非道が先に立つ。今の日本は愚王で、正法の日蓮を用いないが、聖人の世に法華経の実義があらわるべしと心得なさい。
 以上の法門は、迹門と爾前と相対して、爾前の強く迹門の劣るように思える。もし爾前が強いならば、舎利弗等の二乗は永く不成仏の者となるのであろう。さぞかし嘆くことであろう。

二には、教主釈尊は、住劫第九の減で人間の平均寿命が百歳の時、師子頬王の孫、浄飯王の嫡子として生まれ、童子の時の名を悉達太子といい、すなわち一切義成就菩薩と申し上げたのである。御年十九歳で出家し、三十歳で仏道を成就したこの仏は、始め寂滅道場において、菩薩の住処たる実報土と蓮華蔵世界の仏の、りっぱな相をもって、未曾有の儀式を示して華厳経を説き、十玄・六相等の法門を根本として、法界円融の上に頓極微妙の大法をお説きになり、十方の諸仏もこの座に現われ、いっさいの菩薩も雲のごとく来集した。このように華厳経を説いた時は、そのりっぱな国土といい、対告者は大菩薩であるからそのすぐれた機根といい、また顕現した諸仏といい、また説法の最初であるという辺からも、どうして大法を秘し隠す必要があろうか。されば経文には「自在の力を顕現して、円満の経を演説する」と言われている。すなわち、華厳の一部六十巻は、一字一点も漏れず円満経である。たとえば、如意宝珠は、一つの珠も、無量に多くの珠もともに同じである。一珠でも万宝をことごとく出し、万珠も万宝を出すようなものである。華厳経は一字も万字もただ同じ一つの真理を説き明かしているのである、「心と仏と衆生の三は差別がなく一体である」という華厳経の文は、華厳宗の肝心であるのみならず、法相・三論・真言・天台の各宗の肝要であるといわれている。
 これほどいみじく優れた御経には、何一つ隠すべきではないはずなのに、二乗と一闡提は成仏しないと説かれているのは、珠の疵であるとみられる上、三か所にまでこの世で成仏したと説き、久遠の成仏、すなわち生命の永遠を説き隠している。珠が破れたごとく、月が雲に隠れたごとく、日が蝕したごとく、じつに不思議なことである。阿含・方等・般若・大日経等は仏説であるから、一応はいみじき経文であるけれども、かの華厳経に相対すれば、いう甲斐もなき劣れる経である。華厳経に秘し隠したことをこれらの経々に説かれるはずがない。ゆえに雑阿含経には「初め成道」と。大集経には「如来成道始め十六年」と。浄名経に「始め仏は樹に面して坐り修行に力めて魔を降した」と。大日経に「自分は昔道場に坐して」と。仁王般若経に「二十九年」等と説かれて、いずれも釈尊がインドに生まれてから、出家して修業し、成仏したと説いており、法華経寿量品の久遠の実成・永遠の生命観に対すれば、いずれも劣れる経で、問題にならないのである。

以上に挙げた阿含・方等・般若・華厳等は、いうに足らぬ経であるが、さて驚くべき事は、法華経の序分無量義経において、しかも始成をいっている。すなわち華厳経の唯心法界とか、方等の海印三昧とか、般若の混同無二等の勝れた大法をかき上げて、これらはすべて、あるいは「未だ真実をあらわさぬ法門である」とか、とか、あるいは「歴劫修行で永久に成仏できない法門である」等と論破しているほどの無量義経において「我先に道場菩提樹の下に端坐すること六年にして阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得た」と説いて、最初に説いた華厳経の、この世で成仏したという文と同じことを言っている。これは不思議だと思うのも、むりはないが、無量義経は法華経の序分であるから、正宗分の法門にはふれていないのであろう。ついで法華経の正宗分たる方便品にいたり、略して三乗(声聞・縁覚・菩薩)を開いて一仏乗を顕し、また広く三乗を開して一仏乗を顕す時において、「唯仏と仏とのみ乃し能く究尽したまえる諸法の実相」と説き、また「世尊の法は久しくして後(要ず当に真実を説くべし)」と、また「正直に方便を捨てて但無上道を説く」等と説いてゆき、多宝仏が見宝塔品に出現して、迹門に説ききたった正宗分の八品をさして、「みなこれ真実である」と証明されているゆえに何一つかくすべきはずはないけれども、久遠寿量を秘し給いて「われ始め道場に坐し、樹を観じてまた経行した」と説いている。これこそ、もっとも第一の大不思議である。
 このように釈尊が久遠の生命を秘しかくしていたために、涌出品において涌出した地涌の大菩薩をさして、仏がこれを教化して、初めて大道心を起こさしめた初発心の弟子である、と説かれたのを、弥勒菩薩はおおいに疑って、つぎのごとく質問したのである。「如来は太子たりし時に、釈氏の宮を出でて伽耶城の近くで道場に坐し、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。それより以来始めて四十余年を経たのに過ぎないが、仏はどうしてこのわずかの間に、おおいに仏事をなし給うたのか」と。教主釈尊はこれらの疑いを晴らさんがために、寿量品を説かんとして、爾前迹門で説いてきたことをあげていわく「一切世間の天人および阿修羅はみな今の釈迦牟尼仏が釈氏の宮を出で伽耶城の近くで道場に坐し、阿耨多羅三藐三菩提を得給えりと謂っている」と。しかして、まさしくこの疑いに対して答えていわく「しかるに善男子よ、われ、じつに成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由佗劫である」と。すなわち華厳を始めとして般若・大日経等は二乗作仏をかくすのみならず、久遠実成をも説きかくしたのである。

これらの爾前の経々には二つの失がある。一には十界の中に差別を設けて、二乗は作仏せず等と説くゆえに、いまだ権を開せずといって、迹門の一念三千を隠している。法華経迹門にいたれば、法界はすべて一味平等となり、二乗も作仏するゆえに権を開して実を顕わすとなすのである。二にはインドに生まれて成仏したというゆえに、なおいまだ迹を発せずとて、本門の久遠・常住の生命観をかくしている。この二つの大法は、一代仏教の綱骨であり一切経の心髄である。迹門方便品は一念三千を諸法実相に約して説き、また二乗作仏を説いて、爾前経の二種の失のうち一つを脱れた。しかりとはいいながら、いまだ迹門では、仏の本地をあらわしていないゆえに、本有常住の生命の実体を説き明かしていない。すなわち発迹顕本していないから、生命の実体が不明で、真実の一念三千もあらわれず、二乗も作仏すべしと説かれたものの、本有常住の十界互具の生命が説かれていないから、仏の生命も九界の生命もその実体が不明で、したがって二乗作仏も不定である。たとえていえば、一念三千を説いたけれどもそれは理の上で説いたに過ぎないから、水面に浮かぶ月影のようなもので、形はそのとおりであるが、実体そのものではないのである。また二乗が作仏するといっても、仏界・九界ともにその本体を説かれてないので、根なし草が波の上に浮んでいるごとく、現在において成仏するというだけで、その原因も過去世の下種もわからないから、「定まらず」とおおせられるのである。
 さて、法華経の本門にいたりて、釈尊は五百塵点劫のその昔に成仏したと説いたので、それまでに多数の経々で説いて来た応身・報身等、すべての仏身はみな打ち破られたのである。なぜなら、それらの仏身は、いかに荘厳な姿に説かれていても、みなインドで修業し、この世で成仏したと説いているからである。このように、寿量品以前の経で説いてきた仏――因果に約すれば九界が因で仏界が果である――を打ち破ったのであるから、それらの経に説いている成仏のための修業すなわち因も打ち破られてしまった。爾前・迹門の十界の因果をこのように打ち破って、本門の十界の因果を説きあらわした。これすなわち無始無終の、永遠に存在する十界を説きあらわすところの、本因本果の法門である。地獄や菩薩等の九界も、無始常住の仏界に具わっており、仏界も別世界の存在ではなくて、無始常住の九界に具わって、これこそ真の十界互具・百界千如・一念三千である。
 かくて爾前経で説かれた仏はどうか、とかえりみるならば、華厳経で説く蓮華蔵世界の中台とか十方台葉の化仏、阿含経で説く丈六の小釈迦、あるいは方等・般若や金光明経や、阿弥陀経や大日経等に説かれている権仏等は、この寿量品の本仏が迹を垂れて示現しているのであって、天の月がしばらく大小の器の水に影を浮べているようなものである。しかるに、諸宗の学者等は、近くは自宗の開祖や先輩たちの邪言に迷い、遠くは法華経寿量品を知らないのである。そして、水にうつる月影が本物の月かと思い、あるいは、水の中へ入って月を取ろうとし、あるいは縄をつけてつなぎとめようとしている。天台は、このように本仏に迷って迹仏に執着する者をさして「天月を知らないで、ただ池の月を観ている」と言っている。

爾前四十余年の経教は法華経迹門に劣り、法華経においては迹門が本門に劣る。しかし、日蓮がここで考えるのに、世間一般の人々にとっては、迹門に説かれた二乗作仏でさえ、爾前経の方が強くて迹門は信じがたい。すなわち二乗作仏の根拠は薄弱のように見える。しかし本門寿量品の久遠実成は、また比較にならないほど爾前で説くインドで成仏したという始成思想が強くて寿量品を信じがたいのである。その理由は、爾前と法華を相対するに、なお爾前の方が説時も長く、経も多くて、法華経が薄弱のようである上に、始成正覚を説く点においては、迹門十四品も爾前経と同一である。本門十四品の中でさえ涌出品、寿量品の二品を除いては、みな始成正覚の思想が存している。最後に、釈尊が入滅する直前に説いた大般涅槃経四十巻をはじめ、そのほかの法華前後に説いたもろもろの大乗経に一字一句もなく法身の無始無終は説いている。しかし応身および報身の本地をあらわして三身常住とは説いていない。どうして多数の爾前経、法華の本門・迹門、涅槃経等の諸大乗経をば捨てて、わずかの涌出・寿量の二品を信ずることができようか。

(このように、釈尊一代の説法では、法華経のみ二乗作仏・久遠実成と説いて信じがたいがゆえに、古来、各宗派の開祖たちはみな法華を捨てて爾前経を本にしているのである。)
 されば、法相宗について見ると、インドの仏滅後九百年に無著菩薩という大論師がいた。夜は都率天の内院に上り、弥勒菩薩に対面して釈尊一代の聖教について不審の点を聴聞し、昼はインドの阿輸舎国で法相の法門をひろめられた。かの御弟子には世親・護法・難陀・戒賢等の大論師がいたのである。当時インドで非常に善政を施いていた明主たる戒日大王もその檀那となって頭を下げ、五天竺(全インド)の者が、みなそれぞれの我見を捨てて無著に帰依した。
 中国の玄奘三蔵はインド各地へ行って、十七年の間、インドの百三十余の国々を訪ねて仏法を学んだ末、諸宗をば振り捨ててこの法相宗を中国に伝来し、当時は唐の太宗皇帝という賢王にこれを授けた。さらに神肪・嘉尚・普光・窺基等の大弟子を得て、大慈恩寺を始め、三百六十余箇国にこれを弘通した。日本国には、人王第三十七代孝徳天皇の御代に道慈・道昭等がこれを習い伝えて、山階寺を建立して尊崇した。これこそ三国第一の宗教である。
 この宗のいわく、始め華厳経から終り法華・涅槃経にいたるまでのいっさいの経中で、声聞・縁覚・菩薩の三乗に進む性分のない、すなわち無性有情の者と、二乗と決定して永久に成仏することのない決定性の二乗は、永久に成仏できないと釈尊は説いている。仏語に二言はあるべきでないから、一度永久に成仏せずと定めた以上は、たとえ日月が地に落ちようとも大地が反覆して天になろうとも、これを変え改めて成仏するなどと説くわけがない。そうであるから法華経・涅槃経の中にも、爾前の経々が嫌う無性有情の者と決定性の者を正しく指して、成仏するとは説かれていない。まず眼を閉じて考えてみよ。法華経・涅槃経において、決定性の者と無性有情の者がまさしく成仏するならば、無著や世親ほどの大論師および玄奘や慈恩ほどの三蔵人師がこれを見ないわけがあろうか。これをその著書に載せないわけがあろうか。これを信じて伝えないわけがあろうか。弥勒菩薩に会って質問しないわけがあろうか。汝は法華経の文に依って二乗作仏と唱えるようであるが、じつは天台や妙楽や伝教の間違った独りよがりの見解を信受してその見解をもって経文を見るゆえに、爾前は二乗不作仏、法華は二乗作仏であって、その内容は水火のごとくあいいれないものと思っているのである、と。

(前項に述べた法相は低い教の宗であるが、)華厳宗と真言宗とは、法相や三論などと比較にならぬ勝れた宗である。二乗作仏と久遠実成は法華経のみに説かれているのではなく、華厳経・大日経にも明らかに説かれている。華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観等の人々や、真言宗の善無畏・金剛智・不空等の人々は、天台大師や伝教大師とは比較にならない高位の人であり、学徳ともに秀れた人たちである。その上、善無畏等の真言をひろめた人々は、大日如来より直系の乱れることのない相承がある。これらの仏菩薩の権化たる人にどうして誤りがあろうか。
 したがって、華厳経には「釈尊が仏道を成就しおわって不可思議劫の永い間を経るを見た」とある。また大日経には「われいっさいの本初なり」と説いている。どうして釈迦久遠の成道を説く経文が寿量品に限ろうか。たとえば井戸の底にいる蛙が大海を見ないがごとく、山奥に住む人が都を知らざるごとく、汝はただ寿量の一品を見るのみで、華厳や大日経等を知らないのではないか。その上インド・中国・朝鮮等の諸国においても、みな一同に二乗作仏と久遠実成は法華経に限るといっているか。このような意見から推して考えるならば、八箇年に説いた法華経は四十余年の経々に異なっているが、八箇年の教判と四十余年後の教判の中では、とうぜん後の八箇年の教判に依るべきである、すなわち法華経に説かれた勝劣の決定を用いるべきであるとはいいながらも、なお爾前経の論拠が強く、法華は薄弱のように考えられる。

釈尊在世においては、爾前の経々が多年にわたり多く説かれていたから、最後に説かれた法華経を智者は信じたとしても、その時の多くの人々は、爾前が勝れ法華経が劣れるように考えられたということもありうるであろうが、滅後に出現して仏法を弘通した論師・人師もまた多くは爾前に片寄っている、このように法華経は信じがたい上、世もしだいに末法時代に入れば、聖人・賢人と仰がれるべき人はようやくかくれて迷者がしだいに多くなってきた。世間の小さな問題すらなお誤りやすい。いわんや出世間の深法たる成仏得道の教法に誤りがないと言えようか、必ず宗教に誤りが多く出てきているはずである。
ゆえに犢子や方広のごとき智慧のある人すら、なお大乗経と小乗経の区別に迷って破仏法の原因となった。無垢や摩沓のごとき利根の人でさえ、権教と実教の区別に迷って謗法罪をつくり地獄へ堕ちている。これらの四人は正法時代一千年の人で、釈迦仏の在世にも近く、同じインドの国内においてすらこのような状態であった。まして中国や日本等は、国も遠くへだて、言語も変わり、人の根も鈍根で寿命も短命になってきており、貪・瞋・癡の三毒も倍増している。仏が世を去って永い年月を経過し、仏教はみな誤られている。だれの仏経の理解が正しいか、みな誤っているに違いない。釈尊は涅槃経に予言して「末法には正法を持つ者が爪の上の土ほど少数であり、謗法の者は十方世界の土ほど多数である」と言っている。法滅尽経には「謗法の者が恒河の沙ほど多く、正法の者は一、二の小石ほど少数である」と予言している。千年に一人か五百年に一人ほども正法の者があることはむずかしいであろう。世間の罪により、強盗や殺人をして悪道へ堕ちる者は、爪の上の土ほど少なく、仏法によって悪道へ堕ちる者は十方の土ほど多いのである。俗人よりも出家の僧が、女よりも出家した尼の方が仏法を誤り謗法の罪によって多く悪道へ堕ちるのである。

このように、仏教がすべて誤っている末法の時代に入って、すでに二百余年を過ぎた。この時に、日蓮は東海の辺国に生まれ、その上、社会的な身分は下賤で、しかもきわめて貧乏な身の上である。六道輪廻の間にある時は人界・天界の大王と生まれて、万民をなびかすことは大風の小木の枝を吹きゆるがすようにした時にも成仏せず、大乗経や小乗経の修行に努めて外凡・内凡の大菩薩の位にまで修し上がり、一劫・二劫・無量劫等の長い期間にわたって菩薩の行を立て、すでに不退転の位に入るべきはずであった時も、強盛の悪縁にふれ、その悪縁に動かされ悪道に逆戻りして成仏できなかった。その過去の因縁をたずねるならば、三千塵点劫のその昔に出世した大通智勝仏の法華経を説かれた時代に生まれながら、まったくこれを信じなかった第三類の者が、さらに釈尊在世の法華経にも会うことなくて、迷いのまま末法に生まれてきたのであろうか。あるいは久遠五百塵点劫の昔に法華経の下種を受けながら、退転して悪道に堕ち、今日ここへ生まれてきているのであろうか。
 法華経を修行していくうちに数々の災難を受けた。人々の悪口とか、病気とか貧乏のような世間の問題は、これを耐え忍ことができた。また父母や国王が法華経に反対し、持経者を迫害した時も退転することなく、また外道の難や小乗経の上から難じられても、これを耐え忍んできたのであるが、しかし権大乗も実大乗も、仏法のことはすべてきわめつくしたような姿をしている、道綽・善導・法然等のごとき悪魔の身に入って邪教を説く者が、一方では法華経が大変りっぱな経であるとほめ上げ、一方では今の人の機根は下劣であるから、法華のような深遠の経では成仏できないと立て、「法華経は理が深くて、かすかにしかわかることができない」「まだ法華によって一人も得道した者はない。千人も法華を修行して、ただの一人も得道する者はない」等々と言って法華の修業を妨害する者に、無量生の間、数え切れないほど幾度となくすかされて、ついには法華を退転して念仏のような権経へ堕ちた。さらに権経より小乗経へ堕ち、さらに外道や外典に堕ち、結局は地獄・餓鬼等の悪道へおちいってしまったのだということを、日蓮は深くこれを悟ったのである。
 日本国にこれを知っている者は日蓮がただ一人である。これを一言でも申し出すならば、父母・兄弟・師匠が必ず反対するであろうし、さらに国主が必ず迫害するであろう。しかし、これを知っておりながらいわないのは、慈悲がないことになると考えている時に、法華経・涅槃経等の文に、この言うか言わないかの二つの辺を合わせ見るに、言わないならば今生では事がないけれども後生は必ず無間地獄へ堕ちるであろう、言うならば三障四魔が必ず競い起こってこれを妨げるのであるということがわかった。この二辺の中には言うべきである。しかし王難等の大迫害が起きたなら、一度に思いとどまるであろうと、しばらく考えつつある時に、思い当たったのが宝塔品の六難九易である。われらほどの小力の者が、須弥山のごとき大山を投げるとも、われらほどの通力のない者が、燃えやすい乾草を背負って劫火の中をくぐり、しかも焼けないことがあろうとも、われらほどの無智の者が、数え切れない多数の経々を読みおぼえることができるとしても、法華経は一句一偈をすら末法に持つことは困難であると説かれているのはこれである。今度こそ強盛の菩提心を起こして、いかなることがあろうとも、絶対に退転しないと誓願したのである。

すでに、日蓮は建長五年以来二十余年の間、この法門を申すに、日日・月月・年年に難がかさなってきている。悪口や打たれるような少少の難は数知れず、流罪・死罪の大難がすでに四度におよび、そのうち二度は王難で遠島に追放流罪されたのである。このたびはすでにわが身命におよんで、生きながらえることがむしろ不思議である。その上、弟子も檀那もいうにおよばず、わずかに聴聞した俗人などをさえ捉えて重罪に処しているさまは、謀反人などに対する刑罰と同じである。
 しかし、また末法の法華経の行者が、このように迫害を受けるであろうことについては、すでに釈尊・天台・伝教等がこれを予言しているのである。法華経第四の巻法師品には「しかもこの法華経は、釈尊の在世すらなお怨嫉が多い。いわんや滅度の後においては、人心もますます邪智諂曲になって、正法の行者に対しては、さらに大怨嫉を起こすのである」と。また第二の巻譬喩品にいわく、「法華経を読誦し書持する人を見て、軽んじ賤しみ憎み嫉んで、深くこの人を怨むようになる」と。また第五の巻にいわく「一切世間の人は怨が多くて、正法を信じがたい」と。同じく勧持品に「もろもろの無智の人があって悪口罵詈するであろう」と。また同じく「国王・大臣や婆羅門・居士等に向かって法華経の行者を誹謗し、行者の悪い点を挙げて、この人は邪見の人であると訴えるであろう」と。また同品に「法華経の行者は、権力者や大衆に迫害されて数々擯出されるであろう」と。またいわく「杖木や瓦石をもって行者を打擲するであろう」等々と説かれている。また涅槃経にいわく「その時に多く無量の外道があって、和合して摩訶陀国の阿闍世王の所へいき、つぎのごとく訴えた。現世にはただ一人の大悪人がいる。それは釈迦(瞿曇沙門)である。一切世間の悪人たちは利養のために釈迦の所へ往集しその眷属となって能く善を修しない。まじないの力で迦葉・舎利弗・目犍連を調伏して弟子とし、悪事ばかり働いている」と云云。天台いわく「釈尊在世すら怨嫉が多かったので、いわんや未来はさらに大怨嫉があり、衆生の機根がますます濁悪となり、時代が濁悪となるので、正法は信じがたく、化導が困難となる」と。妙楽いわく「障りがまだ除かれず、行者に対してすっきりした気持ちで会うことのできないのを怨と名づけ、行者の説法を聞くことを喜ばないのを嫉と名づける」と怨嫉を定義して、南三北七の十派の学者を初めとし、中国全土の無量の学者を天台の怨敵であると断定した。得一がいわく「つたないかな智公(天台)よ、汝はこれ、だれの弟子であるか。三寸に足らざる舌根をもって釈尊一代の所説を謗じ、世間を迷わしている」と。東春に智度法師がいわく「問う、釈尊在世においても若干の怨嫉があったが、仏滅後にこの経を説く時また何がゆえに留難・迫害が多いのであるか。答えていわく俗に良薬口に苦しというがごとく、この法華経は、人・天・声聞・縁覚・菩薩の五種類に人生の目的を定める異執を打破して、人生の目的はただ一つ成仏することであると説くのである。ゆえに爾前の凡位のものを斥け聖位の者を呵し、大乗を排し小乗を破り、天魔を毒虫であるとなし外道を悪鬼となし、小法に執着するものを貶して貧賎となし、菩薩を挫いて新学の者となす、このゆえに天魔は聞くを悪み、外道は耳に逆って憤り、二乗は驚き怪しみ、菩薩は怯えて行く。このような徒輩がことごとく留難をなすから、怨嫉が多いという仏の予言が、どうしてむなしかろうか」と。顕戒論にいう「伝教大師の時代に、六人の僧統が天皇に上奏していうには、西夏には鬼弁婆羅門があって、逆説的な論議をもてあそび、東の国たる日本には巧みな言をもって民衆を惑わす禿頭沙門がある。これらがすなわち同類を自然に集めて世間を誑惑している、と。今これを論じていわく、天台大師の時代には斉朝の光統等が天台に反対し、今日本においては、奈良六宗の髙僧が伝教大師に反対する。じつにこれらは釈尊の予言どおり如来滅後における、さらにはなはだしい大怨嫉である」と。秀句にいわく「大白法の広宣流布する時機は、像法の終わり末世の始めであり、その国を尋ねるならばすなわち唐の東で羯の西にあたり、その時代の人はすなわち五濁の衆生で闘諍堅固の時である。法華経には如来の現在にすらなお怨嫉が多いので、いわんや滅度の後には、さらにはなはだしいとあるが、この言はじつに理由のあることである」とある。

だいたい子供に灸をすえれば、必ず母をあだむ。重病者に良薬を与えれば、きっと口に苦くて飲みにくいという。釈尊在世すら、なおこの理法で、法華経に対しては怨嫉が多かった。まして時代が像法、末法とくだり、しかも日本のような辺土においては、なおさらしかりである。山にまた山をかさねるごとく、波にまた波をたたむがごとく、難に難を加え、非に非を増大して、いよいよ正法は説きがたく信じがたくなるのである。像法の中には、天台が一人、法華経・一切経を読み切って、正しく説いた。南北の各宗がこれを怨んだけれども、陳・隋の二代の聖主がその面前で対決せしめて、是非を明らかにしたので、天台の敵はついにみな降伏してしまった。像法の末には、伝教が一人、法華経・一切経を仏説のとおりに読んだ。奈良の七大寺が伝教に反対して蜂起したけれども、桓武天皇や嵯峨天皇等の賢主がみずから仏法の正邪を明らめ給うたので、また事なきをえた。今、末法の初め二百余年である。仏の予言のごとく「いわんや滅度の後をや」という大怨嫉が起こる前兆として、また闘諍の序となるべきゆえに、日蓮が法華経を正しく説くといえども非理の邪法を立てていて、濁世のしるしに、彼の邪宗と対決させることなく、かえって日蓮を流罪し、ないし命にも及ぼうとしているのである。
されば、日蓮の法華経に対する智解は、天台・伝教に比べて、千万が一分もおよぶことはないけれども、難を忍び慈悲の勝れている点では、像法の天台・伝教は末法の日蓮に恐れをもいだくであろう。定めて仏の使いたる日蓮を、諸天善神も守護すべきはずであるのに、一分のしるしもない。かえってますます重罪におとしいれられている。このことからふりかえって考えてみれば、わが身が法華経の行者でないのか、あるいはまた諸天善神がこの国を捨てて去り給うのか、じつに疑わしき次第である。しかるに、法華経の第五の巻・勧持品に、諸大菩薩が仏滅後に法華経を説くと誓った二十行の偈は、日蓮さえもこの国に生まれないならば、ほとんど釈尊は大妄語の人となり、これを誓った八十万億那由佗の多数の大菩薩たちは提婆の虚誑罪と同じような嘘つきの罪におちいるであろう。すなわち日蓮がただ一人、法華経を予言のごとく正しく説きひろめているのである。経にいわく「もろもろの無智の人があって悪口罵詈等し刀杖瓦石を加う」と。今の世を見るに、日蓮よりほかの諸僧で、だれが法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ、刀杖等を加えられる者があるか。日蓮がなければ、この一偈の未来記は妄語となるのである。「悪世の中の比丘は邪智で心が諂曲である」と。またいわく「邪宗の僧が在家の者のため法を説いて、世人には六通の羅漢のごとく恭敬されている」と。これらの経文は、今の世の念仏・禅・律等の諸宗の法師がなければ、仏が大妄語の人となる。「つねに大衆の中にあり、ないし国王、大臣、婆羅門、居士等に向かって法華経の行者を訴えるであろう」と。今の世の僧等が、日蓮を讒奏して島流しにしないならば、この経文はむなしくなるであろう。またいわく「数数擯出せらるる」と。日蓮が法華経のゆえにたびたび流されなければ、数数の二字をどうするか。この二字は天台・伝教もまだ読まれてない。まして余人が読むはずがない。末法の始のしるし、恐怖悪世の中という金言のあうゆえに、ただ、日蓮一人がこれを身で読んだのである。
たとえば、釈尊が付法蔵経に記していわく「わが滅後一百年に阿育大王という王が出現するであろう」と。摩耶経にいわく「わが滅後六百年、竜樹菩薩という人が南インドに出るであろう」と。大悲経にいわく「わが滅後六十年に末田地という者が、地を竜宮に築くであろう」と、これらの予言はすべて、仏の記しておいたとおりになった。もしそのとおり予言が合わないならば、だれが仏教を信受できようか。しかるに、仏は法華経の行者が出現して、大白法を広宣流布せしむる時を定めて、「恐怖の多い悪世である」また「然後末世」「末法滅時」「後五百歳」などと、正法華経にも妙法蓮華経にも、正しく定められている。当世において、法華経に説かれたごとく、三類の強敵がないならば、だれが仏説を信受できようか。日蓮が出現しなければ、だれをか法華経の行者として、仏の予言をたすけようか。天台大師に反対した南三北七の邪宗の僧も、伝教大師に反対した奈良七大寺の邪宗の僧も、なお像法の法華経の敵と定められている。いわんや当世の禅や律や念仏を説いている者が、法華経の敵でないわけがあろうか。経文に予言されたことと、自身の行動とがぴったりと一致している。幕府の迫害を受ければ、いよいよ悦びを増すのである。たとえば、小乗経を修業する菩薩がいまだ惑を断じていないので、「願って業を兼ぬ」と申して、作りたくない罪であるけれども、父母等が地獄に堕ちて大苦を受けているのを見て、形どおりの罪業をつくり、願って地獄に堕ちて苦しむのと同じである。日蓮もまたこのとおりであって、現在の大難は耐えられないほどであるが、未来に堕つべき悪道の因縁を断ち切って成仏すると思えば、かえって悦びとなるのである。すなわち小乗の菩薩、父母の苦に代わるを喜ぶごとく、日蓮は大難を受け、法華経の予言にわが身の一致するを見て、わが身が上行菩薩であり、末法の本仏であることを確信して喜ぶのである。

末法の現世には三類の強敵があり、法華経の行者として日蓮が出現している。しかるに日蓮は、度重なる大難を受けている。これに対し世間の人々は、日蓮が法華経の行者であることを疑い、また自分自身もこれを疑わざるをえないような事件が、つぎつぎと起きている。どうして諸天善神は、法華経の行者たる日蓮を扶けないのか。諸天等の守護神は、釈迦仏の法華経の会座で法華経の行者を守護すると誓っている。法華経の行者に対しては、たとえ行者が猨になっておっても、法華経の行者ですと言えば早急に仏前の誓いをとげるべきであると思うのに、それがないのは、わが身が法華経の行者でないのか。この疑いは、この開目抄の肝心であり、日蓮一期の大事であるゆえに、処々にこれを書き、疑を強くして答えを設けよう。

季札という人は自分の心の内で約束していたとおり、王の重宝たる剣を徐君の墓にかけて心の約束を果たしたという。王寿という人は河の水を飲み、ただではすまないと思って、金の鵞目を代金として河の中に入れた。公胤という人は主人が殺されて恥ずかしめられているのを見て、主君の肝を自分の腹の中へ押し入れて死んだという。これらの人はみな賢人であって、それぞれ恩を報じたのである。
 いわんや舎利弗・迦葉等の大聖は二百五十戒・三千の威儀が一つも欠けることなく、見思の惑を断じて三界を離れた聖人たちである。梵天・帝釈は諸天の導師であり一切衆生の眼目である。これら二乗も諸天も、四十余年の爾前経では「永く成仏することがない」と、きらい捨て果てられてあったが、法華経の不死の良薬たる永遠の生命観を聞いて、たちまち成仏すべしと許された。それは燋れる種が芽を生じ、破れた石が合い、枯木に華が咲き菓がなるようなものである。しかしまだ未来の成仏を許されたのみで八相成仏を現じていない。どうして法華経の重恩を報じないでいられようか。もし報じないならば、外道の賢人たちにも劣る不知恩の畜生である。
 毛宝に救われた亀は、毛宝が自分の衣類を売って救ってくれた恩を報じ、昆明池の大魚は、漢の武帝に救われた恩を報じようとして、明珠を夜中に捧げたと伝えられている。畜生すらかくのごとく恩を報じているから、まして舎利弗・迦葉等の大聖が恩を報じないわけがあろうか。阿難尊者は斛飯王の次男で釈尊の従弟であり、羅睺羅尊者は浄飯王の孫で釈尊の子である。世間の人々の中では家柄が高い上、爾前経では声聞の道を修業し、証果の身となって、成仏できないとおさえられていたのに、八年の法華経を説かれる席では、山海慧および蹈七宝華などと如来の号をさずけられたのである。もし法華経が説かれないならば、どんなに家柄が高く大聖といわれていても、だれが恭敬するだろうか。
 夏の桀・殷の紂と申すは、万乗の主であり土民の帰依するところであった。しかれども、悪政のため世をほろぼしてしまったので、今日でも悪人の手本には桀紂・桀紂というではないか。下賎の者や癩病の者でさえも「お前は桀紂のようだ」といえば、バカにされたと思って腹が立つのである。このように、国王であっても、無徳ならば、だれも崇めることはないのである。千二百の声聞も無量の声聞も、法華経が説かれなかったならば、だれがその名すら聞くことがあろうか。またこれらの声聞が出す声も、習うことはないはずである。一千の声聞が一切経を結集したと見る人もないであろう。ましてこれらの人々を絵像・木像にかきあらわして本尊とあおぐわけがない。これひとえに法華経の御力によって一切の羅漢たちは大衆に帰依される身となったのである。もろもろの声聞は法華経から離れたならば、魚が水から離れ、猿が木から離れ、小児が乳をはなれ、民が王から離れたようなものである。どうして法華経の行者を捨てようか。
 もろもろの声聞は、爾前の経では肉眼の上に天眼・慧眼を得た。その上、法華経では、法眼・仏眼をそなえたのである。十方世界すらなお照見されているであろうから、この娑婆世界にいる法華経の行者を知見できないわけがない。たとい日蓮が悪人であって一言・二言あるいは一年・二年・一劫・二劫ないし百千万億劫の間、これらの声聞を悪口罵詈し刀杖をも加えてきたとしても、法華経さえ信仰している行者であるならば、捨て去ることがないはずである。たとえば幼稚の者が父母の悪口を言ったからとて、父母がこれを捨てようか。梟鳥は自分の母を食うけれども、母はこれを捨てない。破鏡は自分の父を殺すけれども、父は子のなすがままに従っている。畜生すらこのとおりである。まして釈尊のお弟子たる大聖が、法華経の行者を捨てようか。絶対に捨てるわけがないのである。

されば法華経信解品に四大声聞が領解していわく「われらは今こそ真に仏の声を聞いた声聞である。仏道の声をもって一切をして聞かしむるであろう。われらは今真に阿羅漢である。もろもろの世間・天人・魔・梵の中にあって普くその供養を受けるであろう。世尊は大恩ましまして、希有の事をもってわれらをあわれみ教化して利益を与えてくださったのである。無量億劫にもだれかその恩を報ずることができようか。手足をもって仏さまに供養し、頭を地につけて礼拝し、一切をもって供養し奉っても、みな仏恩を報ずることはできないのである。もしは仏の身を頂戴し両肩に荷って恒沙劫の間・心をつくして恭敬し、また美味の膳を供え無量の宝衣および、もろもろの寝具、種々の薬湯をもって供養し、牛頭栴檀およびもろもろの珍宝をもって塔廟をたて宝衣を地に布き、このようにして恒沙劫の間、あらゆる御供養を申し上げても、また仏恩を報ずることはできないのである」と四大声聞はいっている。
 もろもろの声聞らは、前四味の爾前経においては、どれほどの呵嘖をこうむり、人天大会の中で、恥辱がましきことを数知れず受けた。そのゆえに、迦葉尊者の泣き叫ぶ声は三千世界をひびかし、須菩提尊者はぼう然として手の一鉢を捨てた。舎利弗は食べている飯を吐き出し、富楼那は宝器に糞を入れているような下劣な人間であると嫌われた。
 世尊は初めて成道した時、鹿野苑において阿含経を讃歎し、二百五十戒を師として修業せよなどと、ねんごろにほめさせ給うておきながら、今また、いつの間に自分の所説を、このようにまでそしり、声聞の弟子を弾呵されるのであろうか。一仏二言で前後の相違する失というべきである。たとえば、世尊は提婆達多を「汝は愚人で、人の唾を食う」と罵詈されたので、提婆は毒の箭が胸に食いいるごとき思いで怨んでいわく「釈迦は仏ではない。自分は斛飯王の嫡子であり、阿難尊者の兄で、釈迦とは従兄弟の仲にある。どんなに悪いことがあったからとて、内々に教訓すべきである。これほど大衆の面前で一族の者を痛罵するような非常識の者は、大人とか仏陀の中にありえないであろう。されば、釈迦出家以前には恋人を奪われた敵であり、今は一座の敵である。今日よりは生生・世世に、必ず釈迦の大怨敵となるべし」と誓ったのである。
 これをもって思うに、今もろもろの大声聞は外道の婆羅門の家から出ている。また、もろもろの外道の長者であったから、諸国の王に帰依され、多くの檀那に尊ばれていた。あるいはその種姓が高貴の人もあり、あるいは富福が充満している者もあったのである。しかるに声聞の弟子たちは、これらの栄官等を打ち捨て慢心を打ち捨て折り伏せ、俗服を脱ぎ薄墨色の糞衣を身にまとい、白払・弓箭等をうちすて一鉢を手ににぎり、貧乏人や乞食のようになって釈尊にしたがったのである。風雨を防ぐ宅もなく、身命をつぐ衣食も乏しくて、難行・苦行をかさねたのである。その上、全国はこぞってみな外道の弟子・檀那であったから、釈尊すら九度も大難にあわれた。すなわち提婆が大石を転がして殺害しようと企て、阿闍世王は釈尊が乞食に出た時に酔象を放って殺そうとし、阿耆多王は九十日の間、馬の麦を釈尊と弟子に与えた。婆羅門城下を乞食した時は、下婢より腐った食物を与えられ、旃遮婆羅門の女が鉢を腹にふせて、釈尊の子供を生むのだといって誹謗し等々の難を受けたのである。
 仏ですらこのとおりで、まして弟子たちの受けた迫害は申すまでもない。無量の弟子たちは波瑠璃王に殺され、千万の眷属は酔象に踏みにじられ、華色比丘尼は提婆に害せられ、迦廬提尊者は馬糞に埋められ、目連尊者は竹杖外道に殺害された。その上、六師外道は共謀して阿闍世王や婆斯匿王等に讒奏していわく「瞿曇(釈迦)は閻浮第一の大悪人である。かれが行くさきざきでは、三災七難が競い起こっている。それはあたかも大海にあらゆる河川の流れを集め、大山に衆木を集めているようなもので、釈迦のところにはあらゆる邪悪を集めている。いわゆる迦葉・舎利弗・目連・須菩提等がこの悪人の標本である。人間に生まれてきた以上は、忠孝をまず第一としなければならないのに、彼らは釈迦に迷わされて父母の教訓を用いることなく出家し、王法の宣旨にも背いて世を捨て、山林に遁れている。このような不忠不孝の者は、一国に跡をとどむべき者ではない。そのゆえに天には日月・衆星が変をなし、地には多くの不祥事が盛んに起きている」などといって訴えている。
 まったく堪えられないほどの難を受けている上に、さらに釈尊からも不成仏の者と嫌われていた。人天大会の説法の座で、時々呵責の声を聞くのでどうしてよいかもわからず、あわてる心のみであった。その上、これらの中で第一の大難は、浄名経に「声聞の弟子たちに布施する者は福田と名づけず、ただかえって三悪道に堕ちる」と説かれていることである。文の意は、仏が菴羅苑という所にいた時に、梵天・帝釈・日月・四天・三界の諸天・地神・竜神等、無量無数の大会の中において、説法していわく、「須菩提等の比丘等を供養する天人は三悪道に堕ちるべし」といったのである。これを聞いた天人たちは、これらの声聞に供養するはずがない。結局は仏のお言葉をもって、もろもろの二乗の弟子を殺害されるのかとすら思われた。心あらん人々はかえって釈迦仏をも、うとんだであろう。されば、これらの人々は仏を供養し奉るついでにこそ、わずかの供養を得て身命を保っていたのであろう。

されば、釈迦仏法における二乗の作仏・不成仏ということの心を案ずるに、四十余年の爾前経のみを説かれて、法華経八箇年の説法がなくて釈尊が入滅したとすれば、だれの人がこれら声聞の弟子たちを供養するであろうか。おそらく供養する者もなく、現身に餓鬼道に堕ちたであろう。しかるに、四十余年の経々をば、春先の太陽が氷を消滅するがごとく、無量の草の露を大風が吹き落とすごとく、一言をもって一時に「未だ真実を顕わさず」と打ち消してしまった。しこうして、大風が黒雲を吹き散らし、大空に満月が輝いているごとく、青空に太陽が輝いているごとく「世尊の法は久しくして後要ず当に真実を説くべし」と照らさせ給いて、舎利弗は華光如来・迦葉は光明如来等と、赫赫たる太陽、明明たる満月のごとく法華経に説き示されたので、釈尊滅後の人天の諸檀那等から仏さまのごとく仰がれたのである。
 水が澄むならば月は必ず影を浮べ、風が吹けば草木はなびくのである。そのように、法華経の行者があるならば、これらの聖者は大火の中をくぐってでも、大石の中を通ってでも、法華経の行者を訪うべきである。迦葉が入定したというのも事によりけりで、法華経の行者が難にあうをだまって見ておれるだろうか。不審きわまりないことである。後五百歳の予言があたらないのか、広宣流布は妄語となるべきか、日蓮が法華経の行者ではないのか。法華経を教内と下して教外別伝と称する大妄語の禅徒を守るべきであるのか。法華経を捨てよ閉じよ閣け抛て等と書いて法華の寺を失なわせる、念仏の徒を守護するのであろうか。仏前では法華経の行者を守護すると誓ったが、末法濁世の大難の激しさを見て、諸天は怖れをなして日蓮を守護しないのか。日月は天にまします。須弥山は今もくずれてはいない。海潮も増減し、春夏秋冬の四季も形のとおり違(たが)わないが、法華経の行者にさっぱり守護がないとはどうしたことか、と大なる疑いが、いよいよつもってくるのである。

また諸大菩薩・天人等は、爾前の経々で記莂をうけ成仏すると説かれているようであるけれども、それは水中の月を取ろうとするごとく、影を体と思うごときものであって、形式的に成仏を許されているのみで実義はないのである。それゆえ爾前経を説いている釈尊の恩というものは、深いようでいて実は浅いのである。釈尊が最初成道の時にはまだ説教もないのに法慧菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩・金剛蔵菩薩などという六十余の大菩薩が、十方の諸仏の国土より教主釈尊の御前に集まりきたって、賢首菩薩・解脱月菩薩等の請に応じて、十住・十行・十回向・十地等の法門を説かれたのである。これらの大菩薩が説いた法門は、釈尊に習い奉ったのではない。十方世界のもろもろの梵天等も来て法を説いたが、また釈尊に習ったのではない。総じて、華厳の会座に集まった大菩薩・天竜等は釈尊以前に不思議解脱に住していた大菩薩である。釈尊の過去因位の修業時代の御弟子であろうか、十方世界の先仏の御弟子であろうか。いずれにしてもインドに生まれて三十歳で成道した釈迦の弟子でないことは明らかである。
 阿含・方等・般若の時、蔵・通・別・円の四教を釈尊が説いた時にいたって、ようやく弟子ができてきたのである。これもまた釈尊のみずから説いた教えではあるが正説ではない。なぜならば、方等・般若の別円二教は華厳経の別円二教の範囲を出ていない。すなわち、これらの別円二教は、教主釈尊の教えではなくて法慧菩薩等の教えである。これらの大菩薩は、人目には釈迦仏の弟子であるかのように見えるけれども、かえって釈迦仏の師ともいうべきである。釈尊は、華厳の時に、彼の菩薩が説いた説法を聴聞して智慧を啓発してのち、かさねて方等・般若の別円をといたのである。方等・般若の別円は、華厳の別円とまったく同じである。であるから、これらの大菩薩は釈尊の師である
 華厳経には、これらの菩薩を数え上げて善知識と説かれているのはこのゆえである。善知識というのは、一向に師匠というのでもなく、また一向に弟子という立ち場でもないことをいうのである。蔵通の二教は、また別円二教の枝流であるから、別円二教を知る人は必ず蔵通二経をも知るのである。人の師というのは弟子の知らないことを教えるのが師である。しかるに、始成の釈尊は、華厳の会座以上のものを教えていないから、師というわけにいかない。たとえば、釈迦仏より前のいっさいの人天・外道は、二天・三仙の弟子である。九十五種まで流派したけれども、結局は三仙の教えの範囲から出てはいない。教主釈尊も、外道の師から習い伝えて弟子となっていたが、苦行・楽行を十二年間つづけて苦・空・無常・無我の理を悟った時に初めて外道の弟子ではなくなり、「無師智」と名のられたのである。また人天も、釈尊を大師と仰ぎまいらせたのである。
 されば前四味・四十余年の間は、釈尊は法慧菩薩等の御弟子である。たとえば文殊は釈尊の九代前のお師匠であるというようなものである。つねは諸経に「一字をも説かず」と説かせられたのもこれである。

釈迦仏が御年七十二歳の時、摩竭提国・霊鷲山と申す山において無量義経を説かれた時に、四十余年の経々をあげて、枝葉の教をいっさいその中におさめて「四十余年には未だ真実を顕さず」と打ち消された理由はここにある。すなわち、この時こそ諸大菩薩・諸天人等は、あわてて「それでは真実の教えはどうか」と質問したのである。無量義経にては、実義とおぼしい事はただ一言説かれているけれども、まだ実義はあらわれていない。たとえば、月が出ようとしてその体はまだ東山に隠れており、光は西山を照らしているけれども、人々は月の体を見ないのと同じである。
法華経方便品の略開三顕一の時、仏は略して一念三千を説き、心中の本懐を述べられた。しかし始めてのことゆえ、ほととぎすの初音を寝とぼけた者が一音聞いたように、月が山の端から出てきたが薄雲がこれをおおっているごとく、かすかであった。舎利弗等は、驚いて諸天・竜神・大菩薩等を加えて、経文に「諸天・竜神等は、その数が恒沙のごとく多数であり、また仏を求めるもろもの菩薩の大数八万もあり、またもろもろの万億国の転輪聖王も集まってきて合掌して敬心をもって具足の道を聞かんと欲す」等とあるごとく、釈尊に対して真実の悟りを説法してくださいと請うたのである。この文の心は、四味・三教・四十余年の間、いまだ聞かざる法門をうけたまわりたいと請うたのである。この文に「具足の道を聞かんと欲す」ということは、大般涅槃経にいわく「薩とは具足の義に名づく」等云云と説かれている。また無依無得大乗四論玄義記にいわく「沙とは訳して六という。胡法(西域・インド)には六をもって具足の義となすのである」と。吉蔵の疏にいわく「沙とは翻じて具足となす」と。天台の玄義の八にいわく「薩とは梵語であり、中国のことばに妙と翻ずるのである」と。付法蔵の第十三であり真言・華厳・その他諸宗の元祖で、本地は法雲自在王如来・迹に竜猛菩薩と号した初地の大聖の大智度論千巻の肝心にいわく「薩とは六である」等と云云。

妙法蓮華経と申すは漢語である。インドでは薩達磨分陀利伽蘇多攬といっている。善無畏三蔵の法華経の肝心の真言には「ノウマクサーマンダボダナン」等といっている。この真言は南インドの鉄塔の中から発見された、法華経の肝心の真言である。この真言の中に薩哩達磨というのは正法である。薩というのは正である。正は妙であり妙は正である。正法華・妙法華と二様に訳されたのも、このゆえである。また妙法蓮華経の上に南無の二字を置き、南無妙法蓮華経というのがこれである。
 妙とは具足であり、六とは六度万行である。もろもろの菩薩の六度万行を具足する様を聞きたいと思うとの意である。具とは十界互具、足とは十界おのおのに十界を互具するのでそのままの位で他の九界をそなえる、すなわち満足の義である。この法華経は、一部・八巻・二十八品・六万九千三百八十四字・一一にみな妙の一字をそなえて、三十二相・八十種好の仏陀である。十界にみなそれぞれの界の仏果をあらわす。妙楽は「十界にみな仏果を具している。いわんや、他の果もまた具すのはとうぜんである」といっている。
 仏は答えていわく「衆生をして仏の知見を開かしめんと欲する」と。この衆生というのは舎利弗であり、また衆生というのは一闡提。また衆生というのは九法界であって、「衆生の無辺なるを度せん」と誓願したことがここに満足した。ゆえに「自分は過去世に誓願して、いっさいの衆をして仏と等しくして異なること無からしめんと欲した。この昔の所願は今はすでに満足した」云云、と説かれているのである。諸大菩薩・諸天等はこの法門を聞いて領解していわく「われらは昔よりこのかた、しばしば世尊の説法を聞き奉ったが、いまだかつて、かくのごとき深妙の上法を聞かなかった」といっている。伝教大師いわく「われらは昔よりこのかた、しばしば世尊の説法を聞いたというのは、昔、法華経の前に華厳等の大法を説くのを聞いたけれども、との意である。いまだかつてかくのごとき深妙の上法を聞かなかったというのは、いまだ法華経の唯一仏乗の教を聞かなかったとの意である」云云と釈している。
 これを要するに、華厳・方等・般若・深密・大日等の恒河沙の諸大乗経には、いまだ一代仏教の肝心たる一念三千の大綱・骨髄である二乗作仏と久遠実成等をば説き示されていないことがはっきりしたのである。

また今よりこそ(法華経に入って)諸大菩薩も梵天・帝釈・日天・月天・四天等も教主釈尊の御弟子たることが定まったのである。されば宝塔品には、これらの大菩薩を仏が自分の弟子であるとおぼしめすゆえに諌暁していわく「もろもろの大衆につぐ、仏の滅後において、だれかよくこの経を護持し読誦するか。いまここにみずから進んで誓いをのべよ」と、したたかにおおせくだされたのである。また諸大菩薩も「たとえば大風が小樹の枝を吹きなびかすようなものである」と、吉祥草が大風にしたがい、河水の大海へ流れ入るがごとく、仏にしたがいまいらせたのである。
 しかれども、迹門ではいまだ霊鷲山の説法も日浅くして、夢のごとくはっきりしないでいたが、迹門を証明する証前の宝塔についで本門を説き起こす起後の宝塔があって、十方の諸仏が来集したのをみなわが分身であると名のらせ給い、宝塔は虚空にあって、釈迦仏・多宝仏が坐をならべ、日月が同時に青天へ並び出でたるごとき荘厳さであった。人天大会の大衆は星をつらねるごとく虚空にならび、分身の諸仏は大地の上で宝樹の下の師子座にましました。このように荘厳雄大な儀式は爾前経ではとうていみることができなかった儀式である。すなわち華厳経の説法された蓮華蔵世界は他受用報身仏の説法であるが、十方世界と娑婆世界が別々で、かの界の仏がこの土に来って法華経のごとく分身となのることもなく、この界の仏もかの界へ行くことなしに、ただ法慧等の大菩薩のみが釈尊の説法の会座へ来たにすぎなかった。大日経・金剛頂経等の八葉九尊の三十七尊等の仏菩薩も大日如来の化身とはみえるけれども、その化身も三身円満の久成の古仏ではない。大品般若経の千仏・阿弥陀経の六方の諸仏もいまだ来集した分身仏ではない。大集経に来集した仏もまた分身ではない。金光明経の四方の四仏は化身である。
 このようにいずれの経々にも、総じて一切経中に各修各行の三身円満の諸仏を集めてわが分身であると説かれた例はない。これすなわち宝塔品は寿量品の遠序たるゆえんである。いまだ顕本してない釈尊が悟りを開いて四十余年であるのに、一劫十劫等のむかしから成道している諸仏を集めて分身であると説かれたことは、さすがに諸仏はすべて平等であるとの平等意趣にも似ることなく、おびただしくおどろかしいことである。また始成の仏であるならば、所化の弟子が十方に充満するわけもなく、分身の徳は備わっていても、示現して利益のあるわけがない。天台はいわく「分身がすでに多いことを見て成仏の久しいことを知るべきである」と、会座の大衆が驚いた意を述べている。

その上に地涌千界の大菩薩が大地より出来した。釈尊にとっては第一の御弟子と思われる普賢菩薩・文殊師利菩薩等すら比較にならない偉大さである。華厳・方等・般若・法華経の宝塔品に来集した大菩薩や大日経等の金剛薩埵等の十六人の大菩薩なども、この地涌の菩薩に比べると、猿のむらがっている中に帝釈天が来たようなものである。あたかも山奥の樵夫・杣人の中に月卿等の貴人がまじわっているのと同様であった。釈迦仏のあとを嗣ぐといわれた弥勒すら、なお地涌の出現に惑われた。しかしてそれ以下の者の驚きと当惑はひじょうなものであった。この千世界の大菩薩の中に四人の大聖がましました。いわゆる上行・無辺行・浄行・安立行であらせられる。
 この四人は虚空会および霊山会に来集している諸菩薩等が、眼をあわせることも心のおよぶこともなかった。華厳経の四菩薩・大日経の四菩薩・金剛頂経の十六大菩薩等も、この菩薩に対すれば翳眼のものが太陽をまともに見られないごとく、いやしい海人が皇帝に向い奉るような状態であった。太公望等の四聖が大衆の中にいるごとく、商山の四人の君子が漢の恵帝に仕えたのと異ならない。じつにぎぎ堂々として尊高であった。釈迦・多宝・十方分身の諸仏をのぞいては、一切衆生の善知識ともたのみ奉るべきであろう。
 そこで弥勒菩薩は心の中ではつぎのように思っていた。自分は釈迦仏が出家する以前の太子であった時から、三十歳で成道し、いまの霊鷲山で法華経の説法が開かれるまでの四十二年のあいだ、この世界の菩薩も十方世界より来集した菩薩もみなことごとく知っている。またその上に十方の浄土へも穢土へも、あるいはお使いとしてあるいはみずから遊びに行って、その国々の大菩薩も見聞して知っている。しかしこの地涌の大菩薩はいまだかつて見聞したことがない。この大菩薩のお師匠はどのような仏さまであろうか。よもこの釈迦・多宝・十方の分身の諸仏には似るべくもない仏さまであらせられるであろう。雨の猛烈に降るを見て竜の大なることを知り、華の大きく盛んなるを見てこれを育てている池の深いことは知られるであろう。これらの大菩薩はいかなる国から来て、また誰と申す仏にあい奉り、いかなる大法をか修習し給うているのかと疑っていた。あまりのふしぎさに声を出すことすらできなかったけれども、仏力の加護によるのであろう、つぎのように質問した。
 すなわち弥勒菩薩は疑っていわく「無量千万億の大衆のもろもろの菩薩は、昔よりいまだかつて見たことのないところである。このもろもろの大威徳・大精進の菩薩衆に対して、だれがそのために法を説いて教化して仏道を成就せしめたのか。誰にしたがって初めて発心し、いずれの仏法をか称揚して修行を積んできたのか。世尊よ、われ昔よりこのかたいまだかつてこのことを見たことがない。願わくば、その住する国土の名を説き聞かせてください。自分はつねに諸国に遊んできたが、いまだかつてこの事を見たことがない。自分はこの地涌の大衆を見てもひとりも知っているひとはない。忽然として大地より涌出せられた。願わくばその因縁を説いてください」と。
 天台いわく「寂滅道場における最初の説法より以来、法華経の座にいたるまで十方の大菩薩が絶えず来会してその数は限りないとはいえ、自分は補処の智力をもってことごとく見、ことごとく知っている。しかれどもこの衆においてはひとりをも知らず。しかるに自分は十方に遊戯して諸仏にまのあたり奉仕し、大衆によく識知せられているのである」と。妙楽はさらにこれを釈していわく「智人は将来起こるべきことを知るが愚人は知らない。蛇の道は蛇で、蛇はみずから蛇を知っている」と、このように経文も解釈も説明するところの意味は分明である。要するに初成道より法華の会座にいたるまで、この国土においてもまた十方国土においても、これらの大菩薩を見たてまつらず、また聞いたこともないというのである。

仏は弥勒菩薩の質問に答えていわく「阿逸多(弥勒)よ、なんじらが昔よりいまだ見たことのないというこれらの大菩薩たちは、自分がこの娑婆世界において成仏してよりこのかたこのもろもろの菩薩を教化し、指導して、その心を調伏して大道心をおこさしめたのである」と。またいわく「われは伽耶城の菩提樹の下に坐して、最正覚を成ずることを得、しかして無上の法輪を転じ、これらの大菩薩を教化して初めて道心をおこさしめ、いまはみな不退の位に住している。乃至自分は久遠よりこのかたこれらの衆を教化した」と涌出品に説き明かしている、これはすなわち略開近顕遠である。
 ここにおいて弥勒等の大菩薩はおおいに疑いを持った。華厳経の時には法慧等の無量の大菩薩が集まった。いかなる人々かと思われた時に、仏はわが善知識であるとおおせられたから「そうかもしれない」と思っていた。その後の大集経を説いた大宝坊や、大品般若経を説いた白鷺池等に集まってきた大菩薩もまた仏の善知識であるように思われた。この地涌の菩薩たちはかれらには似もつかぬ古くて尊げに見える。定めて釈尊のご師匠かなどと思われるのに「初めて道心をおこさしめた」と説いて、かつては幼稚のものであったのを、教化して弟子としたなどとおおせられたことは、大なる疑いである。日本の聖徳太子は人王第三十二代用明天皇の御子である。御年六歳の時、朝鮮半島や中国大陸から渡ってきて学問技芸等を伝来した老人たちを指して「わが弟子なり」とおおせられたので、かの老人たちはまた六歳の太子に合掌して「我が師であらせられる」といったというが、実にふしぎなことである。外典にはまたつぎのような話がある。ある人が道を行くと路傍において、三十歳ばかりの若者が八十歳ばかりの老人をとらえて打っていた、どうしたことかと問えば「この老人はわが子である」と青年が答えたという話にも似ている。
 されば弥勒菩薩等は疑っていわく「世尊よ、如来は太子であらせられた時、釈の宮を出で、伽耶城を去ること遠からずして道場に坐して悟りを開かれたのである。それよりこのかた始めて四十余年を過ぎたのであるが、世尊よ、いったいどうしてこの少ない期間にこのような偉大な菩薩大衆を化導しておおいなる仏事をなしとげられたのか」と。一切の菩薩を始め、華厳経より四十余年、それぞれの時々に疑いを設けて一切衆生の疑いを晴らせてきた中に、この疑いこそもっとも第一の疑いである。無量義経において大荘厳菩薩等が四十余年の爾前経は歴劫修行であり、無量義経にいたって始めて速疾成仏道と説かれて生じた疑いにもまさる大疑である。
 観無量寿経において韋提希夫人が子息の阿闍世王に殺されようとし、しかも夫人の夫で阿闍世の父たる頻婆沙羅王が幽閉されて殺されたのは、阿闍世が提婆達多を師としたからである。阿闍世は韋提希夫人をも殺そうとしたが耆婆と月光の二人の大臣に諌められて、これを放ったが、この時に夫人は釈尊に会ってまず第一の質問に「自分の過去世になんの罪業があって、このような悪子を生んだのか。世尊はまたなんの因縁があって提婆達多のごとき悪人と従兄弟の間柄に生まれてきたのか」と、この疑いの中に「世尊はまたなんの因縁があって……」等の疑いは大なる大事である。転輪聖王は敵とともに生まれず、帝釈は鬼とともにいないといわれているが、仏は無量劫以来の大慈悲者であらせられるのになにゆえに大悪逆の達多とともにいるのか。かえって仏ではないのであろうかと疑ったのである。しかれどもその時に仏は答えなかった。されば観経を読誦する人は、法華経の提婆品に来て初めて説き明かされる因縁を聞かなければなんにもならないのである。大涅槃経に迦葉菩薩が三十六の質問を出しているが、それも涌出品におけるこの弥勒の疑いにはおよばない。されば仏がこの疑いを晴らさないならば、一代の聖教は泡沫と同じになり、一切衆生は疑いの網にかかってしまうであろう。すなわちこの疑いに正しく答えられた寿量の一品が大切なる理由はこのゆえである。

その後仏は寿量品を説いていわく「いっさい世間の天人および阿修羅はみないまの釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出で、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たとおもっている」と。すなわちこの経文は始め寂滅道場より終わりは法華経の安楽行品第十四にいたるまでのいっさいの大菩薩たちの考えているところを指摘したのである。ついで「しかるに善男子よ、われはじつに成仏してよりこのかた無量無辺百千万億那由佗劫である」と説き示された。この文は華厳経の三箇所に説いてある「始めて正覚を成じ」の文、阿含経にある「初めて成道す」の文、浄名経の「始め仏樹に坐し」の文、大集経の「始めて十六年」の文、大日経の「われ昔道場に坐して」の文等、仁王経の「二十九年」無量義経の「われさきに道場に坐して」の文、法華経方便品の「われ始め道場に坐して」等のながいあいだの説法をわずか一言で大虚妄であると破折する文である。

さてこのように釈尊の過去常住が顕われる時に諸仏はみな釈尊の分身である。爾前経や法華経の迹門が説かれた時には、これらの諸仏が釈尊と肩を並べてそれぞれの修業を積んだ仏であった。このゆえに爾前迹門の諸仏を本尊とするものは、釈尊等を卑下している。しかるにいま、発迹顕本されてみると、華厳の台上の仏も、方等・般若・大日経等の諸仏も、みな釈尊の眷属である。釈迦仏が三十で成道した時には、それまで大梵天王・第六天の魔王等が知行していた娑婆世界を奪い取って釈尊の国土であることを明らかにした。しかして爾前迹門の時には十方の国土を浄土であるといい、この土を穢土であると説かれたのを、寿量品にいたって、この土は本土であり十方の浄土はかえって垂迹の穢土であると説き示したのである。このように、寿量品の仏は久遠の本仏であるから、迹化の大菩薩も、他方国土の大菩薩も、みな教主釈尊の御弟子である。一切経の中にこの寿量品がなかったならば、天に日月のないごとく、国に大王のないごとく、山河に宝珠のないごとく、人に神のないのと同じである。
 しかるに華厳宗や真言宗等の権経を立てる宗派において、智者であるとあおがれている澄観・嘉祥・慈恩・弘法等の人々は釈尊の方便をもって一往説いた爾前経に執着して、再往の実義たる法華経を知らず、かつはまた、みずからの依経を讃歎するためにつぎのようにいっている。すなわち華厳宗では「華厳経の教主は報身如来であり法華経の教主は応身如来で劣る」といい、真言宗では「法華寿量品の仏は無明の辺域でいまだ煩悩を断ち切らない迷いの地位にあり、大日経の仏は明の分位で悟れる仏である」等といっている。世間の例を見ても雲は月をかくし、讒言をする臣は賢人をかくす。多数の人が讃めたたえれば黄色の石が玉と見え、へつらいの臣も賢人かと思われる。いま末法濁世の学者たちはかれらの讒言の義にとらわれ隠されて、寿量品の宝珠を尊重していない。それのみか法華経を依経とする天台宗の人々さえも、たぼらかされて金と石の見分けがつかないごとく、爾前と法華とを同じように思っている人々がある。
 仏が久遠実成の仏でないならば、所化の弟子も少ないことを弁うべきである。月は影を惜しむことはないけれども、水がなければうつるわけがない。それと同様に仏も衆生を化導しようと思っても衆生の結縁が薄ければ応誕して八相作仏を現ずることがない。たとえばもろもろの声聞が初地・初住までは修業して登っても、爾前経では自調自度で、すなわちみずからの修業にのみ励み化他行が欠けていたから、未来の八相作仏を期して現世の成道がなかったのと同じである。しかれば教主釈尊がインドで成仏した始成の仏であるとするならば、この娑婆世界の梵天・帝釈・日天・月天・四天等は、劫初よりこの国土を領有しているといっても四十余年来の仏弟子である。あたかも霊山会八年間の法華に結縁した衆生が、新参者の主君たる釈尊になじまず、かえってこの娑婆世界に久住古参の梵帝等にへだてられ遠慮しているようなものである。いま久遠実成があらわれてみれば、東方薬師如来の弟子たる日光菩薩・月光菩薩、西方阿弥陀如来の弟子たる観音菩薩・勢至菩薩、その他十方世界の諸仏の御弟子、大日経金剛頂経等の両部の大日如来の御弟子たる諸大菩薩等々いっさいの菩薩はすべて教主釈尊の御弟子である。諸仏が釈尊の分身である以上は、その諸仏の弟子たちは申すまでもなく釈尊の弟子であり、ましてこの娑婆世界の劫初より住している日月や衆星等は教主釈尊の御弟子であることはいうまでもないことである。

このように法華経寿量品における久遠実成の釈尊こそいっさいの諸仏諸経の根源であるにかかわらず、天台宗以外の諸宗はみな本尊に迷っている。倶舎・成実・律の三宗は小乗の三十四心・断結成道の釈尊を本尊としている。これはたとえば、天王の皇太子が迷ってわが身は種姓もない民の子であると思うようなものである。華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗経の宗旨であるが、法相と三論は勝応身に似た仏を本尊としている。これはあたかも天王の太子が、自分の父は普通の侍であるくらいに思っているようなものである。華厳宗・真言宗は釈尊を卑下して法身の大日如来等を本尊と定めているが、これは天子である自分の父を卑下して、種姓もない、ただ形ばかり法王のごとく見せかけているものにつきしたがっているようなものである。浄土宗は釈尊の分身である阿弥陀仏を有縁の仏であると思って、真実の教主たる釈尊を捨てている。禅宗は下賎の者が自分の一分の徳をもって父母を卑しみ下げるがごとく、坐禅によって見性成仏と立て、仏と経を下げている。
 このように各宗派はすべて仏をさげ、経をくだして信心修行の根本となるべき本尊に迷っている。たとえば中国における三皇以前の古代には、人々は父母を尊敬すべきことを知らずに禽獣に同様であったのと同じである。寿量品の仏を知らない諸宗のものは畜生と同じで不知恩のものである。ゆえに妙楽大師は「釈尊一代の仏経中に寿量品をのぞいては、いまだかつて仏寿の長遠を顕わしたものがない。父母の寿命は子として知っているべきであり、もし父の寿の長遠を知らないならば、また父の統治する国をも知らずに迷っていることになる。これではいたずらに才能があるからといっても、まったく人の子ではなく畜生である。すなわち寿量品を知らない諸宗の学者は畜生である」といっている。
 妙楽大師は唐の末で天宝年中の人である。三論・華厳・法相・真言等の諸宗の主張や依経を深く見聞し広く勘(かんが)えた結果、寿量品の仏を知らないものは父の統治する国に迷う才能のある畜生であると書かれたのである。いたずらに才能があるという人間とは華厳宗の法蔵や澄観や乃至真言宗の善無畏三蔵等は才能のある人師であるけれども、子の父を知らないようなものである。伝教大師は日本における顕密二教の元祖であるが、その著述された秀句に「他宗のよりどころとしている経は仏母の義が一分はあれどもただ愛のみがあって厳の義を欠いている。これに対し天台法華宗は厳愛の義をそなえているゆえに、いっさいの賢人・聖人・学・無学者および菩薩心をおこさせるものの父である。すなわち仏道修行における下種の父であり本源である」といっている。真言・華厳等の経々には種・熟・脱の三義が名字すらなお説かれてない。いわんやその義があろうはずはない。華厳・真言等の経文に一生初地の即身成仏を説くのはどこまでも権経であって過去の生命をかくしている。下種を知らない脱であるから、叛逆者たる超高や道鏡が王位にのぼろうとしたのと同じである。

各宗派とも成仏の種は自宗の経であるといって争っているが、自分はこれと争わないで、ただ釈尊の経文を証拠として判定しようと思う。法華経を十無上であると立てた天親菩薩はその中に種子無上を立てている。天台の一念三千はすなわちこれである。華厳経や乃至もろもろの大乗経等の諸仏の成仏した種はなにかといえば、すべて法華の一念三千である。天台智者大師のみがただ一人この奥底を得られたのであって、諸宗の学者がこれを知るわけがない。華厳宗の澄観はこの天台の義を盗んで華厳経の「心は工なる画師のごとし」の文を一念三千であると立てた。真言大日経等には二乗作仏・久遠実成・一念三千の法門がない。しかるに善無畏三蔵は中国へ来てのち、初めて天台大師の止観を見て一念三千を知り、大日経の「心の実相」「われは一切の本初なり」等の文が一念三千であると立てて、これを真言宗の肝心とした。
 そのように盗み入れたのみか、その上に印と真言とは天台法華宗になく、真言宗にあると主張し、法華経と大日経との勝劣を判定する時「理は両方とも一念三千で同じであるが、事相においては真言がすぐれている」との釈を作ったのである。金剛界胎蔵界の漫荼羅にあらわされている二乗作仏・十界互具の原理が、はたして大日経にあるというのか。これこそ天下第一のごまかしである。ゆえに伝教大師は「最近中国から渡来してきた真言家は善無畏が天台の義によって釈して伝えた筆受の相承――もとよりごまかしであるが――を亡失し、弘法は法華経が三重の劣であるといっている。また旧来の華厳家はすなわち中国の法蔵が天台の義に影響を受けて論議を立てたことを隠して、法華経天台宗を誹謗しているのはじつにおかしなことである」といっている。
 俘囚の島のごとき未開の地へ行って「ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れ行く 舟をしぞ思ふ」という歌は自分が作ったのだといったら、無知文盲の連中はそうだと思うであろう。中国、日本の仏教学者もまたこのとおりである。されば天台宗九世の良諝和尚は「真言・禅・華厳・三論その他あらゆる宗の経々は一往はすぐれた法門であるようでも、もし法華経等に相対すれば一時的に説いて誘引摂帰する方便の門である」といっている。善無畏三蔵が謗法の罪により閻魔の責にあったのも、この権実相対を誤って理同事勝等と説いたからである。のちにこの邪見をひるがえして法華経に帰伏してこそ、閻魔の責をのがれることができたのである。
 その後、善無畏・不空等の真言宗の先輩は金剛界・胎蔵界の曼荼羅の中央に法華経を安置して、法華経を大王のごとく、胎蔵の大日経と金剛の金剛頂経をば、左右臣下のようにしたのもこのゆえである。日本の弘法も教相の十住心判には華厳宗を第九、法華経を第八となしたが、実際にはその弟子実慧・真雅・円澄・光定等の人々に伝える時、両界の中央に法華経を安置せよと説いている。これもまた内心では法華に帰伏している証拠ではないか。たとえば三論宗の嘉祥は、法華玄論十巻に、法華経を第四時の説で会二破二の一乗であると定めたが、のちには自説の非を悟り、天台に帰伏して七年のあいだつかえ、それまで持っていた自分の講席を廃し、衆徒を解散して天台大師の行かれる時に自分の身体を橋にして渡らせてまで前非を悔いたと伝えられている。
 また法相の慈恩は法苑林の七巻と十二巻に「一乗の経は方便で三乗の経は真実だ」等の妄言が多い。しかしながら、その弟子栖復の法華玄賛要集第四巻には「ゆえにまた両存す」といって一乗・三乗の双方を認め、法相集の主張たる五性格別をあいまいなものにしてしまった。ことばの上では両方を認めた形であっても、心は天台に帰伏していたのである。華厳の澄観は華厳の疏をつくり、華厳と法華と相対して法華は方便である、と書いているようであるけれども「天台宗は実義であり、わが宗の立義とその理が通じないところはなく同一である」などと書いているのは、後悔して天台宗の誹謗をやめた証拠ではないか。弘法もまたこのとおりである。亀鏡がなければ自分の顔を見ることができない。敵がなければ自分の非を知ることがない。真言宗の諸宗の学者等は自分の謗法を知らなかったけれども、伝教大師にあい奉って以上のとおり自宗の失を知ったのであろう。

されば諸経の諸仏・菩薩・人天等は、それぞれ爾前の経で成仏したようであっても、じつには法華経にいたってはじめて正覚を成じたのである。釈尊等の諸仏が菩薩行の時に立てた「無辺の衆生を度せん」とする誓願は、みなこの法華経において満足した。すなわち方便品の「いまはすでに満足した」と説かれたのがこれである。
 日蓮は以上の道理にもとづいて考えてみるのに、華厳・観経・大日経等の爾前経を読み修行する人をば、その経々の仏も菩薩も天等も守護するであろうことは疑いのないことである。ただし大日経や観経等を読む行者などが、すなわち真言や念仏の行者が法華経の行者に敵対をなすならば、かの行者を捨てて法華経の行者を守護すべきである。たとえば孝行の子供であっても、父が王敵となるならば、父を捨てて王のもとに参ずるのが孝行の至極である。仏法もまたこのとおりである。法華経の諸仏・菩薩・十羅刹が日蓮を守護するのはとうぜんのことであり、なおその上に浄土宗の六方から集まってきた諸仏・二十五の菩薩・真言宗の千二百等・七宗の諸尊・守護の善神がすべて日蓮を守護してくれるであろう。たとえばかつて七宗の守護神が伝教大師を守護したのと同じであると思う。
 日蓮はこのいきさつを考えて思うのに、法華経の二処三会の法座につらなっていた大日天・大月天等の諸天は法華経の行者が出来したならば、磁石が鉄を吸うごとく、月の影がそのまま水にうつるがごとく、ただちに来たってかたく法華経の行者を守護し、行者に代わって難を受け、もって仏前のお誓いを果たすべきであると思うのである。しかるにいままで日蓮をとぶらうことのない理由は、日蓮が法華経の行者でないのか。されば重ねて経文を勘えてわが身にあてて身のとがを知り、諸天善神が日蓮を守護するかしないかを明らかにするであろう。

日蓮大聖人のご宣言に対して、疑っていうには、当世の念仏宗・禅宗等をばいかなる理由により、いかなる智眼をもって法華経の敵人であり、一切衆生の悪知識であると断定するのであるか、と。
 答えていわく、私の意見はさしひかえ、経文解釈の明鏡を引き、もって謗法者どもの醜面を浮かべて、その罪状をみせしめよう。ただし、邪智謗法の生きめくらはその力がおよばず、かえって軽賤し怨嫉を懐くのみである。
 法華経の第四宝塔品にいわく「その時に多宝仏は宝塔の中において半座をわかちて釈迦牟尼仏に与えた。会座の大衆は釈迦・多宝の二如来が、七宝塔の中の師子座の上に正座を組んで坐っているのを見ていた。その時に釈迦仏は大音声をもってあまねく四衆につげていわく、誰かよくこの娑婆国土において広く妙法華経を説くものがあるか。今はまさしくその誓いを立つべき時であるぞ。如来はひさしからずしてまさに涅槃に入るであろう。仏はこの妙法華経を付嘱して仏滅後においてもながく正法の流布することを欲するのであるから、すみやかに誓いを立つべきである」と。これが法華経における第一の勅宣である。
 また同じく宝塔品にいわく「その時に、世尊は重ねてこの義を述べんと欲して偈を説いていわく、聖主世尊(多宝仏)は久しき昔に滅度されているとはいえ、いま釈迦仏が法華経を説くにあたり、宝塔の中に坐して、なお法のために来臨されている。大衆の諸君はどうしてみずから進んで末法の弘通を誓い、どうして不惜身命の誓いを立てないでいられようか。また釈迦仏分身の無量の諸仏が恒沙等のごとく無数に来集しているのも、すべてこの妙法を聴聞し、かつは未来の弘通をすすめんがために来たったのである。これらの諸仏はおのおの自身の妙なる国土および弟子衆・天人・竜神等のもろもろの供養のことを捨てて法をしてひさしく住せしめんがために、この娑婆世界に来至したのである。たとえば大風の小枝を吹きなびかすごとく、この方便をもって法をして未来永遠に流布せしめようとしているのである。もろもろの大衆につぐ、仏の滅後において誰かよくこの経を護持し読誦するものがあるか。いまこの仏前においてみずから誓いのことばを述べよ」と、これが第二の鳳詔である。
 またいわく「多宝如来および釈迦仏分身の化仏たちはもとより仏滅後の弘通を勧める意を知っているのである。もろもろの善男子よ、おのおの諦らかに思惟せよ、これはこれひじょうに難事である。よろしく大願を発せ。法華経以外の諸経典の数は恒沙のごとく多数であるが、これらを説くのはいまだむずかしいことではない。もし須弥山を持ち上げて、他方無数の遠い仏土に投げおくことは、いまだむずかしいことではない。もし仏の滅後、末法悪世の中によくこの経を説くことは、すなわちひじょうな難事である。たとえ、この世界が焼き尽くされる劫焼の中を枯れ草を背負って中へ入って、しかも焼けないこともまたこれはむずかしいことではない。仏滅後にもしこの経を持ちて一人のためにも説かんことは、すなわちひじょうな難事である。もろもろの善男子よ、わが滅後において、だれかよくこの経を護持し読誦するか。いま仏前においてみずからすすんで誓言を説け」とおおせられているのが、すなわち第三の諌勅である。第四、第五の二箇の諌暁は提婆品にあり、しだいを追って述べるであろう。

この経文の心は眼前に明らかである。青空に太陽の輝いているごとく白顔にほくろのあるように明々白々である。しかれども、生盲のものと、邪眼のものと一眼のものと、自分の邪師の教えのみ主張するものと、かたよった教えに執着するようなものは、この明らかな事実すら見違えるであろう。万難を排して真の仏道を求めるものに、しるしとどめて見せようと思う。かの中国における伝説の神女たる西王母の園の桃にあうのや、転輪聖王の出世の出現によって、三千年に一度咲くといわれる優曇華にあうよりもあいがたいことである。また沛公と項羽が八年にわたって中国で戦ったよりも、頼朝と宗盛が七年にわたって日本の国を争ったよりも、修羅と帝釈の戦い、金翅鳥と竜王が阿耨池に戦ったよりも、日蓮と諸宗とは、さらにはげしい重大な闘争であることを知るべきである。
法華経の会座において未来の正法弘通を釈迦・多宝・分身の三仏が厳粛に説かれているのに対し、日本国に法華経の真実なる義が説きあらわされたことはわずか二度であり、それは伝教大師と日蓮であると知れ。智慧の眼がない盲どもはこれを疑うであろう。とうていその力のおよぶところではない。この経文は日本・漢土・月氏・竜宮・天上・十方世界の一切経を釈迦・多宝・十方の仏が来集して、勝劣浅深を決定されたものであると知るべきである。
問うていわく華厳経・方等経・般若経・深密経・楞伽経・大日経・涅槃経等は九易のうちに入るのか、あるいは六難のうちに入るのか。答えていわく華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観等の三蔵大師が読んでいわく「華厳経と法華経とは六難のうちで名は二経別々であるが、所説の法門ないし、その所詮の理は同じである。たとえば観門に有門・空門等の四門を設けても、その真諦を見る、すなわち悟りは同一であるようなものである」と。法相宗の玄奘三蔵や慈恩大師等が読んでいわく「深密経と法華経とは同じ万法唯識の法門で、第三時の教であり六難のうちである」と。三論宗の吉蔵等が読んでいわく「般若経と法華経とは名は異なれども、当体はひとつで二経が一箇の法門である」と。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等が読んでいわく「大日経と法華経とは理が同じで、同じく六難のうちの経文である」と。日本の弘法は読んでいわく「大日経は六難九易のうちに入らない。すなわち大日経は釈迦の説法した一切経の外にあり、法身仏たる大日如来の所説である」と。またある人のいうには「華厳経は報身如来の所説であり、六難九易のうちに入らない」と。この四宗の元祖等がこのように読んでいるからその流れをくむ数千の学徒たちもみなこの見解の範囲を出ない。

このとおり各宗派の誤れる主張を見て日蓮は歎いていわく。以上にあげた諸人の主張をすべて邪智謗法であるというならば、当世の諸人は聞き入れないのみか顔さえも向けることなく、ますます邪智強盛となり、結局は国主に讒奏して、日蓮が首の座にまでおよぶであろう、しかしながら、真に仏法求めるならば、法華経こそ釈尊出世の本懐であり、しかも仏説を基準として勝劣を判定すべきであり、仏滅後の論師・人師を基準とすべきでないことを、つぎのように説かれている。すなわち釈尊は雙林において最後のご遺言として説かれた涅槃経に「法に依って人に依らざれ」と、「人に依らざれ」とは初依・二依・三依・第四依等、すなわち普賢菩薩・文殊師利菩薩等の等覚の菩薩が法を説かれるとも、経を手ににぎり仏説を根本として説法しないならば、これを用いてはならないとの意味である。また「了義経に依って不了義経に依ってはならない」と定めて仏経の中にも了義経と不了義経があるから、それを糾明して信受すべきであることを知らなければならない。竜樹菩薩の十住毘婆沙論にいわく「真実の経法に依らざる邪論に依ってはならない。真実の経法を本とした正論に依るべきである」と。天台大師はいわく「経文と合致するものはこれを録して用いよ。経に文もなく義もないものは信受してはならない」と。伝教大師いわく「仏説に準拠して修行し、口伝を信じてはならない」と。円珍智証大師云く「文に依って伝えるべきである」と。
 上にあげた華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗等の諸師は、みな一分は経論に依って勝劣を弁えているようであるけれども、みな自宗をかたく信受し、先師のあやまれる義を糾明しないから、曲会私情の勝劣であり、己義を荘厳する法門である。仏滅後の犢子・方広は附仏法の外道として仏法を破り、後漢以後、仏法が中国へ渡ってからの外典は、仏法外の外道の見よりも、三皇五帝の儒書よりも、邪見が強盛であり、邪法が巧みである。これとまったく同様に、華厳・法相・真言等の諸宗の人師は天台宗の正義を嫉むゆえに、実経たる法華経の文を曲会して、権経の義に順ぜしむる邪見が強盛である。しかれども道心のある人は偏党を捨て、自宗だ他宗だと争わず、人を軽蔑することをやめよ。

法華経にいわく「已今当」と。妙楽大師はこれを釈して「たとえある経に、諸経の王であると説いているとはいえ、法華経のごとく已に説き、今説き、当に説かんとする一切経中において、この法華経をもっとも第一となすとはいっていない」と説かれている。またいわく「法華経は已今当最為第一の妙法であるにもかかわらず、ここにおいてかたく迷い、邪智謗法におちいるものは、その謗法の罪が未来長劫に流れて、無間地獄に苦しまなければならない」と。この経釈に驚き、これをかたく心にとどめて一切経ならびに、人師の疏釈を見ると、初めて狐疑は氷解するのである。真言宗の愚者等が、印と真言をたのみて、真言宗は法華経よりすぐれていると思い、慈覚大師等が真言はすぐれているといっているから間違いはなかろう、などと思うのは、じつにいうもかいなきことである。
 法華経が爾前権経にすぐれていることは、以上のとおり明らかであるが、爾前四十余年の経々においても、またそれぞれの経を讃嘆している。その文を若干引いて法華経に相対してみよう。密厳経にいわく「別教十地の功徳を説いた十地華厳経等と大樹緊那羅王所問経と神通経と勝鬘経およびその他の諸経はみなこの経より出ている。すなわち、このように根本となっている密厳経は一切経の中にすぐれた経である」と説いている。大雲経には「この経はすなわちこれ諸経の転輪聖王である。なぜかというに、この経典の中に衆生の真実の性・仏性の常住を宣説しているからである」と説かれている。また六波羅蜜経には「いわゆる過去無量の諸仏が説かれたところの正法およびわがいま説くところのいわゆる八万四千のもろもろの妙法蘊(教法の集まり)はこれを統摂して五分となす。一には索咀纜(経蔵)・二には毘奈耶(律蔵)・三には阿毘達磨(論蔵)・四には般若波羅蜜(慧蔵)・五には陀羅尼門(秘密蔵)である。この五種類の蔵をもってそれぞれ一切有情を教化するのである。
 もし、かの有情が鈍根のため、契経(経蔵)・調伏(律蔵)・対法(論蔵)・般若(慧蔵)を受持することができないで、あるいは、また有情がもろもろの悪業たる四重罪、また八重罪、あるいは五逆罪を犯すもの、あるいは方等経(大乗経)を誹謗し、あるいは正法不信の一闡提等の重罪をつくるに、この重罪を消滅してすみやかに解脱し、即座に悟らしめるため、重罪の有情のために、もろもろの陀羅尼蔵を説くのである。この五の法蔵はたとえば、乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味および妙なる醍醐味のごときものである。総持門(陀羅尼蔵)とはたとえば醍醐味のごときものである。醍醐の味は乳・酪・蘇の中に微妙第一にしてよくもろもろの病をのぞき、もろもろの衆生をして身心を安楽ならしめるのである。と同様に、総持門(陀羅尼)とは大乗経の中にもっとも第一となし、よく衆生の重罪を滅するのである」と。
 また解深密経にいわく「その時に勝義生菩薩がまた仏に申しあげていわく、世尊よ、世尊はむかし初めて成道した時に、波羅痆斯国の仙人堕処・施鹿林中において、ただ声聞乗を修する心を発するもののために、苦・集・滅・道の四諦の法輪を説き、正法輪を転じられたのである。これははなはだ奇であり、かつ、またはなはだ希有の法であった。いっさい世間のもろもろの天人等は、一人として先に、このような微妙の法を説くものはなく、じつに未曾有の大法であった。
 しかしながらその時において、転じ給うところの法輪は、なおそれ以上の大法があり、かつまた諍論をいれる余地が残されていて、いまだ顕了に真実の義を説き示したものではなかった。それゆえにもろもろの諍論が闘わされる場所となったのである。ついで世尊は第二の時においてただ大乗を修する心を発するもののために、いっさいの法はみな自性がなく、無性無滅であると説き、一切法は本来寂静であり、自性がそのまま涅槃であると説かれた。これは仏の内証を隠密の相をもって説き示されたのである。
 これは第一時に相対すればはなはだ奇にして、はばはだ希有の法であったけれども、しかもこれまた有上の法であり、容受する所があって、いまだ顕了の実義は説き示されないため、諍論の余地が多く残されていた。世尊よ、いま第三時の中において、あまねく一切乗、すなわち、一切衆生の成仏を説く教えを求めるもののために、いっさいの法は皆無自性であり、無生無滅であり、本来寂静で、自性そのままが涅槃であり、自性というものは無い性――すなわち、自性の性と名づくべきものはないのであると説き、しかも顕了の相をもって正法輪を転じ給うたのである。これこそ第一はなはだ奇にして、もっともこれ希有であり、いま世尊が転じ給うところの法輪は無上無容にして、これこそ真の了義であり、もろもろの諍論が起こりうる余地はないと説かれている。
 大般若経にいわく「聴聞するところの世間、出世間の法にしたがって、みなよく般若甚深の理趣に会入(えにゅう)し、もろもろの造作するところの世間の事業もまた般若をもって法性の一理に会入し、かくして一事も法性のそとに出ずるものはない」と。
 大日経第一にいわく「秘密主(金剛薩埵)よ、大乗の行がある、それは無縁乗の心――すなわち、法にとらわれざる心を起こしていっさいの法には我性がないと修行するのである。なにゆえに法に我性がないとするか。それはかの昔、かくのごとく修行したものが、万法の当体たる五蘊の阿頼耶識を観察して自性は幻のごとしと知ったからである」と。またいわく「秘密主よ、かれはかくのごとく無我を捨てて、心の主体に自在の境地を得、自心の本来不生不滅なるをさとったのである」と。またいわく「いわゆる空性というものは、六根・六境等を離れ、無相にして境界なく、もろもろの戯論に超越して虚空がいっさいを包含するにひとしい。乃至、法界の事々物々にまったく自性なしときわむるのである」と。またいわく「大日如来が秘密主につげていわく。秘密主よ、いかなるものを菩提というかとなれば、いわく、じつのごとく、自心を知ることである」等と説かれている。
 華厳経にいわく「いっさいの世界のもろもろの衆生のなかで、仏道に入り、声聞乗を求めようと欲するものは少ない。まして縁覚を求めるものはさらに少ない。大乗の仏道を求めるものはなはだまれに有る少数の人である。しかしながら、大乗を求めることはなおかつやさしいことであって、この経(華厳経)を信ずることは、はなはだむずかしいことである。いわんやよくこの経を受持し、正しく憶念し説のごとく修行し、もって真実の義を解することはさらにさらに困難なことである。もし三千大千界を頭の頂にのせて一劫の長いあいだ、身動きしないとしても、このようなことはやさしいことであり、この法を信ずることは、すなわち、これ以上に困難なことである。
 また大千世界を微塵にしたほどの無量無辺の衆生に対して、一劫のあいだもろもろの楽具を供養するとしてもその功徳はいまだすぐれたものではない。この法を信ずるは、それ以上に殊勝な功徳となるのである。もし掌をもって十の仏国土を持ちあげ、虚空の中に一劫のあいだ住するとしても、その所作はいまだ困難なことではないが、この法を信ずることははなはだむずかしいことである。また十仏国土を微塵にしたほどのたくさんの衆生類に一劫のあいだもろもろの楽具を供養するも、その功徳はいまだすぐれているとはいわれないで、この法を信ずる功徳はすなわちこれ殊勝である。また十仏国土を微塵となしたほどのもろもろの如来を、一劫のあいだ、恭敬し供養するとして、もしよくこの品を受持するものの功徳は、それよりももっとすぐれた功徳となすのである」と説かれている。
 涅槃経にいわく「このもろもろの大乗方等経典は無量の功徳を成就するのであるけれども、涅槃経の功徳に比較するならば、たとえることもできない。百倍千倍百千万倍、乃至算数譬喩もおよぶことのできないほど涅槃経の功徳はすぐれている。善男子よ。たとえば牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生蘇を出し、生蘇より熟蘇を出し、熟蘇より醍醐を出す。その醍醐の味は最上である。もし服する時には、衆病をみな除き、あらゆる諸薬の功徳もすべてその醍醐に入っているようなものである。善男子よ。仏もまたこのとおりであって、仏より十二部の経を出し、十二部経より修多羅(阿含経)を出し、修多羅より方等経を出し、方等経より般若波羅蜜を出し、般若波羅蜜より大涅槃を出す。なお醍醐のごとく涅槃経こそ最上の経である。醍醐というのはすなわち仏性にたとえるのである」等と説かれている。

爾前四十余年の経々において、当分にそれぞれの経の賛嘆した文と法華経の「已今当説最為第一」「六難九易」の文とを相対するに、月に星をならべ、九山に最高最大の須弥山をならべ合わせたごときものである。しかれども華厳宗の澄観、法相・三論・真言宗等の慈恩・嘉祥・弘法等のごとく、世間からは仏眼のごとくあおがれているものが、なおこの文に迷っているのである。まして盲眼のごとき当世の学者等が勝劣を弁えることができようか。黒と白のごとく、あるいはまた須弥の大山と芥子粒のごとく、小なるはっきりとした比較を誤って、諸経と法華経の勝劣になお迷っている。いわんやその経教によって説かれている虚空のごとき理に迷わないわけがあろうか。能詮の教の浅深を知らなければ、所詮の理の浅深を弁えるわけがない。法華経と爾前の経とは巻をもへだて、その文も前後しているから、比較して勝劣浅深を判定することが困難であるゆえ、さらに相似の文を出して、愚者たちに教えてやろうとするのである。
 王といっても、小王あり、大王あり、いっさいに少分全分の区別がある。また五味についても、釈迦一代の経全体に配するたとえと、それぞれの経に当分に配して判定しているたとえとを区別すべきである。六波羅蜜経には有情の成仏は説いているが、無性の成仏を説かず、しかして久遠実成など説いているわけがない。この経は涅槃経の五味にすらおよばないで、しかして法華経の迹門や本門に相対して論じられるわけがない。しかるに日本の弘法大師はこの経文に迷って、法華経を第四の熟蘇味に入れている。事実はかの経で説く第五の総持門の醍醐味でさえ、なお涅槃経の醍醐よりはるかに劣るのであり、法華経におよぶわけがないのになにを狂ったのか「中国の人師は争ってこの経の醍醐を盗んだ」などと書いて天台大師等を盗人であるとしている。そして「惜しいことには、いにしえの賢人はいまだこの醍醐味をなめていない」といって自分が最高の仏教学者であるかのごとくいっている。
 これらの愚論はさておいて、わが一門のために仏法の極理を説き示そう。他宗の者は信じないで、地獄へおちるのは逆縁の衆生である。一滴の水をなめても、大海の潮味を知ることができる。一つの花が咲くのを見ても春の訪れたことを推察せよ。万里の大海を渡って宋の国までいかなくても、昔の中国の法顕が行ったごとく、三年もかかってインドの霊鷲山に行かなくても、竜樹のごとく竜宮まで行かなくても、無著菩薩のごとく毎夜弥勒菩薩に対面しなくても、釈迦在世の二所三会の法華の会座にあわなくても、一代仏教の勝劣は知ることができるのである。
 すなわち、法華第一と決定する日蓮の判定は絶対にまちがいのないことである。蛇は七日の内の洪水を知るといわれている、そのゆえは竜の眷属であるから。烏は過去世に陰陽師であったから、その年中の吉凶を知るといわれている。また鳥は飛ぶ徳が人間より勝れている。畜生すらこのようにそれぞれの徳を持っている。
 日蓮は諸経の勝劣をはっきりと知っていることは、華厳の澄観よりも、三論の嘉祥よりも、法相の慈恩よりも、真言の弘法よりもはるかにすぐれている。そのゆえは釈迦出世の本懐たる法華経を仏説のごとく正しく解釈し、弘通した天台・伝教のあとをそのまま承継して、末法に日蓮は本仏として出現し、三大秘法を建立するがためである。かの澄観等は天台・伝教に帰伏しなかったならば、謗法罪の失から永久に脱れられなかったであろう。当世日本国に第一に富める者は日蓮である。命は無上最大の法華経に奉り、名をば後代に留めるのである。大海の主となれば、もろもろの河神はすべてこれにしたがう。山の王たる須弥山には諸々の山神がみなしたがっているのはとうぜんである。法華経の六難九易をはっきりと弁えるならば、一切経を読まなくとも、いっさいの経教の仏菩薩すべてこの行者に随従するのである。

宝塔品に滅後の弘教をすすめた三箇の勅宣に引きついで、提婆品の二箇の諌暁を引いて、一代諸経の成仏不成仏を明らかにしよう。提婆達多は一生を通じて徹底的に仏に反対した一闡提でありながら、しかも法華経においては天王如来と授記されている。涅槃経四十巻にはいっさいの衆生はことごとく仏性ありと説き、一闡堤の成仏を説いているが、その現証は法華経の提婆品に示されているとおりである。善星比丘や阿闍世王等のごとき、釈尊在世の無量の五逆罪謗法のものの中から、極悪の提婆をあげてその成仏を明かしたことは、頭をあげて同類のものいっさいを収め、枝葉を随従させたのである。いっさいの五逆・七逆の罪をおかした謗法・闡提は、すべて天王如来の授記によって成仏を決定せられたのである。毒薬が変じて甘露となる法華経こそ、衆味にすぐれた妙法である。また竜女の成仏もただ一人の成仏を顕したものではなくて、いっさいの女人の成仏を顕わしたものである。法華已前のもろもろの小乗教には、女人の成仏を許さなかった。もろもろの大乗経には女人の成仏往生を許すようではあるが、それは即身成仏ではなくて、改悔発心ののちに許される改転の成仏であり、一念三千の即身成仏ではないから有名無実の成仏往生である。「一をあげてもろもろに例す」と申して、竜女の成仏は末代女人の成仏往生の道をふみあけたものである。
 儒教で説く孝養は現世に限られているから、死んで行く父母の来世になんの役にも立たない。ゆえに外道の聖人賢人といわれるものも有名無実なのである。婆羅門外道は過去、未来にわたる三世の生命は知っているが、父母の来世までたすける道がない。仏道こそ父母の後世をたすけるのであるから、真の聖賢と呼ばれるべきである。しかれども、法華経已前の大小乗経を立てる諸宗は、自分自身の成仏得道すらえられないから、まして父母をたすけることができようか。成仏とか追善供養の文のみあって、その義がないから現証もない。いま法華経の時にいたって女人成仏が現実に証明されてこそ、悲母の成仏も顕われ、また提婆達多の悪人が成仏の時に、初めて慈父の成仏も顕われるのである。この経は父母の即身成仏をこのように説き明かされているから、内典の孝経ともいうべきである。以上で二箇の諌暁が終わった。

以上のとおり、五箇の仏勅に驚いて、勧持品にいたり「われ身命を愛せず」とて滅後末法の弘教を誓っているのである。いまこそ明鏡の経文を出して、当世の禅・律・念仏者および、その諸檀那の謗法を知らしめよう。日蓮というものは去年の九月十二日子丑の時にくびをはねられた。すなわち凡夫の肉身は竜の口において断ち切られ、久遠元初の自受用報身如来と顕われて、佐渡の国へいたり、翌年の二月「開目抄」を著述して、雪の深い佐渡の国より、鎌倉方面の有縁の弟子へ送るのである。
この御抄を拝する弟子たちは、濁劫悪世に法華経を弘通する大難を思うて、怖じ恐れるであろう。しかし日蓮は「われ身命を愛せず、ただ無上道をおしむ」の法華経の行者であるから、なにひとつ恐れるものもなく、かつ日蓮と同じく広宣流布の決意をかたく持っているものは絶対に恐怖がないのである。「身命を愛せず」の志が決定していないものはこの御抄を拝していかほど怖れることであろう。これは釈迦・多宝・十方の諸仏が、法華経に予言した三類の強敵を、日蓮が一身に受けて末法の弘通と大難を実証している。すなわち日蓮の行動は明鏡であり、勧持品の予言は日蓮の形見であり、すなわち開目抄こそ日蓮の形見である。
勧持品にいわく「ただ願わくは世尊よ、心配したもうなかれ。仏の滅度ののち恐怖悪世の中において、われらはまさしく広く法華経を弘通するであろう。もろもろの無智の人は悪口罵詈し、および刀や杖をもって迫害するであろう。しかしわれらはみなこれを耐え忍ぶであろう。悪世の中の比丘は邪智で、心は諂曲であり、いまだ得ていない悟りを得ているといい、我慢の心が充満している。あるいは人里離れた閑静な場所に衣をまとい、静かなところで真の仏道を行じているといい、世事にあくせくする人間を軽賤するものがあるであろう。
この人は悪心をいだき、つねに世俗の事を思い、閑静な場処にいるとの理由だけで、自己保身のため、正法の行者の悪口を並べ立てるであろう。つねに大衆の中にあって、正法の行者を毀るため、国王や大臣や婆羅門居士およびその他の比丘衆に向って誹謗して、われらの悪を説いていわく『これは邪見の人であり、外道の論議を説いている』というであろう。濁劫悪世の中には多くもろもろの恐怖する事件があり、悪鬼がその身に入ってわれら正法の行者をののしり、批判し、はずかしめるであろう。濁世の悪比丘は、仏が方便随宜の説法をしていることに迷い、経の浅深勝劣を知らず、正法の行者に悪口し、顔をしかめ、しばしばその居所を追い出すであろう」と。
記の八に、妙楽大師はこれを釈して「この勧持品の文は三あり、初めに有諸無智人とは通じて、邪智謗法の人を明かす、すなわち俗衆増上慢である。つぎに悪世中比丘はすなわち道門増上慢のものを明かしており、三に阿練若云々は僣聖増上慢のものを明かしている。この三の中に第一の俗衆は忍びやすいが、第二の道門はそれ以上に悪く、第三はもっともはなはだしい。そのゆえは無智の大衆より僧尼、僧尼より聖人とあおがれているもののほうが、その邪智であり、謗法であることを知りがたいからである」。
また妙楽大師の弟子、智度法師は東春にいわく「はじめに有諸無智人より好出我等過までの五行の中、第一にはじめの一偈は謗法者たちの身・口・意三業の悪、すなわち刀杖の迫害や、怨嫉を忍ぶことを明かす。これは在家の悪人俗衆である。つぎは悪世中比丘の下の一偈は、道門慢上慢で出家の上慢を明かしている。第三に或有阿練若より下の三偈は僭聖増上慢で、聖人のごとくあおがれている出家のところに、いっさいの悪人を摂して、法華経の行者を迫害怨嫉するを明かしている」と。またいわく「常在大衆より下の二行は国王大臣等の国家権力者に訴えて、法をそしり、行者を誹謗するのを説いている」と。
涅槃経の九にいわく「善男子よ、一闡提の人が阿羅漢のごとく装って空閑のところに住し、大乗経典を誹謗すると、多くの凡夫人はこれを見て、みなこの人は真の阿羅漢であり、大菩薩であるというであろう」と。またいわく「その時に、この経が閻浮提の中に広く流布するであろう。この時にもろもろの悪比丘があって、この経を抄略して、多くの部分に分け、よく正法の色香美味を滅するのである。このもろもろの悪人はまたこのような大乗経典を読誦するといえども、如来の深密の要義を滅除して、世間にありふれた荘厳の美辞麗句や無義の語を並べ、経文の前をとって後につけ、後をとって前につけ、前後を中につけ、中を前後につけたりする。まさに知るべし、このようなもろもろの悪比丘は魔の伴侶である」と。
また六巻の般泥洹経には「阿羅漢に似た一闡提があって、悪業を行ずる。これと反対に一闡提に似た阿羅漢があって、慈悲心をもって衆生を済度するのである。羅漢に似た一闡提とは、これらの衆生中で大乗経典を誹謗するものである。一闡提に似た阿羅漢とは、声聞を批判して、広く大乗を説くものである。ゆえに大衆に向かって、『自分は汝等とともにこれ菩薩である。なぜかというに、いっさいはみな如来の性がある。しかるにかの謗法者はかえってわれらのことを、一闡提であるというであろう』」と。
涅槃経にいわく「仏が入滅ののち、正法時代を過ぎて、像法の中において出家の比丘があり、戒律を持つに似て、わずかばかり経文を読誦し、飲食をむさぼり、その身を長養している。袈裟を着ているとはいえ、布施を狙うさまは猟師が獲物をねらって細目に見て、しずかに近づいて行くがごとく猫が鼠をねらっているようなものである。しかもつねに自分は阿羅漢果を得たといっているであろう。外には賢善の姿を現わし、内心にはむさぼり、ねたみをいだき、法門のことについては、唖法の修行を積んだ婆羅門尊者のごとく黙りこくっている。じつには出家の仏弟子ではないのに、僧侶の姿をして邪見が強盛で正法を誹謗するであろう」と。

仏滅後における三類の強敵と法華経の行者出現については、以上に引いた、日月のごとく明らかな法華経・涅槃経および明鏡のごとき妙楽大師・智度法師の明文に照らしてまことに明らかである。すなわち当世の諸宗ならびに国中の禅宗・念仏宗等の謗法の醜面をこの明鏡に浮かべると、一分のくもりもなく明らかである。妙法蓮華経勧持品には「仏滅度の後恐怖悪世の中において広くこの経を説かん」また安楽行品には「後の悪世において」またいわく「末世の中において」またいわく「後の末世・法の滅せんと欲する時」分別功徳品にいわく「悪世末法の時」薬王品にいわく「後の五百歳広宣流布」といずれも悪世末法の時を予言している。さらに同本異訳の正法華経勧説品にいわく「しかるに後の末世に」と、またいわく「しかるに後の未来世に」と説かれており、同じく添品法華経にも同趣旨の文がある。
 天台は「像法時代の南三北七は法華経の怨敵である」といい、伝教は「像法の末に奈良にあった六宗の学者は法華の怨敵である」といっている。しかし天台・伝教の時代は正しく法華本門の流布すべき時代ではなかったから、怨敵の相もいまだ分明ではなかった。いますでに末法に入り、天台・伝教の時代とは違う。すなわち教主釈尊と多宝仏・十方分身の諸仏が来集して行なわれた荘厳なる儀式の席上において、八十万億那由佗の諸菩薩が、正像二千年ののち末法の始めに、法華経の怨敵が三類あるべしと定めたことばが、どうして妄語となるであろうか。当世は如来の滅後二千二百余年になる。大地を指さしてはずれることがあろうとも、春になって花の咲かないことがあろうとも、三類の敵人はかならず日本国にあるはずである。それならば、どの人々が三類の敵であるのか、まただれが法華経の行者であるといえるであろうか。心もとないことである。われらはかの三類怨敵のうちに入っているのであろうか。それとも法華経の行者のうちであろうか。心もとないことである。
 周の第四昭王の時代、二十四年四月八日の夜空に天に五色の光気が南北にわたり、昼のように明るくなった。大地は六種に震動し、雨が降らないのに江河・井池の水が増水し、いっさいの草木に花が咲き、菓がなるという奇瑞を現じた。じつにふしぎのことである。昭王は大いに驚いたが、大史・蘇由がうらなっていわく「西方に聖人が生れた」と。昭王は問うて「この国はどうか」蘇由は答えて「なにごともない。一千年ののちにかの聖言がこの国に渡って衆生を利益するであろう」といった。かの外典の見思の惑すら、いまだ断じてない蘇由ですら、一千年の未来を知ることができた。はたして仏教は一千十五年のち、後漢の第二明帝の永平十年に漢土へ渡ってきた。
 しかるに法華経の予言は、外典と比較にならない釈迦・多宝・十方分身の諸仏の御前で誓った諸菩薩の未来記である。当世日本国に三類の法華経の敵人がないわけがあろうか。釈迦は付法蔵経等に未来を予言して「自分が滅度ののち正法一千年のあいだに、自分の正法をひろむべき人が二十四人出現して次第に相続する」と説いている。迦葉・阿難等は仏在世の弟子であるからさておいても、百年後に脇比丘・六百年後に馬鳴菩薩・七百年後の竜樹菩薩と二十四人が一分もたがわず、出現して相続している。
 ゆえに末法の法華経の行者と三類の怨敵の予言がどうして虚妄となるわけがあろうか。もしこの予言が相違するならば、一経がことごとく相違してしまう。いわゆる舎利弗が未来の華光如来・迦葉の光明如来となるべき仏の授記もみな妄語となる。爾前経はかえって真実決定的の教えとなるから、舎利弗・迦葉も永久に成仏することのできない諸声聞となる。野良犬をば供養するとも阿難等の声聞を供養してはならないと説かれた爾前経が真実であるならば、いったいどうしようもないではないか。

前章に引いた勧持品の三類の強敵を当世日本国の宗教界に引き合せるならば、まったく経文を事実によって証明することができる。まず第一の「有諸無智人」ということは、経文の第二の「悪世中比丘」と第三の「納衣の比丘」の教えを信じている大檀那等である。したがって妙楽大師はこれを「俗衆増上慢」と呼んでいる。また妙楽の弟子智度法師が東春に「公処に向う」等と述べているのがこれである。
第二の怨敵は経に「悪世の中の比丘は心が諂いまがっていて、いまだ仏の悟りなど得ているはずがないのに得たかのごとく謂って、我慢の心が充満している」と説かれているのがこれである。涅槃経にはこれを説いて「この時にもろもろの悪比丘があって乃至この悪比丘たちは仏教典を少しばかり読誦するとはいえ、かえって如来の深密の要義を滅除してしまうであろう」といっている。また天台は摩訶止観に「もし法華経に対する信心のないものは、法華経等は聖人のやるような高い教えであって、われわれのような凡愚のものには用のないものであるという。またもし智慧のないものは増上慢を起こして自分は仏の悟りとひとしいなどという」と説いている。
中国の念仏の開祖たる道綽禅師は、法華経を捨てるべき理由の第二として「聖道門の教えは理が深くて修行してもわれわれのような鈍根のものには極くかすかにしか解することができない」といって、天台の止観に説かれている様相と一致し、自ら第二の道門増上慢であることを証明している。日本の法然は「阿弥陀以外の教えを修行しても、衆生の機根に合わないし、すでに時代が適しておらない」といっている。妙楽は記の十に「おそらく法華経の真義をあやまって解するものは、初信の功徳が極めて大きいことをしらないで、その功徳は上聖でなければ顕われないといい、この初信の功徳をないがしろにするであろう。ゆえにいま初信者の修行は浅くて、その功徳がいかに莫大であるかを示して法華経の真義を顕わそう」等といっている。伝教大師は「正像二千年はあと少しで過ぎ終わり、末法がはなはだ近くなった。一仏乗の法華経が流布して、一切衆生の即身成仏するのはまさしくこの時である。なぜそのことがわかるかといえば、安楽行品に末世において、法が滅せんとする時に流布すると説かれている」。慧心僧都は「日本全国が円機純一で一人残らず、法華経によってのみ成仏することができる」と説いている。
このように念仏の学者たる道綽と法然と、法華経を説く伝教や慧心とはまったく相反することを説いているが、いずれを信ずべきであろうか。念仏のみ末法に利益するなどという議論は、一切経にその証文はないが、法華経は諸経中第一であり、しかも末法に流布すると明白に示されているゆえ、とうぜん伝教・慧心等の説によるべきである。そのうえ日本国中の人々にとって比叡山の伝教大師は、法華迹門の戒を授けてくれた受戒の師である。なにがゆえに天魔がその身に入った法然に心を寄せて、自分の受戒剃髪の師たる伝教を捨てるのか。
法然がもし智者であるならば、なぜ天台・妙楽・伝教・慧心等の法華経広宣流布の釈を選択集に載せ、道理を立てて会通しなかったのか。それをしないで、ただ念仏の開祖たちの釈を引き、自己流の論議を構えることは人の理を隠すものである。よって経文に説かれている第二の「悪世中比丘」を日本国当世に映し出せば、法然等の無戒・邪見のものを指しているのである。涅槃経にいわく「法華経の以前はわれらことごとく邪見の人であった」と。妙楽いわく「みずから法華以前の三教(蔵教・通教・別教)を指してみな邪見と名づく」と。止観にいわく「涅槃経にはこれより以前の諸経の時、われらはみな邪見のものであったと。邪はすなわち悪ではないか」と。弘決にいわく「邪はすなわちこれ悪である。このゆえに唯円を善となすのである。これにまた二意あり。一には実相にしたがうを善となし実相に背反するを悪となす。これは相待妙の意である。二には円に執著するを悪となし、円に達するをもって善となす。これは絶待妙の意である。このように相待・絶待の二妙とも、すべからく悪を離るべきである。円に執著するものすらなお悪であるから、しかして余の悪はいうまでもない」と。
外道の善悪は小乗経に対すればみな悪道である。また小乗の善道も爾前の四味三教も、ことごとく法華経に対すれば邪悪であり、ただ法華経のみが正善である。爾前の諸経に説かれた円教は相待妙である。この円教も絶待妙に対すれば、なお悪である。またこの円を前三教に摂すれば、なお悪道となるのである。爾前経に説かれている極理をそのとおりに行じてさえ悪道である。いわんや念仏の依経とする観経等はなお華厳・般若の諸経にすらおよばない小法である。このような小法をもととして法華経を観経に取り入れ、かえって法華経を捨てよ、閉じよ、閣け、抛て、という法然や、法然の弟子檀那等は「誹謗正法」のものではないか。釈迦・多宝・十方の諸仏は「令法久住」のためにこそ、宝塔の儀式に来会したのであるが、法然ならびに日本国の念仏者等は、法華経は末法に念仏より前に滅尽するといっているのは三仏に対する怨敵といわねばならない。

第三の強敵を当時の世相に合わせて誰人かを定めてみよう。法華経にいわく「あるいは閑静のところに袈裟衣をまとっていて空閑にあり、乃至在家のために法を説いて、世間の人々からは六通の羅漢のごとく恭敬されている」。六巻の般泥洹経にいわく「形ばかりが羅漢ににてる一闡提があって悪業を行じ、外面は一闡提に似ている阿羅漢があって、慈悲心をもって衆生を救うであろう。羅漢に似た一闡提があるとは、このもろもろの衆生の大乗を誹謗するものである。一闡提に似た阿羅漢とは、声聞をだめだと破って、広く大乗を説き、衆生に対してつぎのように語る。すなわち、自分はなんじらとともに菩薩である。なぜなら一切衆生はみな如来の法性があるからであると。しかも、かれの衆生はその阿羅漢を一闡提というであろう」と。
涅槃経にいわく「仏が入滅ののち像法の時代につぎのような比丘がある。外面は戒律を持っているように見せかけて、少しばかり経文を読誦し、飲食をむさぼってその身を長養し、袈裟を着けているけれども、信者のお布施を狙うありさまは猟師が獲物を狙って、見て見ぬふりをして近づいて行くがごとく、猫が鼠を取るために狙いを定めているようなありさまである。つねに自分は悟りを得た羅漢であるというであろう。外面には賢人・聖人のごとく装っているが、内面にはむさぼりと嫉妬を強くいだいており、偉そうな顔ばかりしていて説法もできなければ、信者の指導もできないし、また法門のことを質問されても答えられないさまは、ちょうどインドの婆羅門の修行で、唖法の術を受け、黙りこくってしまう連中のようなものである。じつには僧侶でないくせに、僧侶の姿をしており、邪見がひじょうにさかんで、正法を誹謗するであろう」と。
妙楽大師は「第三の僣聖増上慢がもっともはなはだしい害毒を流す。俗衆よりも道門・道門よりも僭聖が、害毒がはなはだしいのであるが、のちのちのものは、この僭聖が法華の怨敵であり、大謗法であり、かれらが正しい仏法を知っていないということを知りがたいからである」といっている。また妙楽の弟子、智度法師は東春に「第三に『あるいは阿練若に有り』より下の三偈は、すなわち僣聖増上慢という出家の僧侶のところへ、いっさいの悪人を摂している。すなわち僣聖増上慢がいっさいの悪の代表である」と述べている。この東春に「出家のところにいっさいの悪人を摂する」等とは当世の日本国にはどこであるか。比叡山をいうのか、三井の園城寺か、京都の東寺か、奈良の諸大寺か、あるいは鎌倉の建仁寺か、寿福寺か、建長寺かよく尋ねるべきである。延暦寺の坊主が頭に甲冑をよろうているのを指すべきか、園城寺の僧が五分法身を成じたという膚に鎧杖を帯しているのをいうべきか。しかしこの連中は経文に「納衣在空閑」(納衣にして空閑に在って)と指摘している姿には似ておらないし、「為世所恭敬・如六通羅漢」(世の恭敬する所と為ること六通の羅漢の如くならん)と経文にはあるが、この連中は世間の人がそうは思っていない。また妙楽が「転難識故」(転識り難きゆえ)と言っているのにも反して、かれらの破法ぶりは世間にもよく知られている。さて当世日本国には京都の聖一等・鎌倉には良観等がまさしくこの経文に指摘する第三類の強敵にあたると思われる。だからといってけっして人をうらむべきではない。眼があるならば経文にわが身を合わせてみよ。
止観の第一にいわく「止観の明静なることは前代にいまだ聞かず、未曾有のすぐれた法門である」と、弘の一にいわく「漢の明帝が夜、夢みて仏教が伝来してより天台大師の陳朝におよぶまで、禅門にまじわって師より弟子へ衣鉢を伝授するものは数多くあったが、みなつぎに述べられているように、盲跛の師弟ともに堕落した」と。補注にいわく「衣鉢を伝授するものとは、達磨から慧能にいたるあいだを指す」と、止観の第五にいわく「また一種の禅人があり乃至、観行にばかり励んで教解の学問を怠る盲の師も、禅定の行を怠り、理論ばかりもてあそぶ跛の弟子も、双方ともに堕落した」と。止観の七にいわく「天台独自の十意をもって仏法を融通するにあたって立てた十意のうち、九意は世間の文字をもてあそぶ法師等とは違うし、また反対に事相に観心修行をもっぱらにする禅師ともまったく異なる。また十意の中にただ観心ばかり修行する一種の禅師があるけれども、その観心といえどもあるいは浅くあるいはいつわっており、九意はまったく見られない。これは虚言ではない。後世の賢人等はまさにこのことを証知すべきである」
弘の七にいわく「文字法師というのは内心に観解がなくて、ただ法相上の理論に走っているものを指し、事相の禅師とは、境と智の二法を閑却して心を静めるという修行の形式にばかりとらわれているものをいう。乃至これらの連中がやる座禅は外道の根本有漏定くらいのもので、出離生死など思いもよらないところである。「一師唯有観心一意」(一師はただ観心の一意あり)等といったのは、しばらく与えて論じたものであり、奪っていえばすなわち観も解もともにないまったくの邪道である。世間の禅人はひとえに理観ばかりを尚んで、教を習おうとしない。観をもって経文を消釈し、たとえば八邪八風を数えて、丈六の仏であるとなし、五陰三毒を合して八邪となし、六入を用いて六通となし、四大をもって四諦となしている。このように自己流の観解をもって、経を解釈することはいつわりの中のいつわりである。このように浅薄な論議はいちいち論ずる価値さえないのである」
止観の七にいわく「昔鄴洛の禅師たちはその名が河海に響きわたり、住する時は、すなわち四方から仰ぎ尊ぶ者が雲のごとく集まり、去る時は別れを惜しんで阡陌の群をなしていたが、このように車馬の隠隠轟轟と往来したのもまた、なんの利益があったろうか。禅師の臨終をみてみな後悔した」と。これについて弘の七にいわく「鄴洛の禅師とは、鄴は相州にあって斉魏の都したところである。禅祖のひとりがおおいに仏法をおこし、その地を王化した。時人の意を護ってその名は出さないが、それは達磨のことである。洛とは洛陽のことである」と。六巻の般泥洹経にいわく「究竟のところを見ずとは、かの一闡提の輩がつくる究竟の悪業が底知れなくて、見られないとの意である」と。また妙楽いわく「第三はもっともはなはだしい。世の聖人にたっとばれていて、謗法の重罪をつくっていることが知りがたいゆえである」と。
以上のとおり経釈の明鏡にあてて、当世日本国第三類の僣聖増上慢は、禅・律の徒であることはわかりきっていることであるが、無眼のものや、一眼のものや、邪眼のものは末法の三類を見ることができないであろう。一分の仏眼を、正法を信じて得られたものがこれを見ることができるのである。「国王大臣婆羅門居士に、正法の行者を訴える」と法華経にあり、東春には「公処に向かって法を毀り、人を謗ず」と説いている。むかしの像法の末には、護命・修円等が奏状を捧げて伝教大師を讒奏した。いま末法の始めには、良観・念阿等が偽書を作って将軍家に捧げている。この連中こそまさしく三類の強敵ではないか。

当世の念仏者等が天台法華宗の檀那である国王・大臣・婆羅門・居士等に向かって誹謗していうには「法華経の理は深いから、われらはかすかに解することしかできない。末法に法華経を弘めたところで、法はいたって深く、これを信ずる衆生の機根はいたって浅いから、時代に適しない」等と申しのべて、法華経をうとむることは前に引いた止観の「法華経を誤まり解するものが高く聖境に推し上げて、おのれの智分ではおよばないものがあるという」との文と一致するではないか。禅宗のいわく「法華経は月をさす指で、禅宗は月そのものである。月を得たなら、指はなんの用にもならない。禅は仏の心であり、法華経は仏のことばである。仏は法華経等の一切経を説かれてのち、最後に一ふさの華を迦葉一人に授けられ、そのしるしに仏の御袈裟を迦葉に付嘱し、それが付法蔵の二十八・東土の六祖まで伝えられた」等といっている。これらの大妄語が国中を惑わし酔わしめて年久しくなった。
また天台・真言の高僧等は、名だけはそれぞれ天台真言の宗を名乗っておりながら、自宗のいわれ、因縁をよくわきまえておらない。貪欲が深く、公家や武家をおそれて法華を誹謗する邪宗邪義に証伏し、かえってそれを讃歎している。むかし釈尊が法華経を説法した時は、多宝仏・分身仏が法華経を久しく住せしめんと証明した。いま天台宗の大学者達は新興邪宗教の説く「理深解微」等の邪義を証伏している。じつに歎かわしいことではないか。このゆえに日本国にはただ法華経の名のみあって、得道の人はひとりもない。だれをか法華経の行者であるとしよう。寺塔を焼いて流罪される僧侶は数知れないほど多数である。公家武家にへつらって憎まれる高僧ばかりが多い。これらを法華経の行者であるといえるであろうか。

仏の予言は虚妄でないから、三類の怨敵はすでに国中に充満している。しかし、一方にあっては金言が破れるべきなのか、法華経の行者がおらない。いったいどうしたことであろうか。そもそも誰人が法華経勧持品の予言のとおりに衆俗に悪口をいわれ、ばかにされているか。どの僧が刀杖を加えられているか。どの僧をか法華経のゆえに公家武家へ訴えられたか。どの僧がしばしばところを追い出され、たびたび流罪されているか。これらの予言に適中するものは日蓮以外には日本国中絶対にありえない。しかし日蓮は法華経の行者ではない。なぜなら諸天がこれを捨てて助けようとしない。しからば、だれをか当世法華経の行者として、仏語が真実であるとの証明にしようか。仏と大悪の提婆とは身と影のごとく生生世世に離れることがない。聖徳太子に敵対する守屋とは、蓮華の花と菓が同時になるがごとき関係にあった。これと同じく法華経の行者があるならば、かならず三類の怨敵があるべきである。しかるに三類はすでに日本国にあり、法華経の行者はだれであろう。求めて師としたいものである。あたかも一眼の亀が浮木にあうようなものである。

ある人がいうには、当世の三類の怨敵はほぼあるように思うが、ただし法華経の行者はいない。汝を法華経の行者であるといおうとすれば、つぎのような大きい相違がある。すなわち法華経安楽行品にいわく「法華経の行者に対しては、天のもろもろの童子が来て給使をなすであろう。刀杖も加えることもできないし、毒も害することができないであろう」と。また同品にいわく「法華経の行者に対して、もし人があって悪口悪罵すれば、口がすなわち閉塞してしまう」と。また薬草喩品には「現世には安穏の生活を送り、後生は善処に生まれるであろう」と。また陀羅尼品には「もし法華経の行者を悩乱するものがあれば、その頭は七分に破れて阿梨樹の枝のごとく破れさけるであろう」と。また勧発品には「この経を持つものは、現世において、その福報を得る」と。また同品に「もしまた法華経を受持するものを見て、その過悪を出すならば、もしもそのことが実であろうと、不実であろうと、この人は現世に白癩(びゃくらい)の病を得るであろう」と。以上のように、法華経の行者は現世において幸福であり、行者を迫害するものは現世に法罰を受けるはずであるのに、竜の口の首の座から、佐渡まで流罪されている現在、鎌倉幕府が安穏であるのはどうしたことか。
答えていわく、汝の疑う点はじつによろしい。ついでにその不審を晴らそう。まず文証として、法華経不軽品にいわく「悪口罵詈せられる」また同品にいわく「あるいは杖木瓦石をもってこれを打擲す」と。涅槃経にいわく「もしは殺され、もしは害せられる」と。法華経法師品にいわく「しかもこの経は、如来の在世においてすらなお怨嫉が多い。いわんや滅後において、この経を弘めるものはさらに大きな怨嫉を蒙るであろう」と。
ついで現証を示すならば、釈迦仏すら小指を提婆達多の投げた石で破られる等の九横の大難に値われている。これをもって釈尊は法華経の行者でないといえるであろうか。不軽菩薩は「我深敬等」の二十四文字の法華経を弘通して、一国の迫害を受けたが、不軽が一乗の行者といわれないことがあろうか。目連尊者は法華経で成仏の授記を受けてのちに、しかも竹杖外道に殺されている。付法蔵第十四の提婆菩薩や、第二十五の師子尊者は法のために人に殺されている。これらは法華経の行者でないといえるであろうか。羅什三蔵の弟子たる竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は顔に火印を押されて、江南に流されている。これらは一仏乗の法を持っていたものではないか。外典のものであるけれども、白楽天や菅原道真は遠く流罪されているが、しかしだれびとも認める賢人ではないか。
さて、これら事の心を案ずるのに、つぎのような三意があると思われる。すなわち第一に前世において、法華経誹謗の罪のないものが、今生に法華経を行じているとする。これを世間法の罪からあるいはまったくそのような罪のないのに怨すれば、たちまちに現罰を受けるもののようである。たとえば、修羅が帝釈を射て、たちまちその身をほろぼし、金翅鳥が阿耨池の竜を食わんとして、かえってその身を損ずる等のごときものである。されば天台いわく「いま自分の現在の疾苦は、みな過去にそのような原因をつくってきたからである。今生における修福の報は将来にあるわけである」と。心地観経にいわく「過去に、自分がどのような因をつくってきたかは、現在の果を見ればわかる。同様に未来の果を知ろうとするなら、現在の因を見よ」と。不軽品にいわく「その罪がおわって……」と。すなわち、不軽菩薩は過去世に法華経を誹謗した罪があるゆえに、正法を弘通して瓦石を投げつけられ、種々の迫害を受けられたものとみえる。
第二に順次生に、かならず地獄へ堕つべき悪業の因縁をもっているものは、現世に重罪をつくっても現罰がない。一闡提人はこれである。涅槃経にはこれについて「迦葉童子が仏に申しあげていうには、世尊よ、仏の説法はそのとおりに大涅槃の光が一切衆生の毛孔にまであまねく沁み入るであろう」といい、また「迦葉童子が仏に申しあげていわく、世尊よ、どうしていまだ菩提の心を発しないものが菩提の因を得ることができるであろうか」と。仏はこの問いに答えていわく「仏が迦葉童子に告げていわく。もし、この大涅槃経を聞くことができても、自分は菩提心をおこし、悟りを得ようとは考えないといって、正法を誹謗するものがある。この人は即時に夜夢の中に、恐ろしい羅刹の像を見て、心の中に驚き恐れるが、その時羅刹がいうには、咄し、善男子よ、汝はもし菩提心をおこさないならば、当に汝の命を断つであろうと。この人はおおいに恐怖心を懐き、夢から寤めてすなわち菩提心を発するようなものである。この人はすでに菩提心をおこせば、すなわち大菩薩であると知るべきである」と。
このようにはなはだしい大悪人でないものが正法を誹謗すれば、即時に夢を見て自身の謗法を恐れ、信心することができるのである。また極悪の一闡堤人が、容易に心をひるがえして発心することができないことを「枯木に花が咲かない。石山に草木が生じないのと同じである」と。また「燋れる種は甘雨にあっても、生じないのと同じである」また「明珠も泥の中では光を放たないごとく一闡堤人は発心の光を放つことがない」と。またいわく「手に傷のある人が毒薬を持てば、傷はいよいよ悪くなる」またいわく「大雨は空にとどまることがないように、一闡堤人はかならず地獄へおちる」等々多くのたとえがある。結局のところ、上品極悪の一闡堤人になれば、つぎの世で必ず無間地獄へおちるゆえ、現世にいくら重罪を犯しても現罰がない。たとえば夏の桀王や、殷の紂王のごときはいくら悪政を続けても、天変等の災害がないのはかならず世が滅亡すべき時であったからであろう。
つぎに第三の理由として、守護の善神がこの国を捨てて去ったために現罰がないのであろう。謗法の世をば、国土守護の諸天善神が捨て去ったゆえに、正法の行者は一向に加護がなく、ますます大怨嫉を受けて、重罪に陥れられて行く。金光明経にいわく「善業を修するものは日日に衰減して行く」とあるが、これは当世日本国のごとき悪国悪時を指しているのである。この点はつぶさに立正安国論に書いておいたとおりである。

諸天の加護があるかないかを論じてきたのであるが、詮ずるところは天も日蓮をすて給え、諸難にいくらあおうとも問題でない。一身一命を投げうって正法の弘通に邁進するのみである。舎利弗が六十劫にもわたる菩薩行を積みながら、中途で退転し、成仏できなかったのは、乞眼の婆羅門が舎利弗の眼を欲しいと、責められたのに耐えられなかったためである。久遠五百塵点劫および三千塵点劫のむかしに、法華経の下種を受けながら、しかも三千塵点劫や五百塵点劫のあいだ悪道におちていたのも、悪知識に染まって権教から小乗教へ、小乗教から外道へと退転して行ったからである。
善につけ悪につけ、法華経を捨てるのは地獄の業である。いまこそ大願を立てよう。法華経をすてて観経等の信仰に入り、後生の極楽往生を願うならば、日本国の位をゆずろうとの大誘惑があろうとも、また念仏を申さないならば、父母の頚をはねようとのごとき大脅迫があろうとも、またその他の、種々の大難が出来しようとも、智者に日蓮の立てる義が破られない限り、絶対に他の教義にはしたがうことはない。この智者にわが義を破らるの難以外の大難は、風の前の塵のごとき問題にならない事件である。われは日本の柱となろう(主の徳)、われは日本の眼目となろう(師の徳)、われは日本の大船となろう(親の徳)等と、すなわち主師親の三徳をもって末法の一切衆生を地獄の苦しみから救い出そうとの誓いは絶対に破ることがないのである。

疑っていわく、どうして汝の流罪や死罪等を、過去の宿習であると知ることができるのか。答えていわく、銅の鏡は外界の色や形をうつし出す。秦王の用いた験偽の鏡は現在の罪をうつしあらわすことができたという。仏法の鏡は、過去世の業因を現在のわが身にうつし現わしている。すなわち般泥洹経にいわく「善男子よ、過去世にかつて無量の諸罪や、種々の悪業を作るにこのもろもろの罪報によって、あるいは人に軽んじられ、あるいは姿形が醜陋であり、衣服が不足であったり、飲食がそまつなものばかりであったり、財を求めるに利益がなく、貧賎の家や邪見の家に生まれ、あるいは王難にあって国家の権力者から迫害を受ける、その他もろもろの人間の苦報を受けるであろう。このような報いを現世に軽く受けて、未来にながく持ち越して受けなければならない苦報を、今生に消してしまうのは正法を護持する功徳力によるのである」と。
 この経文はまったく日蓮の一身にぴったりと一致している。疑いは氷解して、現在に受ける千万の難もまったくやむをえないことである。一々の句を我が身に合わせてみよう。人に軽易せられるとは法華経譬喩品に「軽賎憎嫉される」と説かれているごとく、日蓮は二十余年のあいだ人から軽慢されている。あるいは形が醜いと。またいわく衣服が不足するとは予が身のことである。飲食が粗末なものばかりとは予が身である。財を求めて利がないとは予が身である。貧賎の家へ生まれたのも予が身である。あるいは王難に遭うの経文どおり、佐渡まで流されてきている。このようにまったく経文どおりなのをだれが疑うことができようか。
 法華経には「数数擯出せられるであろう」とあり、この経文には「種種の苦報」と説かれているが、そのまま日蓮の一身と該当している。「これは護法の功徳力による」とは、摩訶止観の第五につぎのとおり説かれている。「散乱心でなす微弱の善根では自己の宿命を動かすことができない。いま止観を修して、陰入界境・煩悩境・病患境のいずれも欠けなければ、よく生死の輪を動転し、宿命を打破することができる」と。またいわく「行解を既に勤めるならば、三障四魔が紛然として競い起こるが、これをおそれてはならない。またこれに従ってはならない」と説かれている。
 自分は無始よりこのかた、悪王と生まれて法華経の行者の衣食・田畠等を奪い取ったことは数知れずあるであろう。それはちょうど当世日本国の諸人が法華経の山寺を破壊するようなものであった。また法華経の行者の頚を刎ねたことも数知れないのである。これらの重罪をすでに消滅したものもあり、いまだ消滅していない罪もあるであろう。罪を一応は消滅したからとて、余残はいまだ尽きていない。生死を離れ、即身成仏しようとする時には、かならずこの重罪を消し果てて、六道輪廻の苦悩から出離するのである。いままで積んできた功徳はまだまだ浅軽であり、これらの罪は深重である。どうしても自分の犯してきた罪は消し果てなければ成仏することはできない。権経の修行をしていたのでは、この重罪の報いを現世に消すことはできないから、大難を受けることはない。
 鉄を焼くのに強くきたえなければ、その傷は隠れてみえないけれども、たびたび熱してきたえるならば、その傷があらわれてくる。麻の実をしぼって油を取るのに、強くしぼらなければ油が少ないのと同じである。いま日蓮は強盛に国土の謗法を責めるからこの大難が来るのであり、それは過去の重罪を今生における護法の功徳によって招き寄せるのである。そのありさまは鉄が火に熱せられて赤くなり、木をもって急流をかけば、波が山のごとく捲き起こり、眠っている師子に手をつければ大いに吼えるごときものである。

涅槃経にいわく「たとえば一人の貧女があり、おるべき家もなく、救護してくれる人もなく、その上に病苦と飢渇にせめられてさまよい乞食して歩いた。その時ある宿に止まり、子供を生んだ。ところがその宿の主人はこの貧女を追い出してしまった。いまだ産して日も経たないのに、赤児を抱いて他国へ行こうと欲したが、その中途で悪風雨にあい、寒さと苦しみに襲われ、多くの蚊・虻・蜂・螫等にすい食われるありさまであった。このような苦難のおりに大河にさしかかり子供を抱いて渡ろうとした。その水は急流であったが、しかも子供を放ち捨てることなく、ついに母子ともに没しておぼれ死んでしまった。このような女人は子供を愛する慈悲の心の功徳によって死んでのちは梵天に生じたのである。文殊師利よ、もし善男子があって、正法をまもろうと欲するならば、かの貧女が大河の中にあって、わが子を愛念するがために身命を捨てるように、正法をかたく護持して身命を捨てよ。善男子よ、護法の菩薩もまたこのとおりである。正法をまもり惜しむためには、むしろ身命を捨てよ。そうするならば、解脱を求めなくても、解脱がみずから来ることは、かの貧女が梵天に生れることを求めたのではないが、わが子を思う一心で、みずから梵天に生じたのと同じである」
この経文を章安大師は煩悩・業・報の三障をもって釈しているから、それを見よ。この経文に「貧人」とは法財のないものである。「女人」とは一分の慈心があるものである。「客舎」とは三毒強盛の穢土であり、「一子」とは法華経の信心であり、了因の子である。「舎主駈逐」とは、日蓮のごとくところを追われ、流罪されることである。「其の産して未だ久しからず」とは、いまだ信心して久しくないことであり、「悪風」とは流罪の勅宣が吹き来たり、「蚊虻」等とはもろもろの無智の人があり、悪口罵詈することである。「母子共に没す」とはついに法華経の信心を破ることなく、頚をはねられることであり、「梵天に生る」とは成仏の大功徳を受けて、仏界に生れることをいうのである。
引業すなわち現世の業因を、来世の果報として受けることは、六道にあっても、仏界にあっても、変わることがない。日本や中国やその他万国の人を殺そうとも、五逆罪と謗法の罪がなければ、無間地獄へおちることはない。その他の地獄や、悪道へながいあいだおちて苦報を受けるのである。また色界天へ生れる功徳は万戒を持っても、万善を修しても、散乱の心を修する散善では生れることができない。また色界天でも、梵天へ生れることは世間・有漏定の引業の上に、慈悲の行を加えて生ずることができる。いまこの貧女は子を念う慈悲心のゆえに梵天に生れたのであり、通常の規則には相違している。これについての章安の二つの釈はあるけれども、結局子をおもう慈悲心よりほかのことではない。ただひたすら子をおもう一念は定善に似ているし、また慈悲にも似ている。このゆえに他の善因はなくても天に生れるのであろう。
さてこれによって成仏の因を考えるのに、仏になる道は華厳の唯心法界や、三論の八不中道観、法相の唯識、真言の五輪観等では成仏できるとは考えられない。ただ天台の一念三千こそ、成仏の唯一の道である。しかしこの一念三千についても、われらは一分の慧解(えげ)もない。しかれども、一代経経の中には、この法華経ばかりが、一念三千の玉をいだいている。余の爾前経の理は玉に似た黄色の石である。たとえば沙をしぼっても油はなく、石女に子供はできないように爾前経で成仏することは不可能である。諸経では智者でもなお成仏することができないが、この法華経は愚人も仏の因を了して成仏することができる。「解脱を求めなくとも、解脱がみずから至る」との経文はこれである。
われおよびわが弟子はいかなる大難があろうとも、疑う心を生じなければ、自然に仏界にいたるであろう。天の加護がないからとて、法華経の大利益を疑ってはならない。現世に安穏でないと嘆いてはならない。わが弟子に朝晩このことを教えてきたのに、疑いを起こしてみな退転してしまったであろう。拙いものの習いとして、平常の時に約束したことをまことの時に忘れるのである。妻子をふびんと思うゆえに、現実の大難で妻子と別れることを歎いているのであろう。しかしながら考えてみよ。無始以来いつも生れてきては、親しんでいた妻子とはわが心に予期してみずから別れたのか、それとも仏道のためにわかれたのか。いつも同じ別れではないか。今生において、まず自分が法華経の信心を最後まで破らずに即身成仏し、霊山浄土へ参りてかえって妻子を導き給え。これこそ真にわが身も妻子も、絶対の幸福を獲得する唯一の道ではないか。

疑っていわく、念仏者と禅宗等を無間地獄へおちるというのはあらそう心があり、修羅道へおちるではないか。また法華経の安楽行品には「ねがって他人や、他の経典の過失を説いてはならない。また他の法師を軽慢してはならない」と説かれている。汝はこの経文に相違して他宗を攻撃するから、安楽行品に説かれているごとき諸天の加護を受けられないのではないか。
 答えていわく、日蓮の弟子でさえそのような邪見をなかなか捨てようとしないから、まず天台、妙楽等の釈を示し、道理を示してこのことを明らかにしよう。止観にいわく「いったい仏には法を弘めるについて二つの説があり、一には摂受・二には折伏である。安楽行品に他者の長短をあげるなというごときは摂受の義である。大涅槃経に刀杖を執持し、乃至謗法の首を斬れというのは折伏の義である。摂受は相手の立ち場を尊重し、与えて法を弘むるに対し、折伏は奪って法を弘む。そのみちは、まったく異なるといえども、ともに衆生を利益せしむるのである」と。
 弘決にいわく「それ仏に両説あり等と止観にいうのは、摂受と折伏である。乃至大涅槃経に刀杖を執持すとは経の第三に正法を護るものは、五戒を持たず、威儀を修しなくてもよいと説き、乃至下の文に仙予国王が正法をまもり惜しむがゆえに、無量の謗法者の命を断絶したと説いている文、また同経の新医が禁じていわく旧医の薬に害毒が多いから、さらにこれを用いるならば、その首を断つべしといっている文等、これらはすべて破法の人を折伏する文であり、いっさいの経論は摂受か折伏かの二を出ない」と。
 文句にいわく「問う大涅槃経には、国王に法を親ら付嘱し、弓を持ち箭を帯し、悪人を摧伏して正法を護持せよと明かしており、この法華経安楽行品には、国王・大臣等の豪勢を遠く離れへりくだり、慈善の心を持てと説いている。すなわち涅槃経の剛と安楽行品の柔とおおいに相反している。どうして異ならないといえようか。答う、涅槃経にはもっぱら折伏を論じている。けれども、仏は平等にわが子を思うと同じ一子地に住しているからどうして摂受がないわけがない。この法華経にはもっぱら安楽行品に摂受を明かしているけれども、陀羅尼品では、鬼子母神・十羅刹女が法華経の行者を悩ますものは、頭を七つに破り裂くであろうと誓っているごとく、折伏がないのではない。おのおのその一端をあげて時にかなうのみである」と。
 章安大師の涅槃経の疏にいわく「出家も在家も法をまもるには、その根本となる心の所為が第一に肝要であり、事相の形式的な戒律等を捨て、その内容となる理を存して匡に大経を弘めるのである。ゆえに護持正法というのは、小節にこだわらないから威儀を修せずというのである。むかしは時代が平穏で、よく法が弘まったから、戒律を持たなくてはならないし、杖を持って強く法を弘めてはいけない。いまの時代は嶮悪で正法が隠没しているから、杖を持って強く法をひろめ、戒を持つべきではない。今昔倶に時代が嶮悪ならば、ともに杖をもつべきである。今昔ともに平穏ならば、倶に戒を持つべきである。摂と折の取捨は時代にしたがい、よろしきにかなって一向にすべきではない」等と説いている。汝の不審をば、世間の学者は多分道理だと思い、日蓮が誤まっていると思っている。いかに日蓮が諌めたとしても、日蓮の弟子さえこの考えを捨てないで批判的になり、一闡提・不信の人のごとくなるゆえにまず天台、妙楽の釈を出してかれらの邪難を防ぐ。
 いったいに摂受と折伏の二つの法門は水火のごとき関係にあり、火は水をいとい、水は火をにくんでたがいにその立ち場が相容れないのである。摂受のものは折伏するものを冷笑し、折伏のものは摂受の手ぬるいのを見て悲しく思う。いまその原則を示すならば、無智・悪人の国土に充満する時は、摂受を第一に立てて法を弘む、安楽行品のごときがこれである。邪智・謗法のものの多い時は、折伏を第一に立て常不軽品のごとくに法を弘む。たとえば熱い時に冷たい水を用い、寒い時に火をこのむようなものである。草木は太陽の眷属であり、寒い冬には苦しみの状態にある。諸水は月の所従であるから、熱い時にその本性を失なってしまう。
 摂・折二門はこのように相容れないのであるが、末法にもまた摂受と折伏があるべきである。いわゆる無智悪人の悪国と、邪智謗法の破法の国があるべきゆえに、悪国には摂受を行じ、破法の国には折伏を行ずるのである。されば日本国の当世は悪国か破法の国か。邪智謗法の国であることはとうぜんであり、折伏でなければ弘法も不可能であり、絶対に功徳を受けることがありえない。

問うていわく、摂受でなければならない時に折伏を行じ、折伏でなければならない時に摂受を行じて、利益があるかどうか。答えていわく、さらに利益はない。涅槃経にいわく「迦葉童子菩薩が仏に質問していうには、如来の法身は金剛不壊である。どうしてそのような法身を成就することができたかをいまだ知ることができない。どういう所因ですか。仏はこれに答えて、迦葉よ、よく正法を護持する因縁によって、この金剛身を成就することができたのである。善男子よ、正法を護持するものは五戒を受けず、威儀を修することもなく、まさに刀や剣や弓箭を持って正法をまもるべきである。濁悪の世に比丘があって戒律を持ち、摂受を行じて種々に法を説いても、なお師子吼をなすことはできないし、非法の悪人をも降伏することはできない。このような比丘は、自分自身に利益を受けることもできないし、また他を化して衆生を利益することはできない。まさに知るべし、このような輩は怠けものである。よく戒をたもち、浄行を守護しているからといっても、この人は世のため、人のために働かないし、仏法を守護することにもならない。乃至時に破戒のものがあり、折伏を行ずる人のいうことを聞いて、聞き終わってみなともにいかり、折伏する法師を殺害する。この説法者はたとえ殺されてしまっても、なお持戒のものであり、みずからも功徳を受け、他人をも利益せしめるものというべきである」と。章安のいわく「摂受と折伏とは取捨よろしきを得て、一向にすべきではない」と。天台いわく「摂受か折伏かいずれを取るかは、時にかなうのみである」と。時をはき違えて利益のないことは、たとえば秋の終わりに種子を蒔いて田畠を耕しても、稲や米を得ることができないのと同じである。
日本には、建仁年中に法然が念仏を弘め、大日というのが禅宗を弘めた。法然がいうには「法華経を修行しても、末法においてはいまだ一人も得道したものはなく、千人の中に一人も得道するものはない」と。大日がいうには「経文は月をさす指であり、釈迦の悟りは月そのものであって、教の外に別伝されたのが禅宗である」等と説いた。それより以来この両義が国中にひろまり、日本国中のものが禅と念仏に帰依してしまった。天台・真言の学者等が新興宗教たる念仏や禅の檀那に、へつらいおそれているありさまは、犬が主人に尾をふり、鼠が猫をおそれるような状態である。
しかして国王や将軍に仕えては仏法を破る因縁や国を破る因縁をよく説き、よく語っている。仏法を弘め、国を救うべき僧侶であるべき天台、真言の学者等が、このようであっては、今生には餓鬼道におち、後生には阿鼻地獄へおちるであろう。たとえ山林の奥深く端座して一念三千の観念観法をこらすとも、静かな場所にあって三密相応の油をこぼさずに修行しようとも、いまの時代がいかなる時代かを知らず、いかなる機根の衆生であるかを知らず、摂受と折伏の立て分けを知らなければ、どうして生死を離れることができようか。
問うていわく念仏者や禅宗等を邪宗だ、邪宗だと責め立てて、それゆえかれらにあだまれることはどんな利益があるのか。答えていわく、謗法を破折すべきことをつぎのように説かれている。すなわち涅槃経にいわく「もし善比丘が法を破るものを見て、そのままさし置いて呵責し、駈遣し、挙処しないならば、まさに知るべし、この人は仏法中の怨敵である。もしよく駈遣し、呵責し、挙処するならば、これこそわが弟子であり、真の声聞である」と。また章安は涅槃経の疏に「仏法を壊り乱すものは仏法中の怨である。相手の謗法を知りながら、それを諌めるほどの慈悲心もなくて、詐り親しむものは相手にとって怨である。よく相手の過誤を糾治してやるものが護法の声聞であり、真のわが弟子である。かれがためにかれの悪い点をのぞき、改めさせることはかれの親である。よく相手の悪を呵責するものはこれ仏弟子であり、駈遣しないで放って置くものは仏法中の怨である」といさめている。

それ法華経の宝塔品を拝見するに、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が来り集まったのはなんのためか。「法をして久しく住せしめんがために来集したのである」とはっきり説かれている。このように、釈迦・多宝・分身の三仏が未来に法華経をひろめて、未来の一切衆生に大利益を与えようとなさったお心の中を推しはかるに、父母がただひとりの子供の大苦にあっているのを救わんとする大慈悲心よりも、さらに強盛に未来のことを心配されている。しかるに、法然はこのような仏のお心を痛わしいとも思わないで、仏意に反し、末法には法華経の門をかたく閉じて人を入れないようにしてしまった。法然のやり方は狂った子供をたぼらかして持っている宝を捨てさせるように、法華経を抛たせてしまった心こそあまりにも無慚なことである。わが父母を、人が殺そうとするのを知って父母に告げないでいられようか。悪子が酔い狂って、父母を殺そうとするのを見て止めないでいられようか。悪人が寺塔に火を放って焼いてしまおうとするのを、とめないで放っておかれようか。一人の子供が重病の時にいやがるからといって灸をすえないではおかれないであろう。日本の禅や念仏を見て破折しないものはこのようなものである。「慈心がなくて詐り親しむは、すなわちかれの怨である」との金言をよく考えるべきである。
 日蓮は日本国諸人にとって主であり、師であり、親である。いっさい天台宗の人は、一切衆生の大怨敵である。「かれがために悪をのぞくは、すなわちこれかれが親である」との文に照らすとき、だれびとが日本国当世に親としてふるまっているか。日蓮をのぞいて他には絶対にない。法然等は大怨敵である。道心の無いものは生死を離れることができない。教主釈尊はいっさいの外道に大悪人であると罵詈された。天台大師は南三北七の十派から怨嫉され、得一からも「拙いかな智公(天台)よ、汝はだれの弟子か。三寸に足らない舌をもって釈迦の所説を謗じ、五尺の仏身を断つものである」といわれ、伝教大師は奈良六宗の学者連中に「最澄はいまだ唐の都を見ていない。仏教の中心地を知らないくらいだからたいしたことはない」等と悪口をいわれているが、これらはすべて法華経のゆえに受けた怨嫉であるから、一向に個人的な恥ではない。それよりも愚人にほめられることが第一の恥である。日蓮が幕府のご勘気を蒙り、流罪されれば天台・真言の法師等は悦んでいるだろう。じつにかれらの心は無慚であり奇怪である。
 それ釈尊は娑婆世界に応誕して法華経を説き、羅什は秦に渡来し、伝教は中国へ留学したのも、すべて仏法のためである。また提婆菩薩や師子尊者は法のため身を捨て、薬王菩薩は臂を焼いて供養し奉った。日本の上宮太子は手の皮をはいで経を写し、釈迦菩薩は肉を売って仏を供養し、楽法は骨を筆として法を書き留めた。これらのことを天台は「時に適う而已」といっている。仏法はじつに時によるべきである。日蓮は時にかなって折伏を行じ、流罪されていることは、今生の小苦であるから一向に嘆くことはない。後生には大楽を受けるのであるからおおいに悦ばしいのである。

 

 

 

 

 

 

 

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