波木井三郎殿御返事
文永10年(ʼ73)8月3日 52歳 南部六郎三郎
鎌倉に筑後房日朗・弁阿闍梨日昭・大進阿闍梨という弟子達がいる。この者達を召して、尊び、いろいろと話し合いなさい。お尋ねの大事な法門のことについてはあらあらここに申しておきます。彼等は日本にまだ流布されていない法華経本門の大法について、少々知っているから、彼等について学んでいきなさい。
御手紙の趣は「便りが来て、疑問に思っていたことが晴れたことは、ちょうど疾風が幾重にも重なった雲をはらって明月を仰いだようなものであった。ただし、この法門は、当世の人には、上下を問わず信ずることがむずかしい。そのわけは、仏法を修行する者の功徳は法華経に『現世安穏・後生善処』等と説かれている。ところが、日蓮法師は法華経の行者と自ら称しているけれども、難に遇うことがおびただしい。これは日蓮の教えが、仏の意に叶わないためなのではないかなどと人々は、取り沙汰しているからである」とのことである。但し、こういった邪な非難については、難を受けるのは先業の故であると。もともとそのわけは明白である。幕府の御勘気をうけたとて、今さらあわて驚くべきことではない。
さらにその理由については、法華経の経文を見ると、末法に入って、仏の教えどおりに法華経を修行する者は数々の難に値うということが、実に明瞭である。眼有るものは、これをよく見るべきである。
すなわち法華経の第四の巻・法師品第十には「仏の在世すら、なお怨みや嫉みが多い。まして仏の滅後、末法において法華経を弘通する者には、なおさらのことである」と。また、第五の巻の安楽行品第十四には「一切の世間の人々は、怨が多くて、正法を信ずることが難しい」等とある。あるいは勧持品第十三には「末法には多くの、仏法に無智の人があって、法華経の行者に対して、悪口したり、罵ったり、刀や杖で迫害したり、瓦礫を加えたりするであろう」とある。また同品には「末法悪世の中の僧侶は心がひねくれていて、仏法に不正直であり……」とあり、また「別の悪僧達は人里離れた静かな山寺などに袈裟・衣をつけて閑静な座におり、自ら仏法の真の道を行じていると思い込んで、人間を軽んじたり賤しむであろう。金品をむさぼるが故に、在家の人たちのために説法して、世の人たちからは、あたかも六神通を得た羅漢のように恭敬、尊敬されるであろう」とある。また同品のつづきに「その僧達は常に大衆の中にあって、正法を持つ者をそしろうとして、国王や大臣・波羅門・居士および諸の僧侶にむかって、その悪い点をつくりあげて、正法の行者を誹謗するであろう」とある。またその次に「悪鬼がこれらの国王・大臣の身に入って、正法の行者をののしり、そしり、はずかしめるであろう」と。さらに「正法の行者はしばしば所を追われる」等と説かれている。
大涅槃経には「末法には一闡提の人が悟りを開いた者のような姿をして、閑静な寺に住して、方広平等の大乗経典、すなわち法華経を誹謗する。もろもろの凡夫は、それをみて、これこそ真実の悟りを開いた聖者であり、大菩薩であるとおもうであろう」と説かれている。また「正法時代がすぎおわり、像法時代に入ると、そのときの僧侶は、持律を持つような身なりをして、少しばかりの経を読み誦んじるが、飲食を貪り好み、その身を養うことばかり考える。また袈裟をつけているとはいえ、その心はちょうど猟師が獲物を見つけて目を細めて忍び足で歩くようなものであり、また猫が鼠をうかがっているようなものである」とも説かれている。また、般泥洹経には「いかにも悟りを開いた菩薩のような一闡提がいる」等ともいっている。
日蓮が、この経文の明鏡をささげたもって、日本の国に向けて映して見てみると、一分の隠れもなく現われてくる。
「或は阿蘭若に納衣にして空閑に在る有らん」とは何人をさすのか。「世の恭敬する所と為ること六通の羅漢の如くならん」とはまた誰をさしているのか。また「諸の凡夫人、見已りて皆真の阿羅漢なり、是大菩薩なりと謂う」とはこれまた誰人のことか。「持律して少しく経を読誦す」とは、またどうか。
これらの経文のように仏は仏眼をもって、末法の始めを照見されたのであるが、末法の当世となって、もしこれらの人々がいなかったならば、大覚世尊の誤謬迷乱となってしまう。もしそうなら、この法華経本迹二門の大法と、沙羅雙林の涅槃経において説かれた「仏性常住」を、誰人が信用するであろうか。
今、日蓮が、仏の言葉の真実を証明するために、日本の国にあてはめて、これらの経文を読誦してみると、「或は阿蘭若に有って、空処に住して」等というのは、鎌倉の建長寺・寿福寺・極楽寺、京都の建仁寺・東福寺などをはじめとする、日本の全ての禅宗、律宗、念仏宗などの寺々のことである。これらの魔の寺は、比叡山などの法華宗、天台宗などの仏寺を破るために出て来たのである。
「納衣にして」とか「持律する」等とは、当世の、錦襴の五条・七条・九条の袈裟を着た持斎などのことである。
「世に恭敬せらるることを為ること是れ大菩薩」とは現在の建長寺の道隆、極楽寺の良観、東福寺の聖一などのことをいうのである。「世」というのは、現在の国主、権力者のことをいうのである。「諸の無智の人有り」とか「諸の凡夫人」等とは、当世の日本の国の上下万人のことなのである。
日蓮は凡夫であるから、仏の教えを信じることができない。但し、ここに述べたことについては、水や火を手にとって、その冷たさ、熱さがわかるように、はっきりと知ることができるのである。
但し末法に法華経の行者があるならば、「悪口され、ののしられ、刀杖を加えられ、所を追い出されたり」するであろうと説かれている。この経文をもって、現在の日本国の世間に当てはめてみると、一人もこの文に当てはまる人はいない。いったい誰を法華経の行者としたらよいのか。法華経の行者の敵人は先にみたように、あるけれども、真実の法華経を持つ者はいない。
これは、たとえば、東があって西がなく、天があって地のないようなものである。これでは仏の言葉は妄説となってしまうではないか。
自讃に似ているけれども、私が、法華経の行者とは誰かを考え出して仏の言葉を扶け顕わそう。それはいわゆる日蓮法師その人が、法華経の行者なのである。
或有阿蘭若・納衣在空閑
法華経勧持品第十三の文。「或は阿練若に納衣にして空閑に在って」と読む。僭聖増上慢の者が、静かな山寺などにこもって、人々に邪法を説く姿をあらわしている。阿練若とは訳せば無事閑静処という意味である。納衣とは僧衣のこと。空閑とは人里離れたところ。
その上、仏は法華経の不軽品第二十に、自身の過去の現証を引いて「昔、威音王仏の像法の末の時に、一人の菩薩があって、常不軽といった。全ての人ことごとくに礼拝讃歎して、法を弘めたが、人々は悪口したり、罵ったり、あるいは杖木や瓦石をもって、不軽菩薩を打擲した」等と説かれている。
これは、釈尊が自身の過去世の因位の修行を引いて、末法の始めの法華経の行者を、すすめ励まされたのである。
彼の不軽菩薩はすでに法華経のために、杖木などの難をうけて、忽に妙覚の極位に登られたのである。日蓮は今日この法華経のゆえに、現身に刀杖の難をうけ、二度までも遠くへ流罪となった。したがって、未来の成仏は、疑いがないのである。
仏の滅後において、四依の大士が、正法一千年間、像法一千年間に出現して、この法華経を弘通された時でさえ、なお難が多かったのである。
いわゆる付法蔵の第二十人目の提婆菩薩、第二十五人目の師子尊者等は外道に殺され、悪王のために頸を刎ねられた。また第八人目の仏駄密多、第十三人目の竜樹菩薩等は、法を弘めるため、赤い旛をささげて、あるいは七年、あるいは十二年の間、王城の門前に立った。また中国の道生は蘇山に流され、法祖は殺され、法道三蔵は徽宗皇帝によって面に火印を捺され、唐代の慧遠法師は武帝に叱責され、天台大師は南三北七の十師と対決し、わが国の伝教大師は南都六宗の邪見を打ち破った。
これらは、皆その人々の巡り会った国王が賢かったか愚かであったかによって、用いるか否かが決められただけであって、あえてその弘通が、仏意にかなわなかったのではない。
衆生の機根のよい正法・像法時代においてすら、このような難を受けたのであるから、末法悪世の時代に及んでは難が多いのはいうまでもない。
すでに法華経のために、御勘気をこうむったことは、それこそ幸いの中の幸いである。瓦礫(がりゃく)をもって金銀にかえるというのは、このことである。
但し、歎かわしいことに、仁王経に「聖人が去る時には、七難が必ず起こる」とある。七難とはいわゆる大旱魃、大兵乱などのことである。
最勝王経に「国王が悪人を愛し尊敬し、善人を罰するがゆえに、星宿や風雨が時ならぬ変化をするのである」とある。この「愛悪人」の悪人とは誰人であろうか。それは前にあげたところの道隆や良観や聖一のことである。では「治罰善人」の善人とは、誰人であろうか。それは、先に述べたところの、たびたび流罪にあった者、つまり日蓮のことである。「星宿」とは、この二十余年の間に起こった天変・地夭等がこれである。これらの経文の通りであれば、日蓮を流罪することは、日本の国が滅亡する先兆である。その上、御勘気のある以前に、これらの由を考え出していた。いわゆる立正安国論がそれである。誰人も、これを疑うことができないではないか。これが日蓮の歎きとするところである。
但し、仏滅後、今は二千二百二十二年を経た。
正法一千年には竜樹や天親などが仏の使いとなって、正法を弘めた。しかしながら、ただ小乗と権大乗の二教のみを弘通して、実大乗の法華経については、まだ、これを弘通しなかった。
像法に入って五百年ごろに、天台大師が漢土に出現して、南三北七の邪義を破折し、正法の実義をたてられた。いわゆる教相門では釈迦一代仏教を華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華涅槃時の五時をたて、観心門では理の一念三千の法門をたてたのがこれである。したがって、国をあげて小釈迦とたたえた。しかしながら、戒定慧の三学中、円教の定と円教の慧のみは弘め宣べたが、円教の戒はいまだ弘めなかった。
仏の滅後一千八百年に入って、日本に伝教大師が出現した。欽明天皇の時代に仏教が渡来してから二百余年、その間に伝えられた三論・法相・倶舎・成美・華厳・律の六宗の邪義をことごとく破折し、その上、天台大師が弘めえなかった円頓戒を弘められたのである。いわゆる比叡山の円頓の大戒檀がこれである。
但し仏滅後二千余年の間、インド、中国、日本の三国に仏教が渡り、これらの国々には数万という数えきれないほどの寺々ができている。
しかしながら、いまだに本門の教主釈尊を本尊とする堂塔や、地涌の菩薩に別に授与されたところの妙法蓮華経の五字は、いまだ誰人によっても弘通されず、末法の始めに弘めよとの経文は有っても、実際に国土には弘まっていない。妙法流布の時と機根が未だ至らない故なのか。
釈尊が法華経の薬王品に記していうには「我が滅後において、第五の五百年の中に、妙法蓮華経の五字を広宣流布し、この世界の中において、断絶させることは無いであろう」と。天台大師はこの文を釈して法華文句の一に「第五の五百年は、遠く未来にいたるまで妙道にうるおうであろう」といい、伝教大師は、守護国界章に「正法千年、像法千年がようやくすぎ終わって、末法は実に近くにきている。一乗の法たる妙法蓮華経の繁盛する機は、今が正しくその時である」といっている。
これらの経釈は、末法の始めを指して、本門の大法の弘まるべき時であると示しているものである。
インドの外道・婆羅門も記していわく「我が滅後、百年にして、仏が世に出現される」と。また中国の儒家に記していうには「一千年後に、仏法が中国に渡ってくる」と。これらのような凡人の記した未来記さえも、符契のように的中しているのである。
ましてや、伝教や天台などのように、像法時代の仏といわれた人達、さらにまた釈迦・多宝の仏の金言がどうして的中しないわけがあろうか。
正に知るべきである。残るところの本門の教主釈尊が出現し、妙法蓮華経の五字の大法が、一閻浮提に流布することは、疑いないところなのである。
しかしながら、日蓮法師に度々、このような大事な法門を聞いた人々であっても、なおこのたびのような大難に値うと、信心を捨てるものがいる。あなたは、この法門のことを聞いたのは一度か二度であり、しかも一時(とき)か二時というわずかな時間であるのに、いまだに法華経を捨てず、信心を励んでいる由、それを聞いて、ひとえに、今生だけの契りではないと思っている。
妙楽大師は文句記に「末法において一時だけでも仏法を聞くことができ、そして、信心を起こすということは、過去世において、法華経の下種があった故である」といっている。また弘決に「像法の末に生まれて、仏法の真文をみることのできたのは、ただごとではない。過去に妙因を植えた人でなければ、実に値いがたいのである」と述べている。
法華経の随喜功徳品第十八に「過去に十万億の仏を供養した人は、人間に生まれてこの法華経を信ずるであろう」とある。また涅槃経にいわく「過去に熈連河と恒河の砂の数ほどの無数の仏を供養した人は、仏滅後の悪世に生まれて、この法華経を信ずるであろう」(取意)と。
阿闍世王は父を殺し、母を幽閉した悪人である。しかしながら釈尊の涅槃経の会座に来て、法華経を聞いたので、五逆罪を犯した罪で現世に生じていた悪瘡を治すことができたばかりでなく、四十年も寿命を延ばすことができた。そして最後には無根初住の位に入り成仏の記別を得たのである。
提婆達多は閻浮第一の謗法・一闡提といわれる悪人である。釈尊の一代聖教のなかにも、法華経以前の経教には、捨て置かれたけれども、この法華経に値って天王如来という成仏の記別を授与されたのである。これらをもって推しはかってみると、末法の悪人等の成仏、不成仏は、罪の軽い重いによるのではなく、ただ、この法華経への信心があるか、ないかによって決まるのである。
ところであなたは武士の家の人であり、昼夜にわたって殺生の世界に身をおく悪人である。家を捨てず、世間を離れないまま、現在に至っては、どのような方法をもって、未来に三悪道をまぬがれることができようか。よくよく思案されるべきである。
法華経の本意は、「当位即妙・不改本位」といって、罪業を捨てずに、その身のまま成仏することができるのである。天台は文句の七に「法華経以外の他経は、但善人にのみに成仏を許して、悪人に成仏を許していない。法華経は全ての人に平等に成仏を記している」といっている。妙楽も文句記の八に「ただ円教たる法華経の本意は、逆がそのまま順となるということである。それ以外の別教、通教、蔵教すなわち爾前経は逆は逆、順は順と定まってしまっている」といっている。
爾前経に分々の得道が有るか無いかということも、ここに記さなければならないが、この問題は仏教の名目をよく知っている人に申すことである。
しかしながら、このことについては、大体教えてある弟子がいる。この人々を呼んで、あらあらお聞きなさい。そのとき、またよく申しあげる。恐恐謹言。
文永十年太歳癸酉八月三日 日 蓮 花 押
甲斐国南部六郎三郎殿御返事
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