弥源太殿御返事
文永11年(ʼ74)2月21日 53歳 北条弥源太
日蓮は日本第一の僻人である。そのゆえは、人が皆父母よりも高く、主君よりも大事に思っているところの阿弥陀仏、大日如来、薬師如来を固く信ずるゆえに、三災七難は先代に超え、天変地夭は昔にも過ぎるのだといい、そしてついには今生には身を滅ぼし、国を失い、後生は大阿鼻地獄に堕ちるのであると、一日片時もたゆむことなく叫び続けてきたゆえに、このような大難にあった。
譬えば、夏の虫が火の中に飛び込み、鼠が猫の前に出たようなものである。これはちょうど、わが身のほどを知らずに用心しない畜生のようなものではないか。身命を失うことが、そのままみずからの心から出ているので僻人である。
ただし、石はその中に玉を含むゆえに砕かれる。鹿は皮や肉のゆえに殺される。魚は美味のゆえに捕えられる。翡翠は美しい羽があるゆえに殺される。また、女人は容姿が美しければかならずねたまれる。これらと同じことであろうか。
日蓮は法華経の行者であるゆえに、三類の強敵があって、種々の大難にあったのである。しかるに、このようなものの弟子檀那となられたことは不思議である。きっと子細があるであろう。よくよく信心を強盛にして霊山浄土にまいりなさい。
また御祈祷のために太刀と合わせて二振をお送りいただきました。この太刀は相当な刀鍛冶が作ったかと思われる。日本の天国あるいは鬼切あるいは八剣、外国の干将・莫耶の剣とどうして異なるであろう。これを法華経に供養されたのである。あなたのお持ちの時は悪の刀であったが、今は仏前にきたのであるから、善の刀である。譬えば鬼が道心を発したようなものである。まことに不思議なことである。後生この刀を杖と頼みなさい。
法華経は三世の諸仏の発心の杖である。ただし日蓮を杖、柱と頼まれるがよい。険しい山、悪い道では杖をつくならば倒れない。ことに手を引かれるならば転ぶことはない。南無妙法蓮華経は死出の山では杖・柱となられ、釈迦仏、多宝仏、上行等の四菩薩はあなたの手をとられるであろう。日蓮が先に霊山にたつならば、お迎えにいくこともあるであろう。また、あなたが先にお行きになるなら、日蓮はかならず閻魔法王にもくわしく申しあげよう。このことは少しも虚偽の事ではない。日蓮は法華経の文のとおりであるなら、通塞の案内者である。ただ一心に信心を持たれて霊山を期しなさい。銭というものは用いようになって変わる。法華経もまた同じである。闇には燈となり、渡りには舟となり、あるいは水ともなるのである。それゆえ、法華経は「現世安穏後生善処」の御経である。
そのうえ、日蓮は日本国の中には安州の者である。一体かの国は天照大神がはじめて住まわれた国であるといわれている。かの所にあって日本の国を採り出されたのである。そこが安房国御厨である。しかも天照大神は、この国の一切衆生の慈父、悲母である。このような尊い国であるから、きっと深いいわれがあるのであろう。どのような宿習であろうか、日蓮もまたかの国に生まれたのである。これは第一の果報である。このことは手紙の主意ではないのでくわしくは書かない。ただ推量していただきたい。
よくよく諸天に祈りなさい。信心に怠りないようにして、所願を成就されるがよい。女房にもよくよくお伝えください。恐恐謹言。
二月二十一日 日蓮花押
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